暘州通信

日本の山車

◆01011 石清尾八幡秋祭 二

2012年05月18日 | 日本の山車
◆01011 石清尾八幡秋祭 二
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇光雲神社
2012/5/3(木) 午前 0:09
... 分家の直方藩(後福岡藩に吸収合併)から藩主になった 六代目継高の頃(1768年)に建立されました。 この時期 ... 福岡城天守台座の東に社殿を設けました。 これが光雲神社です。 ... 黒田家の重臣であり、 黒田家家臣団精鋭部隊「黒田二十四騎」の一人 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yokomitinisoresimono/23102770.html

◇滋賀県長浜市 豊国(ほうこく)神社へ
2012/3/26(月) 午前 1:18
... 幕府の命により豊臣信仰が禁じられ、社殿も取り壊されましたが、町民によって祭神は町年寄の家 ... 清正は秀吉の家臣で、江戸時代まで生き抜き、熊本藩初代藩主です。 祭神でもある清正と神社の関係がいまいち分かりませんでした。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rsjjr083/29433661.html

◇村上城と戊辰戦争
2010/10/3(日) 午前 8:19
... 藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮 ... この時の藩主・信民はわずか19歳。 先代藩主・信親は江戸にいる間に戦争が始まり領国に戻れませんでした。 藩主の説得を受けても家臣たちは一向にまとまる気配を見せず 慶応4年7月11日 (現在の1868年年8月 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/orion_chelsea/60369045.html

◇福島藩板倉氏ゆかりの板倉神社
2010/9/15(水) 午後 5:41
... 明治13年(1880)に旧板倉家家臣を中心に再興運動が起こり、 旧社殿を戻し、分霊を勧請することで現在のような形となったようです。 社殿内部には8代藩主勝長、10代藩主勝顕が奉納した 絵馬や板倉重昌が佩用した甲冑、軍配、陣羽織 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/cyaucyau31/32353566.html

◇藩主の祖を祀る桜井神社・阪神尼崎周辺②
2009/2/17(火) 午後 4:34
... 明治15年(1882)尼崎藩主松平氏の祖桜井内膳信定を祭神として、尼崎城西二ノ丸後に創建された。 国道43号線敷設のため昭和36年三の丸跡 ... 尼崎城主青山幸成の家臣下川元全の三男として生まれたという。 ... 桜井神社社殿             博愛社記念碑 契沖 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/asan19431007/37228055.html

◇01011 石清尾八幡秋祭

2012年05月18日 | 日本の山車
◇01011 石清尾八幡秋祭
□社名 石清尾八幡宮(いわせをはちまんぐう)
□所在地 香川県高松市宮脇町一丁目三〇-三
□祭神
タラシナカツヒコノミコト 足仲彦名(仲哀天皇)
ホムダワケノミコト 誉田別命(応神天皇)
オキナガタラシヒメノミコト 息長帯姫命(神功皇后)
□山車
山車の形態(呼称)は、太鼓臺
・北浜町、魚屋町 
・八幡神交会
□汎論
 高松市の西部にある峰山の麓に鎮座する。この地は古くは秦氏の居住した地とされ、一族と推定される古墳が点在する。
創祀には不詳な部分も多いが、延喜十八年(九一八)八幡神様が赤塔山(現、石清尾山)に現れて託宣があったと伝えられる。また別説として京都の石清水八幡宮より分霊をうけて祀ったとも言われる。高松市の鎮守として祀られて来た長い歴史がある。
南北朝時代、四国は細川右馬頭頼之の統治下にあり、社殿の拡築がおこなわれた。貞治三年(一三六四)の戦勝祈願成就を祝して「右馬頭市」がはじめられ、現在も「市立祭」が五月上旬に斎行されている。
天正十五年(一五八七)、讃岐一七万千八百石は生駒親正の支配下にあり、高松城の造営が行なわれた。親正は美濃国可児郡土田(現岐阜県可児市土田)の生まれで、信長の美濃攻めのとき臣下となり、羽柴秀吉にしたがい、長篠の合戦、石山本願寺攻め、紀伊国雑賀攻めなどに参戦。信長の死後は秀吉の家臣となって賤ヶ岳の戦、山崎の戦、小田原征伐、文禄の役など歴戦を重ね、安土桃山時代には大名となり中老職を務めている。
寛永十九年(一六四二)、松平頼重が藩主となり赴任したが、篤く敬い、さらに社殿を造営し社領や宝物の寄進を行った。
頼重は、水戸徳川家初代である徳川頼房の長男として出生、徳川家康の孫にあたる。
常陸下館(現茨城県)の藩主を経て讃岐高松に封じられた。
宝永二年(一七〇五)、三代藩主となった松平頼豊により社殿の改修が行われ、以後は歴代藩主が毎年参詣するようになった。頼豊は、水戸藩初代藩主である徳川頼房の曾孫にあたり、元禄十七年(一七〇四)に第二代藩主の松平頼常が隠居し、その養子としてあとを継いで第三代藩主となっている。
慶長年間に、生駒一正の家臣であった佐藤掃部が建立した阿弥陀院があった。仁和寺御門跡末寺だったと伝わる。多宝塔があり幕末まであったが、明治の廃仏毀釈により損なわれた。
□問い合わせ
高松市宮脇町1丁目30-3
TEL 087-862-5846
FAX 087-862-0333
hachiman@iwaseo.com
20120508 更新
□外部リンク
◇藩主の祖を祀る桜井神社・阪神尼崎周辺②
2009/2/17(火) 午後 4:34
... 明治15年(1882)尼崎藩主松平氏の祖桜井内膳信定を祭神として、尼崎城西二ノ丸後に創建された。 国道43号線敷設のため昭和36年三の丸跡 ... 尼崎城主青山幸成の家臣下川元全の三男として生まれたという。 ... 桜井神社社殿             博愛社
記念碑 契沖 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/asan19431007/37228055.html

◇高砂・曽根天満宮の秋季例大祭☆
2008/10/13(月) 午後 9:15
... その後、四男淳茂公(あつしげこう)が、家臣13人と共にこの地を訪れ、父君ゆかりの場所に社殿を建てお祀りしたのが創始とされる。天正6年(1578)豊臣秀吉の播州征伐の際兵火に ... 特に鹿児島藩主島津公は、霊松の枝で天神像を刻み国元に持ち帰りお祀りしたと ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/momonga0703/45945332.html

◇神明宮
2008/9/4(木) 午後 5:04
... 九戸政実の家臣・三田彦四郎が三戸郡金濱村(現在の八戸市金浜)に遷座されたという ... 寛文9年(1669年)に八戸藩2代藩主・南部直政により長者山北東に社殿を造営し遷座。宝永6年(1709年)に豊受大神、八幡大神、春日大神を合祀して現在地に遷座。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kazuki133/44402178.html

◇鹿の子菅原天満宮
2007/5/22(火) 午後 3:15
... 竜造寺隆信公が、家臣土橋栄益に追われ筑後の国一木にのがれたが ... その間鹿子天神に願いをこめて千句の連歌を奉納し、社殿を再建しました。以来鍋島歴代藩主の信仰がありました。尚明治四十年宮寄せの法令により鍛冶屋天満宮を合祀しました。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kokoronotabihaitumademo/11868888.html

◇二葉の里 歴史の散歩道 饒津神社
2005/10/13(木) 午前 6:55
... 天保6年(18359に浅野藩主斎粛(なりたか)が ... 壮大な社殿を造営することにより、藩の士気をたかめたと考えられる。 広大な境内の本殿の近く、唐門前のあたりは、家老などの大身の家臣が献納した24基の石塔籠が整然とならんでいて ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/fuuraibou1948/13249977.html


◆01009 牟岐浦八幡神社祭

2012年05月18日 | 日本の山車
◆01009 牟岐浦八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 徳島県海部郡牟岐町牟岐浦
□祭神
□祭は一〇月上旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、関船、 だんじり。
・牟岐浦地区
□汎論
 牟岐町の属する【海部郡】は、愛知県にもおなじ【海部郡】があり、古代の海神族(綿津美氏)に所縁の地と推察される。牟岐の地名は、岐阜県に武儀郡があり武儀町(現関市)がある。
この【ムギ】という語彙になにか惹かれるものを覚えるが、格別関係はないらしく、ムギとは崖地を指すらしい。山車は瀬戸内を東部を経て、紀伊水道を南下した文化がここまで達している。


◆00078 高崎祭

2012年05月18日 | 日本の山車
◆00078 高崎祭
神社各社の合同夏祭
旧、頼政神社
群馬県高崎市
□祭は八月上旬。

□山車
中央地区
・田町(一、二、三丁目)
大正一二年七月吉日建造。工匠は鳴海幸造。人形は神功皇后、本庄市の松崎福松。
・赤坂町
創建は明治初期。現在の山車は大正一二年の建造。工匠は下横町の大房。人形は猿田彦、人形師は市内の黒川市五郎。
・常盤町
先代は大正六年建造。再建は昭和五七年一〇月。工匠は富岡市の松本工務店。彫刻は日光金光。人形は牛若丸。人形師は東京日本橋の亀屋甲斎清秀で先代のもの。彫刻は日光月光。幕は晃月。上幕は波に賀茂川と孔雀の羽根。下幕は波に千鳥」。
・歌川町
大正一三年一〇月建造。工匠は相川勝五郎。人形は藤原定家。人形師は東京神田の山本鉄之。上幕は荒波に飛魚。下幕は松竹梅。
・並榎町坂下
先代は大正七年の創建。昭和三年一月再建。人形は三条小鍛冶。人形師は東京神田の山本鉄之。彫刻は通町の池山正春。幕は荻原縫箔で上幕は岩と波、下幕は牡丹と蝶。
・柳川町
大正一三年五月吉日建造。人形は日本武尊。人形師は松崎福松(本庄市)。幕は成田町の藤井刺繍店。上幕は赤地に鶴。下幕は緑地に波と大亀。
・新紺屋町
大正一三年一〇月の建造。工匠は佐藤鷲七。人形は三番叟。人形は埼玉県岩槻市。幕は藤井刺繍店。上幕は赤地に鶴。下幕は緑地に池と大亀。
・寄合町
大正三年一〇月建造。工匠は加藤初太郎。人形は勧進帳より弁慶、東京浅草の人形師浪速屋。幕は大正三年、通町の新井直平。上幕は牡丹に唐獅子。下幕は松に御所車。
・連雀町
昭和二四年四月建造。人形は桃太郎、人形師は市内の黒川市五郎。彫刻は熊本の佐藤正寛。幕は京都・高島屋。上幕はふくら雀と波。下幕は桃太郎。

北地区
・並榎町
大正四年一二月建造。昭和二二年改修。工匠は相川勝治。人形は鏡獅子、人形師は市内の黒川市五郎。幕は波に龍、牡丹に唐獅子。
・末広町
昭和一一年八月建造。工匠は町田雄弘、棒屋の清水万吉の建造。人形は静御前。
人形師は本庄市の松崎富司。幕は丹頂堂、上幕は岩に砕ける波。下幕は吉野桜。
・請地町
昭和二三年七月建造。工匠は森川友徳。人形は羽衣の天女、市内の黒川天玉。
幕の原画は相川明。あけみや染工場。刺繍は桐生市の南ミシン加工所。上幕は龍と唐様。下幕は三保の松原と富士山。
・住吉町
創建不明。大正一三年一月再建。工匠は下横町の高橋房吉。人形は舞楽の蘭陵王。人形師は東京浅草の浪花屋・庄田七郎兵衛。幕は本町の久保川呉服店。上幕は雲と龍。下幕は雅楽の舞臺を表現して人形とあわせる。
・相生町
大正一二年建造。工匠は佐藤鷲七、白木鉄工所が埼玉より取得した山車を改修。人形は源為朝、人形師は東京神田の山本鉄之。上幕は松と桜を刺繍。下幕は三輪の大紋と波。
・本町一丁目
創建は明治七年、倉賀野仲町に譲渡。大正一〇年頃再建。昭和三年一〇月三たびの建造。人形は猩々、人形師は東京浅草の庄田七郎兵衛。幕は通町の新井直平と新井安平。上幕は赤地に岩と荒波。下幕は緑地に松と屏風。
・本町二丁目
・大正二年一〇月建造。人形は弁財天、東京浅草の人形師、晴雲斎秋月。幕は丹頂堂。上幕は波と龍。下幕は花車と岩に波。
・本町三丁目
大正七年三月建造。人形は石橋、人形師は本庄市の松崎福松。幕は同町の三代目、松本勝太郎。上幕は石橋、牡丹に唐獅子。下幕は岩に波。
・成田町
昭和八年三月建造。工匠は町内の細谷政吉。人形は素盞鳴命。人形師は本庄市の米福久。幕は丹頂堂。

東地区
・旭町
昭和二二年五月建造。工匠は池野常茂。人形は鍾馗、人形師は市内の黒川市五郎。
幕は通町の新井道平。上幕は雷紋。下幕は日の出と老松。
・田町四丁目
大正一一年一月建造。人形は龍神の舞、人形師は東京浅草、氏名不詳。幕は通町の新井道平、上幕はかもめ。下幕は獅子。
・山田町
大正一三年一〇月建造。工匠は同町の町田胸次郎。人形は木花開耶姫、人形師は本庄市の米富久。幕は平成四年に京都川島織物、上幕は丸龍。下幕は富士に松と鶴。
・九蔵町
昭和二二年五月建造。工匠は並榎町の相川勝次。人形は静の舞、人形師は東京上野黒門町の林正之助(林正之輔?)。彫刻は池山正春。幕は昭和六〇年高崎市の丹頂堂で修復。上幕は赤地に巌と波。下幕は青地に瑞雲と若松。
訂正:
人形師の表記に誤りがあるとご指摘いただき、訂正させていただきました。
・羅漢町
昭和二一年一二月建造。工匠は町内の斎藤駒雄。人形は大黒天、人形師は市内の黒川明玉平成二年に衣裳を晃月人形で新調。彫刻は高橋吉次、沢口亀次。幕は高崎市の丹頂堂。上幕は欄干。下幕は波と旭日。昭和六〇年四月に修復。
・北通町
大正一三年一月建造。平成六年改修。工匠は同町在住の鳴海幸造。人形は新田義貞、人形師は本庄市の松崎福松。彫刻は埼玉県大里の小林栄吉。上幕は波涛。下幕は御所車に牡丹。
・高砂町
大正一四年一〇月建造。工匠は高砂町内の人。人形は神武天皇、人形師は本庄市の松崎福松。彫刻は深堀喜一。幕は昭和五六年八月、市内の丹頂堂。上幕は雲に勾玉。下幕は波に鶴。
南地区
・下和田町
昭和九年一二月建造。人形は牛若丸、人形師は本庄市の米富久。幕は市内の丹頂堂・新井好冶、上幕は松に丹頂鶴の刺繍。下幕は波頭と水鳥の刺繍。
・石原町下一
創建は明治四一年。昭和五八年一二月再建。工匠は柏崎市の広田淳一。人形は少名彦名命、人形師は岩槻市の川崎阿具。幕は晃月人形。上幕は赤地に波頭と鶴。下幕は梧桐に鳳凰。
・石原町下二
創建は文化四年(一八〇七)。平成元年一二月建造。工匠は寺尾町の浦野一郎。彫刻は旧臺のものを用いる。人形は彦狭島王。人形師は市内の晃月人形。幕も晃月人形、上幕は波と千鳥。下幕は松竹梅に鷹。
・下横町
昭和六年一二月建造。工匠は町内の高橋房吉。人形は天照大神、人形師は本庄市の米福久。平成二年に人形衣裳を修復。上幕は二見ヶ浦の旭日。下幕は鳳凰。
平成五年二月に罹災。枢臺、備品の多くを損傷したが、平成一〇年に復活した。
・砂賀町
大正三年一月建造。工匠は佐藤正貫。人形は恵比寿、人形師は熊本市の熱賀昭男。幕は市内の丹頂堂、上幕は赤地に鶴と亀。下幕は緑地に鶴と波。
・南町
大正一三年一〇月建造。工匠は市内下横町の高橋房吉。人形は楠正成、人形師は東京神田の山本鉄五郎。幕の図案は通町の新井道平、刺繍は今井。上幕は赤地に菊水紋。下幕は青地に松、楠公の菊水、岩。地幕は紺地で、波と千鳥、楠公の菊水。
・和田町
大正一一年八月建造。人形は菅原道真公、人形師は東京浅草の山本福松。彫刻は池山正春。幕は市内の丹頂堂。上幕は赤地に菊水。下幕は菅原道真公、愛梅との別れ。
・通町
大正元年一〇月建造。設計は富田幸太郎。工匠は加藤初太郎。人形は龍宮の乙姫、。人形師は東京日本橋の人だが氏名は不詳。幕は市内丹頂堂。上幕は龍宮城。下幕は波と亀。
・新町
大正六年一月建造。工匠は篠谷こう。人形は建御名方命。人形師は東京神田の亀家清秀。。彫刻は熊谷市の飯田。幕は市内の新井道平。上幕は雲に龍。下幕は岩上の鷹と荒波。
・八島町
大正一三年一月建造。工匠は山本鉄。人形は神功皇后、人形師は東京浅草の山本福松。彫刻は佐藤正貫。幕は熊井呉服店。上幕は岩に波。下幕は孔雀に牡丹を刺繍する。
・新田町
明治四三年四月建造。人形は浦島太郎、人形師は東京浅草の山本福松。上幕は龍と荒波。下幕は亀と岩と波。
□汎論
 高崎祭は、江戸時代の高崎藩主だった大河内家の鎮守である頼政神社の祭だった。頼政神社は、元禄八年(一六九五)に高崎藩主となった松平右京太夫輝貞が、石上寺境内に社殿を建造し頼政公を祀ったのにはじまり、藩主の転封で移動などにより現在地に遷座された。社号ともなっている頼政とは、源三位頼政のことで、 保元の乱(一一五六)では源義朝に従い、つづく平治の乱(一一五九)では源氏からはなれて平氏についた。

 たつきなき 寄るべなき身は 木のもとに 椎(四位)をひろいて 世をすごすかな

 と詠んでいる。
 後年、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ平氏に反旗をひるがえしたが功ならず、敗れて宇治の平等院で自刄しました。宇治橋をわたり平等院の境内にはいるとすぐ左手に切腹座が残されている。頼政の旗揚げは平氏滅亡の嚆矢となった。
 頼政神社祭は、幕末期には一時衰退したが、慶応四年(一八六八)に「道祖神祭」、一九五五年に「高崎奉納祭」、一九七五年に「高崎ふるさとまつり」を経て一九八五年に「高崎祭」となった。群馬県では最大の祭で、花火大会は北関東最大級の規模である。
 現在は市域を中央地区、北地区、東地区、南地区の四区にわけ、市民祭として行われる。山車は三十六臺あるが毎年すべては出ず、およそ半分ずつを年毎に交互にだして曳く。市内にはふるさと祭には参加せず、古式に則って祭を行う地区もある。
□問い合わせ
高崎市商業観光課
電話 027-321-1257
□訂正
 高崎市九蔵町の人形師の表記につき、誤りのご指摘をいただきました。ありがとうございます。早速訂正させていただきました。
正:人形師は東京上野黒門町の林正之助(林正之輔?)
誤:人形師は東京上野黒門町の林正之輔
20120518 更新

◆01006 久国の社日 二

2012年05月18日 | 日本の山車
◆01006 久国の社日 二
□外部リンク
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◇社日
2012/3/18(日) 午前 9:53
ふと、カレンダーを見ると「社日」とある。 何だろう。 調べてむると、 今日は生まれた土地の神様(産土神というらしい)を祀る日だそうだ。 春分と秋分にもっとも近い戌の日に、 その土地の神様に感謝する日との事。 日本人はやはり農耕民族。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ntaninobu/63285869.html

◇春の社日
2010/3/19(金) 午後 6:15
今日は、村内の農家地区で社日祭が行われています。 ================================ 社日とは、社日は生まれた土地の神様(産土神)を祀る日です。 春と秋の2回行われ、春分(3月20日頃)と秋分(9月23日頃 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/makkari123yakuba/50384302.html

◇20日は、社日でした。
2009/9/21(月) 午前 0:59
社日(しゃにち)とは、春分・秋分にもっとも近い戊(つちのえ)の日。  生まれた土地の産土神(うぶすながみ)に参拝する日。 なんだそうです。今年は、彼岸の入りと同じになりました。 気持ちいい秋晴れのなか、いつもの神社に向かいました。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/bell_marurun/29543229.html

◇季節の暦(社日(しゃにち))
2008/9/25(木) 午前 7:54
【社日(しゃにち)9月25日】社日は生まれた土地の神様(産土神)を祀る日です。春と秋の2回行われ、春のものを春社〔しゅんしゃ/はるしゃ〕、秋のものを秋社〔しゅうしゃ/あきしゃ〕といいます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dream1988mkfc/45550902.html

◇社日
2007/3/25(日) 午前 5:39
... 日本人は古来から、自分の土地の神様をとても大切にしていた。その為、この風習も受け入れやすく、根付いたらしい。 社日は古代中国から由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。 この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/buujyaemon/45838499.html


◆01006 久国の社日

2012年05月18日 | 日本の山車
◆01006 久国の社日
□語彙 久国の社日
□所在地
徳島県勝浦町久国 
□汎論
 社日(しゃにち)とは、鎮守の産土神を祀る日だとされる。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)という。もと古代中国に由来するといわれ、神社の「社」とは、もともと土地の守護神で土の神のことである。社日には産土神に参詣し、春は五穀の種を供えて豊作を祈願。秋には収獲に感謝する。いまも島根県安来市社日町に地名として残っている。
 福岡県嘉穂郡では、社日になると海辺へ出て、清い海砂を採って持ち帰り、屋内に敷いいて家を清める。
 勝浦町の久国では、土地の祭礼を「しゃにち」と呼んでいた。
20120517 更新
□外部リンク
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◇秋の社日♪
2008/9/26(金) 午前 10:55
... 【秋の社日】(あきのしゃにち)  生まれた土地の守護神・産土神[うぶすながみ]を祀る日だそうです。  春分および秋分に最も近い戊の日(前後同日数の場合は前の方の戊の日)で  春の社日を「春社」(しゅんしゃ、はるしゃ)  秋の社日を「秋社」(し ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kizashi_sy_sy/17633775.html

◇季節の暦(社日(しゃにち))
2008/9/25(木) 午前 7:54
【社日(しゃにち)9月25日】社日は生まれた土地の神様(産土神)を祀る日です。春と秋の2回行われ、春のものを春社〔しゅんしゃ/はるしゃ〕、秋のものを秋社〔しゅうしゃ/あきしゃ〕といいます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dream1988mkfc/45550902.html

◇【9月の行事】秋の社日
2008/9/16(火) 午後 0:23
... 春の社日(3/21)、       秋の社日(9/23)です。 社日は雑節の一つ。 その人の生まれた土地を守る       産土神様(うぶすなのかみさま)を祀る日をされ、豊作祈願や収穫への感謝が捧げられ       ます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/atory88/56632521.html

◇春の社日
2008/3/19(水) 午前 9:06
今日の暦を見ると、社日とある。 社日とは土地の神さま(産土神)を祀り、五穀豊穣を祈る日である。  春と秋の2回行われ、春のもの を春社〔しゅんしゃ/はるしゃ〕、秋のものを秋社〔しゅうしゃ/あきしゃ〕という。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/daiya_gp/54387858.html

◇社日
2007/3/25(日) 午前 5:39
... 日本人は古来から、自分の土地の神様をとても大切にしていた。その為、この風習も受け入れやすく、根付いたらしい。 社日は古代中国から由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。 この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/buujyaemon/45838499.html