暘州通信

日本の山車

◆32277 杜と社 一

2011年11月30日 | 日本の山車
◆32277 杜と社 一
 これは仮説である。
 神には自然神と人神があり、古代のひとびとは、嶽、山、原野などの自然界、あるいはひとが開発した田などにも神は下ると考え、神が降臨する場所を特定し、山頂、木々、岩などに【籠る(こもる)】と考えた。神坐す場所を【神籬(ひもろぎ)】などとよび、その場所は、特に清浄な場所として結界を張り、垣をもって【かぎ】り、安易にひとが立ち入ることを禁忌した。この神籠る場所のひとつが【モリ】である。
 【モリ】は、神います場所であり、その表記には、【森、盛、守、杜】などの漢字が当てられ【「もり」と訓読み】されたと考えられる。つまり、【森、盛、守、杜】などは、神が坐し、あるいは降臨し、還御する特定の場所であった。この古い時代には神います場所には構築物はなかったはずである。人々が神を知覚するようになると、神とひとびとの間に立って奉仕する神職がたてられるようになった。 神職にも、通年神に仕えるひとと、齋事のときなどの限定期間だけまつりに奉仕する【とうにん】などがあり、【頭人、党人】などと書かれる。この神に奉仕するじとが限定されるころから、神を祀る【社(やしろ)】が設けられるようになり祭事はこの社殿において執行されるようになった。【社】もまた【もり】であり、【杜と社】は字面もよく似ている。

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