暘州通信

日本の山車

◆00654 秋田竿燈まつり

2011年11月24日 | 日本の山車
◆00654 秋田竿燈まつり
□所在地 秋田県秋田市
□祭は
□山車
山車、竿燈
まつりには二〇〇数拾の竿灯が出る。
□汎論
 神は、ひとがいてもいなくても降臨する。その場所は山頂、立木、巌、その他などがあり、ひとびとはそれを知っていた。神は男女の性別が無く、無生物であることを知っていたが、ときに、光り、咆哮し、雨を呼び、人々はこれを神意として認識していた。神は、人々に福を齎すが、ときに災いをふりまいた。人は生涯を終えると神となると信じるようになり、追悼と哀惜のうちに意図的に神を祀るようになった。祭祀の始まりである。祭祀は祭も祀も【まつる】であるが、おなじではない。これはまた政【まつり】となって、生活に規範がもたれるようになった。神を知覚し、認識したころから長い時間をかけてくらしのなかで自然発生的にうまれてきたと考えられる。
 神を知覚したときから、信仰を持つようになった。
 ひとびとのくらしには、生死、天災などの人智を超えた【はからい】があり、このなかから、平和、豊作、豊漁、子孫繁栄、事業の成功、交通安全などから、悪疫退散、病の完治など広範な【ねがい】を神のはからいにより至福を願うようになってくる。
 だからひとびとが共同生活を営むところには【祭祀政】が根付き、共同認識となっている。これは、民族を超えた普遍的な認識である。
 神を知覚したときから、信仰を持つようになった。ひとびとはすすんで神をもとめ、迎えるようになった。当初に述べたように、神は降臨するとそこに籠ると考えたことから、神体山、神籠石、巌座、まがき、あれ、などが信仰の対象とされ、のちにはすすんで神を迎えるようになった。この神の籠るところは【固定神座】である。
 積極的に神を招き、降臨を仰ぐためにひとびとが最初に考えたのが
【柱をたてる】ことであった。柱は当初は木であり、のちに次第に金属の効用が高いことを知るようになる。
 □参考
次を参考にさせていただきました。
・秋田竿灯まつり
竿燈まつり実行委員会公式ホームページ
 http://www.city.akita.akita.jp/city/in/cm/kanto/

最新の画像もっと見る

コメントを投稿