◇21558 神送り
現在、祭に神を迎える神事は少なくなっている。神が神社の社殿に坐し、祭には神社から出御されるからである。だが、少数ながら神をお迎えする神事は行われている。
他方、神を送る神事は姿を変えて来ている。
天下泰平(平和)、国歌安泰、豊作(五穀豊穣)、豊漁、航海安全、安産、商売繁盛など福益をもたらす神は善神であり、祭のあとは神社に還御されてそこにとどまられる。
一方、病気など悪疫をもたらす神は、川に流し、海に流す、神送りは、凶事(まがごとながし)、浜降り神事などに代表され、江戸時代になっていよいよ盛んに行われるようになった。これら悪神を送る神事は、いまも山車を曳く神事のなかでもおおきな存在である。では、善神を送る神事は全国でどのくらいおこなわれているだろうか。
推論になるが、古代には、山に降った神を迎え、神を送るのはごく普通のことだったと考える。仮に一億の生があれば、かならず一億の死がある。これは至極あたりまえのことで、絶対の対数であり天地自然の摂理で、万古普遍である。とかく目をそむけたくなるが、このごく自然な理法を古代人は正視していたのではなかろうか。
祖神はくだり、かえる。部族の首長が死去すれば山に墳墓を築き、御霊を送った。山頂は天界と地界の接点であった。一生をすごし、生が終われば魂は天に還る。古代人は、このごく自然な摂理をおおらかに甘受していたと考えられる。万民もまったくおなじであった。
人の死は悲しい。
その絶望的な悲哀のなかで、殯唄が歌われ、歌舞飲食、追悼、愛惜の涙をながす。
山の無いところ、あるいは山があっても、墳墓が築かれる、円墳、方墳、上円下方墳。前方後円墳は古墳の中でも特異な形状をしている。
これら古墳の意義は、古代人の思想を象徴している。古墳の上に神社が築かれている例は多々見られる。古墳と民衆は神や首長と同じようにつながっていたのである。
しかし、六世紀なかばに、仏教が渡来して、神事の中では葬祭を行う例が著しく減少し、お弔いは寺院にゆだねられ、出生は氏神への「宮参り」として次第に定着してゆき、人の一生のはじまりはお宮さんで、人生の終わりは寺院というその長い伝統は、現代も続いている。
だが、古代に思いを馳せると、仏教伝来以前の人生の終わりは神事でおこなわれていたと推定される。
人の一生の終わり、神の還御は一如であった。
東南アジアのある地方では、長寿を終えた古老を述べに送るときは、祝福する風習があるという。エジプトの神殿のまえに立てられている「オベリスク」は、左右一対であり、頂点のピラミディアは神が去来する接点と考える。
古代には一本の柱をたてて神を迎え、送った。柱は鉾になりさまざまなかたちをとりながら山車へと発展している。江戸の祭で曳かれた山車、秩父で曳かれる傘鉾、あるいは、越中高岡の御車山など、各地に柱から山車に変遷していった遺構は多く見られる。
現在悪神はとにかくとして、民間がかかわる「神送り」を行う地方はほとんどないのではなかろうか。
第129回:「神話の世界」インドの山鉾
2009/5/29(金) 午後 6:45
... 神事の手順や日程、 お旅所があることなど、 まさに日本の祭りそのものである。 ... 「ネパール」 「山車」山鉾 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5% ... 『小林登志子』中公新書 古墳(森浩一著) 橿原考古学研究所 ...
九州豊前香春神幸祭 1
2009/5/6(水) 午後 2:05
... 弥生以来の稲作先進地帯であり、至る所、往古を偲ばせる古墳・遺跡が散在し、住む者を以て、有史以来の歴史に思いをはせ ... 鯉のぼりが林立する中、バレンで飾った山車、及び御輿などが、各里村を練り歩く。 ... 神事と農耕が一体となった里山の神祭りは ...
現在、祭に神を迎える神事は少なくなっている。神が神社の社殿に坐し、祭には神社から出御されるからである。だが、少数ながら神をお迎えする神事は行われている。
他方、神を送る神事は姿を変えて来ている。
天下泰平(平和)、国歌安泰、豊作(五穀豊穣)、豊漁、航海安全、安産、商売繁盛など福益をもたらす神は善神であり、祭のあとは神社に還御されてそこにとどまられる。
一方、病気など悪疫をもたらす神は、川に流し、海に流す、神送りは、凶事(まがごとながし)、浜降り神事などに代表され、江戸時代になっていよいよ盛んに行われるようになった。これら悪神を送る神事は、いまも山車を曳く神事のなかでもおおきな存在である。では、善神を送る神事は全国でどのくらいおこなわれているだろうか。
推論になるが、古代には、山に降った神を迎え、神を送るのはごく普通のことだったと考える。仮に一億の生があれば、かならず一億の死がある。これは至極あたりまえのことで、絶対の対数であり天地自然の摂理で、万古普遍である。とかく目をそむけたくなるが、このごく自然な理法を古代人は正視していたのではなかろうか。
祖神はくだり、かえる。部族の首長が死去すれば山に墳墓を築き、御霊を送った。山頂は天界と地界の接点であった。一生をすごし、生が終われば魂は天に還る。古代人は、このごく自然な摂理をおおらかに甘受していたと考えられる。万民もまったくおなじであった。
人の死は悲しい。
その絶望的な悲哀のなかで、殯唄が歌われ、歌舞飲食、追悼、愛惜の涙をながす。
山の無いところ、あるいは山があっても、墳墓が築かれる、円墳、方墳、上円下方墳。前方後円墳は古墳の中でも特異な形状をしている。
これら古墳の意義は、古代人の思想を象徴している。古墳の上に神社が築かれている例は多々見られる。古墳と民衆は神や首長と同じようにつながっていたのである。
しかし、六世紀なかばに、仏教が渡来して、神事の中では葬祭を行う例が著しく減少し、お弔いは寺院にゆだねられ、出生は氏神への「宮参り」として次第に定着してゆき、人の一生のはじまりはお宮さんで、人生の終わりは寺院というその長い伝統は、現代も続いている。
だが、古代に思いを馳せると、仏教伝来以前の人生の終わりは神事でおこなわれていたと推定される。
人の一生の終わり、神の還御は一如であった。
東南アジアのある地方では、長寿を終えた古老を述べに送るときは、祝福する風習があるという。エジプトの神殿のまえに立てられている「オベリスク」は、左右一対であり、頂点のピラミディアは神が去来する接点と考える。
古代には一本の柱をたてて神を迎え、送った。柱は鉾になりさまざまなかたちをとりながら山車へと発展している。江戸の祭で曳かれた山車、秩父で曳かれる傘鉾、あるいは、越中高岡の御車山など、各地に柱から山車に変遷していった遺構は多く見られる。
現在悪神はとにかくとして、民間がかかわる「神送り」を行う地方はほとんどないのではなかろうか。
第129回:「神話の世界」インドの山鉾
2009/5/29(金) 午後 6:45
... 神事の手順や日程、 お旅所があることなど、 まさに日本の祭りそのものである。 ... 「ネパール」 「山車」山鉾 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5% ... 『小林登志子』中公新書 古墳(森浩一著) 橿原考古学研究所 ...
九州豊前香春神幸祭 1
2009/5/6(水) 午後 2:05
... 弥生以来の稲作先進地帯であり、至る所、往古を偲ばせる古墳・遺跡が散在し、住む者を以て、有史以来の歴史に思いをはせ ... 鯉のぼりが林立する中、バレンで飾った山車、及び御輿などが、各里村を練り歩く。 ... 神事と農耕が一体となった里山の神祭りは ...