◆24885 琴高仙人
中国の仙人伝をあつめた「列仙傳(れっせんでん)」には多くの仙人が紹介されている。「琴高仙人(きんこうせんにん)」は取り扱われることが多い馴染みの仙人である。
中国周代趙の人で、琴の名人として知られ、宋王の舎人となった。河北省を二〇〇年あまりにわたって遊歴したのち帰郷したが、驚く人たちを尻目に「龍の子を捕えて来るといって、また水にもぐっていったが、はたして約束の日になると大きな赤い鯉に乗って帰ってきた、しかしふたたび水中に戻リ、以後その姿を見かけた人はなかったという。 琴高仙人は赤い鯉に乗って龍門を越え、鯉は龍に、琴高は仙人となり、琴高仙人はこの龍に乗って大空を一日千里飛翔するのだという。
飛騨高山には、谷口與鹿が手がけた琴高臺(きんこうたい)がり、大幕の刺繍、見送幕、欄間彫刻にいたるまで鯉尽くしとなっていて、下臺金具にはこの鯉を陽刻した鯉の正面圖があリ子供に人気がある。
この屋臺建造中に阿波徳島の貫名海屋(ぬきなかいおく)が高山を来訪し秋から春までおよそ七ヵ月滞在して完成して引かれる琴高臺を見て飛騨を去っている。
貫名海屋は号を「菘翁」といい、滞在中に各方面から招かれてたくさんの書画を残し、また高山で詩作(漢詩)をしたものが伝わる。
琴高仙人は山車の多くの題ともなっている。
□参考
・山車 富山県富山市(旧八尾町)
・山車 三重県伊賀市(旧上野市)
・鴛鴦社(鴛鶯社) 山車 静岡県磐田市
中国の仙人伝をあつめた「列仙傳(れっせんでん)」には多くの仙人が紹介されている。「琴高仙人(きんこうせんにん)」は取り扱われることが多い馴染みの仙人である。
中国周代趙の人で、琴の名人として知られ、宋王の舎人となった。河北省を二〇〇年あまりにわたって遊歴したのち帰郷したが、驚く人たちを尻目に「龍の子を捕えて来るといって、また水にもぐっていったが、はたして約束の日になると大きな赤い鯉に乗って帰ってきた、しかしふたたび水中に戻リ、以後その姿を見かけた人はなかったという。 琴高仙人は赤い鯉に乗って龍門を越え、鯉は龍に、琴高は仙人となり、琴高仙人はこの龍に乗って大空を一日千里飛翔するのだという。
飛騨高山には、谷口與鹿が手がけた琴高臺(きんこうたい)がり、大幕の刺繍、見送幕、欄間彫刻にいたるまで鯉尽くしとなっていて、下臺金具にはこの鯉を陽刻した鯉の正面圖があリ子供に人気がある。
この屋臺建造中に阿波徳島の貫名海屋(ぬきなかいおく)が高山を来訪し秋から春までおよそ七ヵ月滞在して完成して引かれる琴高臺を見て飛騨を去っている。
貫名海屋は号を「菘翁」といい、滞在中に各方面から招かれてたくさんの書画を残し、また高山で詩作(漢詩)をしたものが伝わる。
琴高仙人は山車の多くの題ともなっている。
□参考
・山車 富山県富山市(旧八尾町)
・山車 三重県伊賀市(旧上野市)
・鴛鴦社(鴛鶯社) 山車 静岡県磐田市