備忘録として

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NASA

2014-08-02 12:47:19 | 

テキサス・ヒューストンには、NASAのジョンソン宇宙センターがある。先月のヒューストンの旅でNASAに行ったわけではないが、道中の暇つぶしに、佐藤靖著『NASA-宇宙開発の60年』中公新書を読んだ。アメリカの宇宙開発の歴史を知るには最適な書だった。ニュースで知る華やかな宇宙開発の舞台裏が、膨大な現地資料をもとに書かれている。中で最も興味を引いたのは、システム工学を基本とした開発の推進とマネージメント論および組織論だった。

NASAの歴史概観

  • (1932年フォン・ブラウンのミサイル開発)
  • (1952年フォン・ブラウンの宇宙ステーション案)
  • (1957年ソ連人工衛星スプートニク打ち上げ成功)
  • 1958年NASA発足
  • 1958年有人地球周回飛行のマーキュリー計画開始
  • 1959年無人月着陸レンジャー・サーヴェイヤー計画と金星・火星接近のマリナー計画開始(JPL:ジェット推進研究所)
  • (1961年ガガーリンの有人宇宙飛行)
  • 1961年船外活動やドッキング技術のジェミニ計画の開始
  • 1961年有人月面着陸をめざすアポロ計画の開始
  • (1968年スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』)
  • 1969年アポロ8号の月面着陸
  • 1970年アポロ13号事故
  • 1972年アポロ計画終了
  • 1972年人工衛星ランドサット
  • 1972年火星・木星探査機パイオニア10号発射(JPL)
  • 1972年スペースシャトル計画開始
  • 1973年木星・土星探査機パイオニア11号発射(JPL)
  • 1973年スペースラボ計画開始
  • 1975年火星探査機ヴァイキング1・2号発射
  • 1977年天王星・海王星探査機ヴォイジャー1・2号発射(JPL)
  • 1981年スペースシャトル初飛行
  • (1983年SDI戦略防衛構想)
  • 1985年国際宇宙ステーションISS計画開始、日本は1988年より参加
  • 1986年チャレンジャー号事故、打ち上げ後まもなく空中分解し7名が犠牲になる
  • 1989年金星探査機マゼラン発射
  • 1989年木星探査機ガリレオ発射
  • 1990年ハッブル宇宙望遠鏡設置と不具合の発覚、1993年修理成功
  • 1993年ISS計画にロシア参加
  • 1997年土星探査機カッシーニ発射
  • 1998年火星探査の推進
  • 2003年コロンビア号事故、地球帰還で大気圏突入後空中分解し7名が犠牲になる
  • 2006年冥王星探査機ニュー・ホライズンズ発射、15年接近予定
  • 2009年ケプラー宇宙望遠鏡
  • 2011年ISSの建設完了とスペースシャトル終幕
  • 2011年木星探査機ジュノー発射、16年接近予定

フォン・ブラウン

1912年ドイツ生まれ。1932年よりドイツ陸軍の支援でロケットの研究開発開始。V-2ミサイルの開発。ドイツ降伏直前、フォン・ブラウン率いる技術者127名は米軍に投降し、戦後は米国陸軍でミサイル開発を続ける。1950年より弾道ミサイル「レッドストーン」の開発。1956年陸軍弾道ミサイル局開発事業部長に就任し、IRBM「ジュピター」を開発する。1958年人工衛星エクスプローラー1号打ち上げに成功する。1960年NASAマーシャル宇宙飛行センターの初代所長となる。

システム工学

NASAはワシントンの本部を含め全米に11か所のセンターがあり、それぞれ独自の開発目標を持ち独立して運営され、また、ある部分では技術的に密接に補完しあっていた。そのため、月面着陸を目指すアポロ計画のような多くの技術を統合して推進しなければならない巨大プロジェクトでは、統合的に管理しなければ、その実現は難しいと判断された。燃料ロケット、月着陸船、司令船など各部位の開発や宇宙飛行士の訓練、管制システムなどの進捗状況をフォローし、各部門間のインターフェースを調整したものがシステム工学である。システム工学は、コストやスケジュール管理も行い、システム管理を担うシステム技術者は、幅広い技術分野の理解と共に、管理能力や調整能力が要求される。アポロ計画の成功はシステム工学が支えたと言われている。

具体的には、開発する技術を文書化し、技術的な問題点を明確化しフォローする。そのため、システム工学は管理の集中化と簡易化、すなわち官僚化が必然である。ところが、宇宙飛行管制は、飛行時に突発的に発生する事象に対して管制官の経験による判断と実践が重要なのは明白であり、事前に準備されたシステム工学的シナリオによる判断では対応できないのは明白だったため、システム工学的な管理手法と実践経験的な手法の両方を取り入れた管理が必要だった。

ソ連との宇宙開発競争での度重なる方針転換や、アポロ計画からスペースシャトルへの転換、チャレンジャー号の事故処理などのNASAの歴史は、システム工学では対処できない修正と決断の連続であった。我々の日常業務でも技術の専門化と細分化が進んでいるため、プロジェクトすべてのシナリオを文書化することは不可能である。せいぜい各項目で基本的なスケジュール管理表を作成しそれに沿って仕事を進める。プロジェクト推進中には、対外的あるいは内部の突発的な問題によって必ず当初の想定とは異なる事態に遭遇し、絶えず修正が加えられる。プロジェクトの成否は、結局、修正判断を下す指導的立場の個人の分析能力、修正能力や決断力に依存している。

昨今のNASAは、官僚的な集中型・集権型から、分散型・分権型のシステムに変貌している。科学技術は高度に複雑化し、政治的・経済的な外部環境の変化は大きく、統一的管理よりも各開発センターの創造性や独立性を重視したモジュール開発がリスクを分散させる上で有利だということである。

ヒューストンの空港でアイスクリームの宇宙食を買った。乾燥しパサパサでとてもアイスクリームとは思えない代物だった。