ちょっと前になりますが、2007年12月9日付け朝日新聞の1面に、でかでかと載っていた「夜の公立中 塾が受験講座」の見出し。なにごとかと思って読めば、例の東京都杉並区立和田中学校で、来年1月から夜間の教室を使って大手進学塾の指導を格安で受けられるようになるのだという。名づけて「夜スペ」。察するに、「夜のスペシャル授業」の略か? うん、いかにも藤原和博校長らしいネーミング。
ただ、「夜スペ」の目的は、高校受験に向けた学力を伸ばすこと。説明会で「学校の授業についていけない子には負担だから無理に参加しないで」と校長自ら呼びかけていることからもわかるように、どちらかといえば、成績の良い子がより学力をつけるのが狙いのようです。
藤原校長はこうも言っています。「どんなに頑張っても、学校の授業ですべては教えられない」と。
…ふーん、そうなのか。今や、塾で勉強することはごく当たり前のことなんですね。私なんか、塾に行ったことがないので(というより近くに塾すらなかった)、今ひとつピンときません。学校の勉強だけでは高校入試に対応できないなんて、そっちの方がおかしくないかい?と思ってしまいます。むしろ、塾って、学校の勉強についていけない子や学校の先生の教え方にどうしても合わない子なんかが、「補習」の意味で通うところなのではと思っているもので。
だから、中学校が塾の指導を積極的に受け入れる、というスタイル、どうも納得できません。しかも、あの和田中が、というところにもちょっと違和感を感じています。和田中は、保護者や元PTA、教員志望の学生ら、様々な地域住民が参加する「地域本部」が学校を支えるという仕組みをいち早く作ったことで知られています。文部科学省も、この取組を手本として、来年度から全国的に、学校を支援する「ボランティア本部」を各地域に設置する事業を始めるみたいですし。今回の試みも、「地域本部」が主催ということらしい。やはり、何をおいても「学力」(とりあえず志望高校に合格するための)を身につけさせたいということなのでしょうね。
それにしても、文科省の「ボランティア本部」、たとえば「海外勤務経験のある人には英語の授業を手伝ってもらったり、学生時代に運動部にいた人には部活動の指導をしてもらったりする。造園が得意な人には、校内の花壇づくりなどに力を貸してもらう」といった例が示されていますが、土日の活動ならともかく、普段の授業に協力するとなると、ボランティアの人は自分の仕事を休まなければならないことも考えられます。いったい、「社会」(企業社会)がそういうことを認める段階に来ているのでしょうか。仕事休んで、学校(場合によっては自分の子どもがもう通っていない学校かもしれない)の授業を手伝いに行く?。─とんでもない、という声も聞こえてきそうですが。
そういえば、4年間和田中の校長を務めた藤原氏は今年度末で退任するのだとか。最後の最後に、やっぱり「学力」だということを示した格好になりますか。新年度からはまたリクルート社から新しい校長先生が赴任するらしい。藤原校長が敷いたレールにそのまま乗るのか、あるいはちょっと乗り換えするのか、それはそれで楽しみです。
ただ、「夜スペ」の目的は、高校受験に向けた学力を伸ばすこと。説明会で「学校の授業についていけない子には負担だから無理に参加しないで」と校長自ら呼びかけていることからもわかるように、どちらかといえば、成績の良い子がより学力をつけるのが狙いのようです。
藤原校長はこうも言っています。「どんなに頑張っても、学校の授業ですべては教えられない」と。
…ふーん、そうなのか。今や、塾で勉強することはごく当たり前のことなんですね。私なんか、塾に行ったことがないので(というより近くに塾すらなかった)、今ひとつピンときません。学校の勉強だけでは高校入試に対応できないなんて、そっちの方がおかしくないかい?と思ってしまいます。むしろ、塾って、学校の勉強についていけない子や学校の先生の教え方にどうしても合わない子なんかが、「補習」の意味で通うところなのではと思っているもので。
だから、中学校が塾の指導を積極的に受け入れる、というスタイル、どうも納得できません。しかも、あの和田中が、というところにもちょっと違和感を感じています。和田中は、保護者や元PTA、教員志望の学生ら、様々な地域住民が参加する「地域本部」が学校を支えるという仕組みをいち早く作ったことで知られています。文部科学省も、この取組を手本として、来年度から全国的に、学校を支援する「ボランティア本部」を各地域に設置する事業を始めるみたいですし。今回の試みも、「地域本部」が主催ということらしい。やはり、何をおいても「学力」(とりあえず志望高校に合格するための)を身につけさせたいということなのでしょうね。
それにしても、文科省の「ボランティア本部」、たとえば「海外勤務経験のある人には英語の授業を手伝ってもらったり、学生時代に運動部にいた人には部活動の指導をしてもらったりする。造園が得意な人には、校内の花壇づくりなどに力を貸してもらう」といった例が示されていますが、土日の活動ならともかく、普段の授業に協力するとなると、ボランティアの人は自分の仕事を休まなければならないことも考えられます。いったい、「社会」(企業社会)がそういうことを認める段階に来ているのでしょうか。仕事休んで、学校(場合によっては自分の子どもがもう通っていない学校かもしれない)の授業を手伝いに行く?。─とんでもない、という声も聞こえてきそうですが。
そういえば、4年間和田中の校長を務めた藤原氏は今年度末で退任するのだとか。最後の最後に、やっぱり「学力」だということを示した格好になりますか。新年度からはまたリクルート社から新しい校長先生が赴任するらしい。藤原校長が敷いたレールにそのまま乗るのか、あるいはちょっと乗り換えするのか、それはそれで楽しみです。
もし、人間的には問題があるが、勉強の教え方だけは職人的に上手な人がいたとしたら、その人は塾の教師になればよいと思います。
学校の教師は、総合力が必要だと思うのです。
とっても勉強したいと思っているが、残念ながら、理解力の足りない生徒がいたとして、その生徒が塾の教師の職人的教え方で勉強ができるようになるのなら、時間外にそういう助けを借りるのはよい事ではないですか?
ちょっと例は違うかもしれませんが、NOVAの被害者があんなにたくさんいるのを見ると、学校で役に立つ英会話を教えればよいのにと思ってしまいます。
私の考えは、記事にまとめてみましたので、今日の記事の方をどうかご覧ください。