mermarbleさんの「ファシリテーターの難しさ」を読んで、「学習の場」でのファシリテーターと「会議」でのファシリテーターの役割は少し違うのかもしれないと思いました。
「学習の場」(「参加型学習」の場)では、学習者の「合意形成」を図る必要は必ずしもありません。もちろん、学習活動の「目標」はあるわけですから、学習者一人一人がそれを達成できるように「手助け」することはファシリテーターの大きな使命です。ただそれにしたって、強制的に学習目標に到達させたり、達成できたかどうかをテストではかってみたりするものではありません。自分の考える方向に学習者を「誘導」するなんてもってのほかです。たとえて言うなら、「海岸」というゴールを示すことは必要ですが、「どの海岸」に行き着くかはそれぞれの学習者に「お任せ」でいいのです。
これに対して、「会議」というのは「合意形成」を図る場です。ある課題について、関係者の合意を得た上で物事を進めていくために行うのが会議です。しかし、合意形成というのは実にむずかしいものです。図られたはずの合意が実は一部の声の大きい人やエライ人の意見でしかなかったり、あるいはmermarbleさんの話にも出てくるように本当は「合意」以外の意見を持っているのにそれがきちんと取り上げられなかった(と思った)ためにあとでいざこざが起こる…。
ただ、どちらにも共通して言えるのは、「話し合い」の進め方、プロセスが大切ではないかということです。言った、言わない、聞こえなかったという問題が起こるのは、言語だけに頼る「話し」合いの最大の弱点です。プロセスを明らかにするためには、カードや付箋に「書く」こと、そしてそれをきちんと「配列する」ことが必要です。ファシリテーターは、そのプロセスを管理する役割をすることになります。途中、しつこいくらいに「前に戻る」ことも大切かもしれません。参加者全員がプロセスの一つ一つを確認し合いながら、合意に向かって進んでいく。そうすれば、みんなが納得した上で、物事が決まっていくのではないかと思います。
mermarbleさんの事例の場合、状況から見て、「書く」ことはむずかしいですね。何人くらいの方がいたのかわかりませんが、場合によっては、「全員」がきちんと意見を言うチャンスがあってもよかったのかもしれませんね。その上で少数派(この場合は衣装を変えることに反対だった人でしょうか)の方がなぜそう考えるのか、理由をはっきりさせて論点を絞っていく…とか。
なんて、言うのは簡単ですが、実際に仕切るとなるとなかなかうまくいかないものですよね。ファシリテートには「技」も「心」も必要だなーと改めて考えさせられました。
「学習の場」(「参加型学習」の場)では、学習者の「合意形成」を図る必要は必ずしもありません。もちろん、学習活動の「目標」はあるわけですから、学習者一人一人がそれを達成できるように「手助け」することはファシリテーターの大きな使命です。ただそれにしたって、強制的に学習目標に到達させたり、達成できたかどうかをテストではかってみたりするものではありません。自分の考える方向に学習者を「誘導」するなんてもってのほかです。たとえて言うなら、「海岸」というゴールを示すことは必要ですが、「どの海岸」に行き着くかはそれぞれの学習者に「お任せ」でいいのです。
これに対して、「会議」というのは「合意形成」を図る場です。ある課題について、関係者の合意を得た上で物事を進めていくために行うのが会議です。しかし、合意形成というのは実にむずかしいものです。図られたはずの合意が実は一部の声の大きい人やエライ人の意見でしかなかったり、あるいはmermarbleさんの話にも出てくるように本当は「合意」以外の意見を持っているのにそれがきちんと取り上げられなかった(と思った)ためにあとでいざこざが起こる…。
ただ、どちらにも共通して言えるのは、「話し合い」の進め方、プロセスが大切ではないかということです。言った、言わない、聞こえなかったという問題が起こるのは、言語だけに頼る「話し」合いの最大の弱点です。プロセスを明らかにするためには、カードや付箋に「書く」こと、そしてそれをきちんと「配列する」ことが必要です。ファシリテーターは、そのプロセスを管理する役割をすることになります。途中、しつこいくらいに「前に戻る」ことも大切かもしれません。参加者全員がプロセスの一つ一つを確認し合いながら、合意に向かって進んでいく。そうすれば、みんなが納得した上で、物事が決まっていくのではないかと思います。
mermarbleさんの事例の場合、状況から見て、「書く」ことはむずかしいですね。何人くらいの方がいたのかわかりませんが、場合によっては、「全員」がきちんと意見を言うチャンスがあってもよかったのかもしれませんね。その上で少数派(この場合は衣装を変えることに反対だった人でしょうか)の方がなぜそう考えるのか、理由をはっきりさせて論点を絞っていく…とか。
なんて、言うのは簡単ですが、実際に仕切るとなるとなかなかうまくいかないものですよね。ファシリテートには「技」も「心」も必要だなーと改めて考えさせられました。
おじゃまはさせて頂いておりましたが、コメントは大変に久しぶりです。
ファシリテイターは結局、それなりに場数を踏むといった訓練が必要だということだと思っています。具体でどうこうということは、私もまだよくわかりませんけど、これからはファシリテイターのような役割を担う人を増やしていくことがとても重要な気がしています。
hommeさんがおっしゃるように、場数は必要ですね。これまでも、誰もしゃべらなくて会議が進まないような時に、口火を切って進めるという役割を何回か担った経験はあるのですが、もっともっと修行して行きたいと思いました。
mermarbleさん、これは決して「ご指導」ではありませんのでね!
お二人がおっしゃるとおり、経験を積めば積むほどいいファシリテーターになれると思います。そのためにはファシリテーターが仕切る会議や学習の場がもっと増えていかなければならないですね。
実は、仕事で今年「ファシリテーター養成講座」というのをやることになりまして、現在プログラムを立案中です。入門基礎編というよりは、青森県内にいる「少しファシリテーターやったことある」という人たちを対象として、「場数をたくさん踏んでいる」県外のファシリテーターの方々の技術に実際に触れながら、ステップアップしていただければ…と考えています。そんな情報もいずれUPしていきたいと思っています。またよろしくお願いします。
場数を踏めば確かに、いろんな「場」に対する対処の仕方とか積み重ねることはできますが、結局は、ファシリテーターって「心」が大切で、ふだんのコミュニケーションの取り方や人間関係の持ち方が大きく左右すると思います。「どんな人」なのか、そしてそれを「どんな見せ方」で見せるか、が大事ですね。全人格といっても確かに過言ではないかも。
ファシリテーターには「技」も必要ですが、根底にあるのはやっぱり「心」ですね。