午後3時30分,松本市との境界に当たる梓橋に到達。熱いお茶とキュウリのからし漬けの歓待を受ける。
穂高駅から歩いてきた隊はここで松本市の隊に引き継ぎ、行進メンバーほぼ全員が代わることになるが、この日の終点の松本城まではあとわずかなので最後まで歩くことにした。
4時出発。
穂高駅から歩いてきた隊はここで松本市の隊に引き継ぎ、行進メンバーほぼ全員が代わることになるが、この日の終点の松本城まではあとわずかなので最後まで歩くことにした。
4時出発。
豊科の安曇野市役所で、礼文島から日本海沿岸を歩いて長野入りした本隊と合流。昼食休憩を挟んで安曇野市長,議会議長の歓迎挨拶を受ける。ここでも原爆投下容認発言への厳しい批判が続出。
午後からは日赤病院労組等,医療労働者が加わって参加者が増える。
午後からは日赤病院労組等,医療労働者が加わって参加者が増える。
7月5日(木),平和行進2日目。昨日は安曇追分で終わったのに、今日は何故か穂高駅から。9時50分集合,10時時30分発・・・,とずいぶんゆっくりのスタートだ。
大町の出発式に比べると半数以下の参加者で、県教祖や新日本婦人の会,福祉労働者等の参加者が多く、生協関係は3人だけになった。
出発に当たっての挨拶では辞任した防衛大臣の『原爆投下は仕方なかった』云々の暴言を指弾する声が渦巻いた。参加者の意気は高く、今日も元気に歩き始める。
大町の出発式に比べると半数以下の参加者で、県教祖や新日本婦人の会,福祉労働者等の参加者が多く、生協関係は3人だけになった。
出発に当たっての挨拶では辞任した防衛大臣の『原爆投下は仕方なかった』云々の暴言を指弾する声が渦巻いた。参加者の意気は高く、今日も元気に歩き始める。
雨が次第に激しくなり、途中までの人,途中からの人の出入りがあって大町からの参加者は23人にしぼられたとか・・,
途中,ハーブセンターでの休憩を挟んで再び高瀬川を渡り、R147へ戻る。最後はかなり激しい雨となる中,17時丁度に目的地の安曇追分駅に着く。出迎え多数!
明日も頑張るのだ!
途中,ハーブセンターでの休憩を挟んで再び高瀬川を渡り、R147へ戻る。最後はかなり激しい雨となる中,17時丁度に目的地の安曇追分駅に着く。出迎え多数!
明日も頑張るのだ!
雨の中,13時30分に松川村役場に着き、村長さん以下,役場の職員さんや地元農民連,9条の会,新婦人の会等の挨拶を受ける。
『おらほのせぇ~』で始まる松川ことばの『憲法9条』がユーモラスに披露され、拍手喝采!
『おらほのせぇ~』で始まる松川ことばの『憲法9条』がユーモラスに披露され、拍手喝采!
ブログ『森へおいでよ』のヒコさんご夫妻に会った。『こんな所で会うなんて・・・,と双方ともびっくり。
年に一度のこの行進には毎年参加していると言うヒコさんは、学生時代からの参加者で、東京~広島間の通し行進の経験を持つつわものだそうな。
年に一度のこの行進には毎年参加していると言うヒコさんは、学生時代からの参加者で、東京~広島間の通し行進の経験を持つつわものだそうな。
1958年以来,50回目を迎えた平和行進。今日の行程は大町市役所から安曇追分駅まで。
おりしも『原爆投下はしかたなかった』発言に怒り渦巻く中,出発前のセレモニーでも指弾の声轟々。核兵器廃絶への願を2本の脚に託して、信濃路23kmの行進に決意みなぎらせる生協メンバー達。
おりしも『原爆投下はしかたなかった』発言に怒り渦巻く中,出発前のセレモニーでも指弾の声轟々。核兵器廃絶への願を2本の脚に託して、信濃路23kmの行進に決意みなぎらせる生協メンバー達。