「隠れ家」を標榜する居酒屋がえらくはやっているというので、繁盛店をのぞいてみました。
入口か裏口かわからない地味な木戸をくぐり、トンネルのような薄暗い廊下をくねくね歩いて、予想以上に暗い個室に案内されました。
お決まりのアンティークフィニッシュ加工で、新品の壁もテーブルも昔風に黒く光っています。
味は平均的でしたが、暗くて食材がよく見えないのです。
肉の質をごまかすため、照明をわざと暗くした焼き肉屋があると聞いたこともありますが、確かに魚や野菜の鮮度がわかりません。
少し不安になりました。
その時、ふと、江戸時代の食事を想像しました。昔のテレビ時代劇の食事シーンは夜でもかなり明るい部屋に設定されていましたが、ハイビジョン放送が普及した今日では、画質が鮮明になり、リアルに暗い映像を流せるようになりました。
ただ、江戸時代の行灯は60ワット電球の100分の1程度の明るさしかなく、闇鍋状態ではなかったでしょうか。
だから、江戸人は朝も夕も明るいうちに食事をしたのです。
明六ツ(日の出の約35分前)に起きて支度をし、明るくなって朝食。
明るいうちに夕食をすませ、暮六ツ(日没の約35分後)には就寝。
太陽と寝食を共にする自然児のごとき時間軸は、お仕着せの「エコ」などかすんでしまう究極のサマータイム制なのです。
ならば件の「隠れ家」も照明を全て行灯に変え、「開店時間:暮六ツ、閉店時間:明六ツ」としてはどうか。
昼間の長い夏期は営業時間が短くなってしまう欠点もありますが、光熱費は抑えられるに違いありません。
そして、食材はもちろん、待ち合わせの相手の顔もよく見えません。
見えない方が都合のいい時もたまにはあるのですが、まずは相手を確認しなければ始まりません。
「誰そ彼(たそかれ)?」
たそがれ時の語源が体感できる居酒屋として、けっこう繁盛するのではないかと思うのですが・・・。