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鏡開き

2010年01月12日 | うんちく・小ネタ

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◆鏡開き (正月十一日)
正月行事も一段落して、非日常から日常へと生活のリズムが戻って行く頃、ちょっと遅れてやってくる正月行事が、この鏡開き。1月11日に行われるのが一般的なようです。

                                                          ◇鏡開きには刃物を使わない
鏡開きの主役である「鏡餅」は年神の霊力の象徴または、年神が宿るものです。鏡開きはその年神の宿ったあるいはその力を象徴した鏡餅を細かく砕いて、大勢で食べる。簡単に言ってしまえば神様を食べるようなものです。
これによって、年神の運んできた霊力を皆に分け与える儀式です。

昔から鏡餅を細かく分ける場合は包丁などを用いず、木槌や手によって餅を細かく砕いて行くことになっています。
なぜ包丁などを用いないかと言えば、神霊が刃物(金物?)を嫌うためだと言います。

うがった見方をすれば、神霊が運んでくる新年は春の始まり。春は五行では「木精」。これに対して刃物などの金物は「金精」。これは「金剋木」の関係にありますから、新年、あるいは春の気を運んできた年神に対して刃物を使うのは、春の気を損なう行為。つまり四季の順当な巡りを阻害する行為として禁忌とされたと考えることが出来ます。

ということだと、木槌はいいけど同じ槌でも金属の槌(金槌)はまずいって事でしょうね?

                                                           ◇鏡開きは蔵開き
もともと1月11日は蔵開きの日。農家にあっては畑仕事の開始である野入りの日。この日を仕事の始めとする職種も多かったと言います。
 
蔵の中には鏡餅が鎮座しておりまして、蔵を開いてこの鏡餅を砕き、雑煮や汁粉に入れて食べたのが鏡開きとか。

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                                                           ◇御武家様は正月二十日?
江戸時代の武家の鏡開きはもとは、1月20日だったと言います。
この日甲冑・具足に供えた餅を食べたことから、具足開きなどとも呼ばれたようです。
武家も商家と同じように1月11日となった理由としては、三代将軍家光の忌日が1月20日であったのでこれを避け、商家等に合わせたのだと言われています。

35_4                            江戸時代末期に撮影されたと思われる正月記念写真

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