あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

桃では無かった、桃の節供?

2010年03月01日 | うんちく・小ネタ

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3月3日は上巳(じょうし)の節供です。
本来は、三月初め(上)の巳の日に祝われたことから上巳の節供と呼ばれ、これが本当の名前なのですが、現在は桃の節供とか雛祭りと呼ばれるのが普通で、上巳の節供と言ってもあまりぴんと来ないかもしれません。

今回は、本当の名前より、みなさんに認知されているであろう「桃の節供」という呼び名についてのこぼれ話です。

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                                                              上巳の節供と思われる行事については中国の詩経鄭風に既に

 「三月上巳に蘭を水上に採って不祥を祓除く」

と書かれています。詩経の成立は紀元前9~7世紀とされているので、3000年近く昔にはそれらしい行事が行われていたことになります。もちろん日本での行事はこんな昔の話ではなくて、奈良・平安の頃中国のこの行事が伝わってきたものです。ここで問題は詩経の内容、「三月上巳に蘭を水上に採る」です。

登場したのは「桃」ではなく「蘭」なのです。
もっともこの蘭は我々の考える蘭ではなくて藤袴(ふじばかま)のことだと考えられています。藤袴と言えば秋の七草の藤袴ですが、藤袴は蘭に似た芳香を放つ植物なので、蘭の仲間と考えられたのかもしれません(花は似てもにつかないものですけれど)。

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芳香を放つ草は悪いもの、禍々しいものを祓う霊力があると考えられていたことから、これはそうした不祥を祓う行事だったのでしょう。
また「水上に採る」とは「水辺で採る」の意味です。水辺というのは水による穢れ祓い(禊ぎ)の際にこうした芳香を放つ草をその近くで調達したということでしょうか。

端午の節句と関係の深い菖蒲もまた、芳香を放つ水辺の植物ですが、これも節供が邪を祓う行事であって、その呪術的な道具として芳香を放つ水辺の植物が使われたことを示しています。

そして、身に付いた不祥は自分の身代わりの人形(古くは草人形、後には紙や布で作ったもの)に移して河に流していました。                                            各地に残る「流し雛」の行事はこうした古い上巳の節供の姿を残したものです。

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古い時代の節供には、この「邪を祓う」という行為が主であったので、関係する植物も邪を祓う水辺で調達出来るものが使われたようです。ですから、上巳の節供の始まりの頃まで遡ると今私たちが普通に「桃の節供」と呼ぶような、桃の花との直接の結びつきはなかったようです。

桃の花と上巳の節供が結びつくようになったのは何時かということはよく解らないのですが、どうやらこうした「邪を祓う行事」の意味が薄らぎ、お雛様が河に流されるような簡易なものから、家に飾られるような雛人形に変わってから以降と考えられます。だとすると室町時代の終わり頃でしょうか。

お雛様を家に飾り、様々な装飾を加える中で、香りによって邪を祓うための呪術的な道具としての「草」から、装飾にも用いられる「花」へと変貌したのでしょうね(芳香を放つという点では通じます)。

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桃の花自体は、前出の詩経の時代から佳い娘になぞらえられる花でしたし、鬼や邪気を祓う霊力のある植物であるとも考えられていたものですから、女児の節供にはぴったりの花として上巳の節供と結びついたのではないでしょうか(鬼退治といえば、桃太郎。これも「桃」による鬼追いの話です)。

我々にとっては上巳の節供と言えば桃の節供のことですが、最初から桃の節供として生まれたわけでは無さそうです。

「伝統行事」と一口に言いますが、こうしてよく見てゆくと、始めから今のような姿で生まれたわけではなくて、それぞれの時代時代に様々なことが付け足され、あるいは忘れられながら姿を変えて今の伝統行事になって来たのですね。

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161 コメント

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POST MAN様 (京のほけん屋)
2010-03-07 23:59:54
POST MAN様
コメントに感謝致します。

温かいお言葉に、感謝致します。

皆さまからのお声に励まされ、
とても幸せ者だと感じています。
一日も早く完治するよう、養生致します。

有難うございました。


藤袴の載った作品は、あまり見つけられ
ませんでした。
以下にご紹介致します。

万葉集:秋の七草:
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花
   女郎花また藤袴 朝貌の花
        (万葉集・巻八 1538)

源氏物語:夕霧は玉鬘に藤袴を差し
       出して
「おなじ野の露にやつるゝ藤袴
    あはれはかけよかことばかりも」
             と詠いかける。

「むらさきのふぢばかまをば見よと言ふ
    二人泣きたきここち覚えて 晶子」
  (与謝野晶子の『源氏物語』訳より)

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藤袴という花は、耳にする (POST MAN)
2010-03-07 23:36:10
藤袴という花は、耳にする
ことはあっても見たことがありません
でした。
記事の中の写真で見る限り、
綺麗! という感じでもないですね。
でも、昔の人は、どのように感じた
花だったのかなぁ。
文学の中の藤袴について
教えて下さい。

お腰はいかがですか?
このブログだけでも、随分と長い時間、
パソコンの前に座っていることになりま
すよね。
それ以外にも、お仕事でも、
椅子での生活が長いのでは?

じわじわと腰に負担がかかり、
お疲れとともに、疲労が腰痛を招きます。

京のほけん屋さんの具合が悪いと知った
だけで、もう、胸が痛くって痛くって。

とにかく、今は少し動けるとは言っても、
安静にして下さいね。
早いご回復を・・。



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コメントを戴いています 皆々様 へ (京のほけん屋)
2010-03-07 06:42:05
コメントを戴いています 皆々様 へ

私の腰痛のことで、
ご心配をお掛けして申し訳ございません。

今日は随分と良くなりました。
大きな痛みがウソみたいに無くなって来ました。

根治までは、まだまだかと思いますが、
それでも、初日とは比べようもないほど楽です。

これもひとえに、皆様のご声援の賜物だと
思っています。

多くの方からのご心配のコメントに、
随分と励まされました。

本当に有難うございました。

心から深く感謝申し上げます。


                京のほけん屋


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フーミン様 (京のほけん屋)
2010-03-07 06:31:17
フーミン様
コメントに感謝致します。

藤袴について、以下のように
まとめました。


【藤袴】 フジバカマ
(藤袴、学名:Eupatorium fortunei)
とはキク科ヒヨドリバナ属の多年生植物。
秋の七草の一つ。

■分類
界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 : キク目 Asterales
科 : キク科 Asteraceae
属 : ヒヨドリバナ属 Eupatorium
種 : フジバカマ E. fortunei
■学名
Eupatorium fortunei
■和名
フジバカマ(藤袴)
■英名
Thoroughwort

特徴
本州・四国・九州、朝鮮、中国に
分布している。原産は中国とも
いわれるが、万葉の昔から日本人に
親しまれてきた。
8-10月、散房状に淡い紫紅色の
小さな花をつける。
また、生草のままでは無香のフジバカマ
であるが、乾燥するとその茎や葉に
含有されている、クマリン配糖体が
加水分解されて、オルト・クマリン酸
が生じるため、桜餅の葉のような
芳香を放つ。

・中国名:蘭草、香草 
・英名:Joe-Pye weed;
Thoroughwort;Boneset;
Agueweed(ヒヨドリバナ属の花)

かつては日本各地の河原などに
群生していたが、今は数を減らし、
環境省のレッドリストでは準絶滅
危惧(NT)種に指定されている。
また「フジバカマ」と称する植物が、
観賞用として園芸店で入手でき
庭にも好んで植えられる。
しかし、ほとんどの場合は本種
でなく、同属他種または本種との
雑種である。

薬草としての藤袴
・利尿剤
・風呂の湯に入れる

意匠
・満州国の紋章


ご心配戴き、有難うございます。
心より感謝致します。


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みちのく一人遊び様 (京のほけん屋)
2010-03-07 06:04:01
みちのく一人遊び様
コメントに感謝致します。

桃の花について、以下のように
まとめてみました。

薔薇(ばら)科。

・学名 Prunus persica
Prunus : サクラ属
persica : ペルシャの
     Prunus(プラナス)は、
      ラテン古名の
      「plum(すもも)」が語源。

・開花時期は、3/15頃~4月末頃。
(ふつうの桃は3/15頃~4/15頃で、
   「菊桃(きくもも)」はそれより遅く、
    4/10頃~4月末頃に開花。)

・3月3日の「桃の節句(ひなまつり)」に
 桃をひな人形のとなりに添えるが、
 これは温室内で育てた桃で、
 屋外の桃の開花はもう少しあとに
 なってから。
 また、早咲きと遅咲きがある。

・枝に沿ってびっしりと花をつける。
 幹には桜のような横線が入っている。

・いろいろ種類がある。ふつう、町で
 みかけるのは、花桃(花を鑑賞する
 目的の園芸品種)。

・縄文時代から栽培されている。

・実が赤いところから「もえみ(燃実)」
 が変化して「もも」になったらしい。
 杏の実ともそっくり。花のときによく
 見きわめておかないと間違えちゃいます。

・「桃」の字は中国から伝わった。

・桃の字の「兆」は”妊娠の兆し”を
 意味しており、桃が「女性」や
 「ひな祭り」と関係があるのは
 この理由かららしい。

・桃の花の色から「桃色」という色名
 が生まれた。

・日本昔話の「桃太郎」も有名。
 桃太郎は桃から生まれた強い
 男の子ですね。この話自体、
 相当昔からあり、桃の木は万葉
 の頃から霊力のある木とされてきた。

・「桃栗 3年、柿8年、梅は酸い
 酸い13年、柚子は大馬鹿18年、
 林檎ニコニコ25年」。
実を結ぶ時期のこと。
 何事も、時期が来なくてはできない
 というたとえ。

・3月3日の誕生花(桃)

・3月27日の誕生花(枝垂桃)

・花言葉は「チャーミング」(桃)

・花言葉は「私はあなたのとりこです」
              (枝垂桃)

・岡山県の県花(桃)→「桃太郎」伝説

・「春の苑 紅(くれない)匂ふ 桃の花
  下照る道に 出(い)で立つ少女(をとめ)」
                   大伴家持

「白桃や 莟(つぼみ)うるめる 枝の反り」
                 芥川龍之介

ご心配をお掛けしてすみません。
湿布の使い分け、有難うございました。


返信する
ピンチがチャンス 様 (京のほけん屋)
2010-03-07 05:44:22
ピンチがチャンス 様
コメントに感謝致します。

人形(ひとがた)とは、木製のもの以外に
金属製、石製、土製等の各種のものが
あり、古代世界において、人間の形代
として呪い、病気治療、祓いに用いられ
たとされています。
いわば人間の身代わりとなって罪、穢を
流す祓いの行為に使用されていました。
このような行為は、中国の漢時代から
史料に見え、それが日本に伝わった
ものと考えられています。
日本では、宮中において、年に2度の
晦日の日に、1年の罪、穢をいわゆる
「ひとなでひと吹き」という行為の後、
人形に移し流したとされています。
このような宮中での行為が各地に
広がっていったものと考えられますが、
人形の出土例は、古代における
官衙(役所)のあった地域に集中
する傾向があります。
特に大宰府は、都から下向してきた
官人層の存在を考えると、都との
密接な結び付きがうかがえると
いえます。


お気持ちに感謝致します。

返信する
蝉坊士様 (京のほけん屋)
2010-03-07 05:43:43
蝉坊士様
コメントに感謝致します。

ラン科(蘭科、Orchidaceae)は、
単子葉植物の科のひとつで、
その多くが美しく、独特の形の花を
咲かせます。
世界に700属以上15000種、
日本に75属230種があります。
鑑賞価値の高いものが多く、
栽培や品種改良が進められています。
他方、採取のために絶滅に瀕している
種も少なくないとか。

ラン科の種はラン(蘭)と総称され、
英語では「Orchid(オーキッド)」で、
ギリシア語の睾丸を意味する
「ορχις (orchis)」が語源で、
これはランの塊茎(バルブ)が
睾丸に似ていることに由来するとか。

分類
界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 単子葉植物綱 Liliopsida
目 : ラン目 Orchidales
科 : ラン科 Orchidaceae

亜科
ヤクシマラン亜科 Apostasioideae
アツモリソウ亜科 Cypripedioideae
ネジバナ亜科 Spiranthoideae
チドリソウ亜科 Orchidoideae
セッコク亜科 Epidendroideae
バンダ亜科 Vandoideae

皆様にご心配をお掛けしてすみません。
腰痛は辛いものですね。
時間とともに、驚くほど良くなってきました。
しかし、油断せず、しっかりと養生を続けようと
思っています。

ご声援に感謝致します。

返信する
GOFIX様 (京のほけん屋)
2010-03-07 05:03:49
GOFIX様
コメントに感謝致します。

・「形代」(かたしろ)は、身代わり
 信仰の現われで、人間の身代わり
 とされました。三月の上巳の節句に、
 この形代で体を撫でて、身のけがれ
 や禍いを人形(ひとがた)に移し
 代わらせて、川や海に流して幼子の
 無事な成長を祈るものでした。

・「形代」(かたしろ)は、古代からの
 ものです。縄文の土偶、弥生の
 人面土器、古墳時代の人物埴輪
 などからも推測することが出来ます。
 古代では祓以外にも、多分に呪術的
 な要素も多かったのではないかと
 言われています。

・流してしまうのですから、素材も
 簡素なものでした。現在と異なり、
 紙は貴重品でしたから、草木などが
 使用されていました。

◆最近の「形代」(かたしろ)
・全国の神社で「大祓」と呼ばれる
 行事があります。知らず知らずの
 うちに犯した罪や過ち、心身の
 けがれを祓い清めるための行事です。

・「古事記」にも記載され、平安時代
 の国家の法制書である「延喜式」にも
 記されており、古くから行われていた
 ことが解ります。六月と十二月の行事で、
 年に二回、毎年六月と十二月に行われ、
 六月は「夏越しの大祓」、十二月は
 「年越しの大祓」と呼ばれています。

・「大祓」(おはらえ)には「撫で物」
 (なでもの)とも呼ばれる「形代」
 (かたしろ)に、名前と年齢を書き、
 身体をなでて息を吹きかけます。
 それが自分の罪・禍・けがれを
 移すこととなり、海や川に流して
 わが身の代わりに清めてもらうのです。

ご心配かけてすみません。
早く完治するように、養生に努めます・・。


返信する
センチメンタルジャーニ様 (京のほけん屋)
2010-03-07 04:34:09
センチメンタルジャーニ様
コメントに感謝致します。

有難うございます。
ご心配戴いて感謝致します。

日本の農民にとって、春三月という
時期は、草木が萌え出し、新しい
年の農耕が始まろうとする季節です。
人々は山から田の神を迎えるため、
海や山へ出て一日を過ごし、
身のけがれを洗い流すいろいろな
まじないをするようになりました。

これを「巳の日の祓い」と言いますが、
撫物という穢れを除くための禊や祈祷
などに用いる人形を、紙や土でつくり、
これで体を撫でて、穢れや禍をなどを
移し、川に流したり、祈祷所で祓い
捨てたりしました。
今でも、このような風習を残すところ
があります。

特に、鳥取県の因幡地方、和歌山市
加太や吉野川、紀ノ川流域で行われる
「流し雛」が有名です。
また、広島県では三月三日までは
お雛様を飾りますが、三日の夕方
あるいは四日には流してしまいます。
奈良県では、雛壇に飾る雛とは別に、
めいめいが紙で作った雛を桟俵
(米俵の両端の円いふたの部分)や
竹の皮で作った舟にのせて流します。
これらの行事は「雛送り」とも呼ばれ
ています。

このように、三月三日の雛祭りは、
中国からの「上巳」の行事が日本
固有の祓いの行事と結びついて
根づいたものでした。
雛祭りは初めは宮中や貴族の間で
行われていましたが、やがて武家社会
でも行われるようになり、江戸時代に
入ると五節句の一つとなりました。
元禄以降になると雛人形も段々華美
になり、幕府から御触書が出るなど
しました。

明治以降は華やかで、にぎやかな
ものとなりました。

返信する
先頭で銭湯に戦闘に行く男様 (京のほけん屋)
2010-03-07 04:06:48
先頭で銭湯に戦闘に行く男様
コメントに感謝致します。

十二支のことです。十二支は「年」だけ
でなく「月」や「日」、「時刻」、「方位」
にも割り当てられています。
上巳の節供の「上巳」とは、
「上旬の巳の日」という意味です。
「上旬、中旬、下旬」の上旬という
意味です。
十二支はその名のとおり12個あり、
旧暦における1か月は29日又は30日
ですので、「上旬」(1日~10日)に
巳の日が二つあることはありません。
つまり「最初の巳の日」ということです。

同じことは「端午の節供」にもいえます。
端(たん)とは端っこ、最初という意味
ですので、「最初の午の日」という
意味になっています。
5月に限った話ではありませんが、
「午」は午前午後など「ご」と発音
しますので、5月5日になったわけ
です。

なお、「節供」と「節句」は現代では
ほぼ同義に用いられますが、昔は
区別されていました。
節とは季節のこと。現代の季節は
4つですが(四季)、昔は24に細分化
していました(二十四節季)。
つまり、1か月に2つの節があったわけ
です。かつての宮中(皇室)では、
節に際し、天皇ご臨席の宴を開く
習慣がありました。
これを節会(せちえ)と呼びます。
節会には、定められた形式による
食事、飾り付けがあります。
これが節供です(節に供えるもの、
という意味)。

「おせち料理」は、本来、正月の
「節供料理」というわけです。
一方、当時の貴族は、宴でよく
歌会(歌合せ)をしていましたが、
「節句」とは節にささげる詩や和歌
のことなのです。句とは歌のことですね。
現代では余り区別しなくなりましたが、
この回答では「節供」を用いました。
ちなみに、七夕は一般には
「たなばた」と呼ばれますが、正しくは
「シチセキ」といいます。

ご心配かけてすみません。
有難うございます。

返信する
シリウス様 (京のほけん屋)
2010-03-07 03:39:13
シリウス様
コメントに感謝致します。

ご心配をお掛けしてすみません。
早く根治するように、今はひたすら、
無理は致しません。
皆様にご心配をお掛けしてしまい、
申し訳ございません。

紫式部や清少納言が活躍した
平安中期ごろは、宮中や公家の
家々では「ひいな」の遊びが盛んでした。
上巳の祓い(じょうしのはらい)とは
別に雛遊という人形をもって遊ぶ
児戯があります。
これを「ひいなあそび」と呼んでいます。
これについて本居宣長は、ちいさく
造ってあるので鳥のひなにたとえて
雛というと、言っておりますが、
もともと京都が発祥地で「ひいな」は
京都のなまりとする方が自然のようです。
雛遊びが初めて史書に登場されたのは
貴族の大人を対象とした遊びにあり、
これが子供たちの世界にひろまったのは、
かなり早いようです。
この雛遊が雛祭に発展していったとみる
根拠は、ひいなあそびのひいなが
進化したものと見られることにあります。
また、雛遊が単なる子供の
「ままごと遊び」と違うところは、
必ず男女対の人形を使っている事です。
三月三日(必ず巳の日には限らない)の
上巳の祓いと、雛遊が結びついて、
後の雛祭となります。
室町時代になって、豪華な男女一対
の人形を贈答する風習が起こり、
三月三日の夜は枕元に置き、
翌日には寺、神社でお祓いをお願いし、
雛収めを済ませ、また翌年には三月に
取り出すと言う習慣が定着しました。


返信する
小倉太鼓様 (京のほけん屋)
2010-03-07 03:10:52
小倉太鼓様
コメントに感謝致します。

有難うございます。
早い完全回復に努めます。


ひな人形は、古い文献には、
皆「ひひな」または「ひいな」とあります。
「ひひな」とか「ひいな」は、平安時代の
中期、つまり今より千年ほども前に
記述がありますが、紫式部の
「源氏物語」や、清少納言の「枕草子」
に出てくる「ひいな遊び」という言葉は、
紙でつくった人形や布を用いて簡単に
つくられた人形や、当時の身の回りの
道具類を模したお道具類などで遊ぶ、
今の「ままごと遊び」のようなものと
思われるので、この人形が、
ひな人形の元祖と考えてもいいと思われます。

「ひいな遊び」については種々の文献があり、
たくさんの諸説があって、この時に始まったと
断定することはできませんが、
「ひいな遊び」は平安中期には存在しており、
夫婦になぞらえた男女一対の「ひいな」を
中心とした遊びであり、宮廷を中心とした
ものということは、はっきりしています。
返信する
さざんクロス様 (京のほけん屋)
2010-03-07 02:39:07
さざんクロス様
コメントに感謝致します。

真宗大谷派 光暁山 専徳寺
(熊本県球磨郡相良村柳瀬769)
です。

雛人形の寺として有名です。
ご住職の安部 弘昭氏が、
娘さんの誕生の時に買い求めたのを
きっかけに、旅先や仕事先で見つけ
ては、ひとつひとつ集めっていったもの
だそうです。

今やその数、1200体、古いものでは、
二百三十年前、江戸時代後期ごろの
古今びなもあるすばらしいコレクションです。
尚、展示の期間は、毎年2月~3月の間
(拝観料300円大人のみ)です。
このころは、「人吉球磨は、ひなまつり」と
銘打って、人吉・球磨各所でも
おひなさまが、飾られます。



ご心配戴き、心から感謝致します。
少しは動けるようになってきましたが、
無理はしないようにします。

有難うございました。

返信する
不思議じゃない国のアリス様 (京のほけん屋)
2010-03-07 02:16:57
不思議じゃない国のアリス様
コメントに感謝致します。

雛祭りの楽しい思い出の残る
雛人形です。またお守りとしての
身代わり人形とも云われているため、
処分に困り、廃棄できないと聞きます。
今まで大切にしてきたおひなさまですから、
ゴミにポイッと捨てるわけにはいかないと
多くの人が考えています。

そんな処分に困った、飾らなくなった
雛人形は、近くの神社や、寺院に
持っていきましょう。
多くの神社・寺院では、人形の供養を
受け付けてくれるはずです。

また、毎年、日を決めて盛大に
供養祭を行う寺院や神社もあります。
内容は、人形をまとめて集め、
御祓いをして、昔はその場で
お焚き上げをしていましたが、
最近では、専門の業者が
供養祭の後、引き取っていきます。


ご心配戴いて、申し訳ございません。
用心しながら完治を待ちます。
有難うございました。


返信する
さーちゃん 様 (京のほけん屋)
2010-03-07 02:00:42
さーちゃん 様
コメントに感謝致します。

ご心配戴き感謝致します。
ジッとしてるのも、辛いですね。
でも、早く治したいので我慢我慢。
今日は随分、動けるようにはなりましたが、
今は、とにかく・・・専念致します。


『雛人形の質を重視しましょう』とか
『雛人形の飾るスペースを考えて
形式を決めましょう』などの意見は、
とても大切でどこでも誰でもアドバイス
することです。

しかし、もっと大切なことがあると思います。
娘さん(もしくはお孫さん)が好きになって
くれるおひなさまを選ぶことです。
ほとんどの子供は『雛人形は大ききければ
おおきいほどよい。』、『沢山人形が揃って
いるほど楽しい。』と思うようになりますので、
親の『邪魔にならない程度に小さく、
飾るのがめんどくさくないのがよい。』
という意見とどう折り合いをつけていくかも
ひとつのポイントです。

親から見れば、きれいで美しい御雛様でも、
子供の目から見ると、寂しかったり、
楽しくなかったりすることもあります。
そうはいっても、お母さんが、毎年楽しく
一緒に雛人形を飾るのを楽しみにして
いるのを見た娘さんは、きっと同じように
御雛様を好きになってくれるものです。

そんなお母さんを見て、お母さんからの
愛情を感じ、大きくなっていきます。
それこそが一番大切な事だと思います。


返信する
まなむすめ様 (京のほけん屋)
2010-03-07 01:45:18
まなむすめ様
コメントに感謝致します。

ご心配をお掛けしてしまい、
恐縮の極みです。
早く完治するよう、養生致します。


木目込み人形は、今から約二百五十年
ほど前、江戸時代の元文年間に、
京都の賀茂神社の雑掌高橋忠重が
工夫したものと伝えられ、賀茂人形
または加茂川人形などとも呼ばれています。

賀茂人形は木彫りの土台に刻み目をつけて、
刻み目の溝に糊を入れ、ちりめんあるいは
綿などの布地の端を、目打ちでもって
木目込んで作りました。布地を木目込む
ことによって、実際に縫った衣装を着せた
のと同じ味わいを出しているのが特徴で、
現在では木彫りではなく、量産のため主に
樹脂に溝の入った胴体を形成しています。

またごく一部では『とうそ』と呼ばれる木の粉
を糊で固めた胴体を形成し作った木目込み
人形もあります。

返信する
eエージェント様 (京のほけん屋)
2010-03-07 01:28:31
eエージェント様
コメントに感謝致します。

雛人形の種類には、大雑把に分けて、
七段飾り・五段飾り・三段飾り・親王飾り
があります。七段飾りは十五人飾りともいい、
お雛さま、お殿様、三人官女、
五人囃子(ごにんばやし)、随身(ずいしん)、
仕丁がおり、雪洞(ぼんぼり)、屏風、桜橘、
三宝(さんぽう)、丸餅、菱餅、お膳揃い、
茶道具、火鉢、衣装袋、針立て、鏡台、
長持、箪笥(たんす)、牛車(ぎっしゃ)、
重箱、お籠の嫁入り道具など一式が
揃った飾りです。五段飾りは多くの場合、
十五人飾りと人形の数は同様で、
七段飾りの下の二段が省かれた、
すなわち茶道具、火鉢、衣装袋、針立て、
鏡台、長持、箪笥、牛車、重箱、
お籠が無く、七段飾りの上から五段を
そのまま飾ったものです。
三段飾りは五人飾りともいい、通常、
お殿様、お姫様、三人官女が揃い、雪洞、
桜橘、三宝、丸餅、菱餅、牛車、重箱、
お駕籠を、三段に飾ります。
親王飾りは、平飾りともいい、お殿様、
お姫様のふたりと三宝、雪洞、桜橘、
菱餅を飾るのが一般的です。
また、布地で衣装を作り、胴体の芯に
着せつける人形を衣装着(いしょうぎ)と
いいます。それに対して、樹脂や桐塑の
ボディーに生地を木目込む、京都の賀茂
を発祥とする木目込み人形でお雛様を
表したものもあり、ふたりだけの親王飾りから、
十五人揃った十五人飾りまで様々です。
最近では、飾り台を箱型にして、
その中へ人形やお道具をしまう『収納飾り』
が現われ、いままでかさばった収納を
コンパクトに収めることができるタイプの
雛人形がでてきました。
ただ、コンパクトに収めるため、あらゆるものを
詰め、人形の型崩れが起きやすかったり
するので注意が必要です。
この収納飾りは、主に親王飾りか
三段飾りで採用され、収納箱が大きいと
運搬が困難になるので、飾り幅が70cm
程度にまで抑えてあり、小さいお雛様を
中心に飾るようになっています。
他には、布のハギレを使って簡単に作った
ひな人形や、折り紙で作ったものなど
様々な形で雛人形は愛されています。

ご心配戴き、本当に有難うございます。
時間が薬ですね。
と、判っていても、
早く万全にしたいですね。



返信する
京のほけん屋様 (フーミン)
2010-03-07 00:28:13
京のほけん屋様
うわぁ~、大変ですね。
だいじょうぶですか?

早くお元気になりますように。
心からお祈り致します。

頭にいくつ知識の引き出しがあるのか、
不思議な方ですね。
こんなに豊富なテーマを与えて戴いて、
感謝してます。

藤袴について教えて下い。
あまり知らない花です。
返信する
京のほけん屋様 (みちのく一人遊び)
2010-03-07 00:02:08
京のほけん屋様
ご無理なさらず、ゆっくりとお休み下さい。
腰痛は辛いですよね。
痛みのある時は、冷たい湿布。
痛みが和らいだら、暖かくなる湿布を
使って下さいね。

いつも感動と喜びを有難うございます。
記事の素晴らしさと、写真のクオリティ
の高さにはびっくりです。
私たちが感激している裏側には、
想像を超えたご努力があると思います。
そのご努力に、私たちは支えられてると、
そう言っても過言ではありません。
感謝しています。

桃の花についていろいろと教えて下さい。
返信する
「ひとがた」とは何でしょうか。 (ピンチがチャンス)
2010-03-06 23:43:55
「ひとがた」とは何でしょうか。
これも中国の史実から学んだ
ことなのでしょうか。
昔と今では同じことをしているのか等、
歴史的なことも含め教えて下さい。

京のほけん屋さんはすごい。
これだけ長い期間の掲載でも、
ちっとも飽きが来ないどころか、
毎回、ワクワクして読んでいます。

早く良くなって下さいね!
返信する
京のほけん屋様 (蝉坊士)
2010-03-06 23:33:02
京のほけん屋様
大丈夫ですか?
心配です。
みんなと同じ気持ちになって、
こうして心配出来るのが嬉しいです。


早くお元気になりますように。


蘭って高い花ですね。
育てるのが大変らしいですね。
この花の分類について、
植物学的に教えて下さい。

蘭の花に囲まれる生活・・
いいだろうなぁ。
高貴な花のイメージがありますよね。
返信する
形代(かたしろ)について教えて下さい。 (GOFIX)
2010-03-06 23:23:08
形代(かたしろ)について教えて下さい。
埴輪などもこれと関係があるのでしょうか。
昔は、木や草を編んだものとか。
今なら、フィギア?
あぁ、そう考えると、霊験新たかな行為も、
変な感じになりますね(笑)

コメント欄を読み返していてびっくりしました。
大変なことになってしまいましたね。
ご養生下さいね。
みんなと同様、心配してます。
返信する
流しびなについて、詳細を教えて下さい。 (センチメンタルジャーニ)
2010-03-06 23:03:55
流しびなについて、詳細を教えて下さい。
京都以外でもやっていますか?
こういう風習って、いいですよね。
雛を流す母と子の姿をTV等で見ると、
そこには親子の絆を感じたり、
厳粛さまで感じて、気持ちが洗われ
たようになります。

腰痛は大変ですね。
私はお風呂もトイレも一人では
いけない有様でした。
ご養生下さい。
返信する
京のほけん屋様 (先頭で銭湯に戦闘に行く男)
2010-03-06 23:02:47
京のほけん屋様
お見舞い申し上げます。
無理をしないで養生して下さいね。

上巳の節句(旧暦3月3日)は、
なぜ「上巳」というのですか?
すごいですよね。
このブログは、すでに本業の
大看板ではないでしょうか。
これだけの記事をきちんと更新し続け、
誰からも信頼される内容に
まとめ上げ続けています。
ちょっと他では見つけられません。
というか、無いのではないかと思います。
蘊蓄以上の情報を発信続けている、
京のほけん屋さんを、
心から尊敬してます。
返信する
Unknown (シリウス)
2010-03-06 22:53:31
ひいなあそびって、聞いたことが
ありますね。
これの意味するところとは何でしょうか?
やはりは発祥地は京都ですかね。
元々は大人が楽しんでいた遊びが、
子供の為にと変わって行ったことも、
面白いと思います。

それにしても、京のほけん屋さんの
ブログに、お雛さんの写真が掲載
されるとは思いもしなかったです。
ちょっとほのぼのとした(でもアート的な)
写真が並んだ記事を見て、
またやられたと思いました。


腰の具合が早く良くなりますように・・。
返信する
Unknown (小倉太鼓)
2010-03-06 22:52:45
京のほけん屋様
お見舞い申し上げます。

とっても心配してます。
早く治っていただけるように、
祈ってます。

いつも興味深い記事を有難うございます。
源氏物語の中に、「ひいな遊び」というのが
出て来ますが、これも、雛祭りに該当すること
でしょうか。
もうひとつ、「ひひな」という言葉もありますね。
これは、「ひいな」とは別でしょうか?
言葉や名称の変化についても、面白い
時代の変貌が隠されていそうですね。
返信する
京のほけん屋様 (さざんクロス)
2010-03-06 22:45:09
京のほけん屋様
大丈夫ですか?
腰痛は予告なく襲ってくるので
嫌ですね。
私も、3回くらい腰を痛めました。
寝てるか、座るかしてると、
痛みを感じないのですが、
少しでも動こうとすると、
すっごい痛いものですよね。
しばらく時間がかかりますが、
ゆっくりしていて下さい。
一日も早く治りますように!

お雛さんを驚異的な数、
コレクションしているお寺が
あるそうですね。
九州の方だと伺ったのですが、
拝観も出来るとか。
どこにあるかご存知でしょうか?

返信する
雛人形の供養・処分・廃棄の (不思議じゃない国のアリス)
2010-03-06 22:42:33
雛人形の供養・処分・廃棄の
仕方を教えて下さい。
おばあちゃんの言うことと、
親戚の言うこと、更に、
人から聞いたことでは、
方法が全く違うのです。
ここは、もう、京のほけん屋さんに
頼るしかありません。
どんな方法があるかを教えて下さい。

京のほけん屋様
お身体の具合はいかがですか。
心配してます。
心からお見舞い申し上げます。
返信する
大変。 (さーちゃん)
2010-03-06 22:42:02
大変。
大丈夫ですか?
腰が痛い時は、身動き出来ず
ジッとしてるしかないですし、辛いですね。
少しは休みなさいという、神様のお声かも。
ゆっくりとご養生して下さい。

雛人形の選び方ってどこがポイント
になるのでしょうか。
京のほけん屋さんに、どこのメーカーの
といった質問をするつもりはありません。
京のほけん屋さんなら、精神面におい
てなど、なにかレクチュァ―を頂けそうな
気がしたものですから。
すみません・・。
ご指南いただけたらうれしいです。
返信する
京のほけん屋様 (まなむすめ)
2010-03-06 22:40:43
京のほけん屋様
腰の具合はどうですか?
心配でたまりません。
早くお元気になりますように!

素晴らしい楽しい、記事を有難うございます。
最近は特にまた写真が良くて、
感激を重ねています。

木目込み人形のお雛さんについて
教えて下さい。
木目込みという意味も良く解りません。
歴史ある日本らしい技法のような・・。

これからも、コメントでご迷惑を
お掛けすると思いますが、
こうしたつながりに、皆さんと、それから
京のほけん屋さんとの環を感じて、
色んなご質問をするかと思います。
・・懲りないで下さいね。
返信する
京のほけん屋様 (eエージェント)
2010-03-06 22:35:43
京のほけん屋様

大丈夫ですか?
腰痛の場合、これだという、治すための
決め手が無いですね。
時間が解決する、唯一の?!良い薬です。
とにもかくにも、ご養生下さい。

あぁ心配です。


私もここで自分が成長していくのを
感じています。
あまり暗い話は書けませんが、
いろんな嫌なことがあって、このブログ
を知るまでは、解決もしないままでした。
それが、ここで丁寧に扱って戴いて、
気持ちが和んで来ました。
心から感謝いしています。

雛人形の種類について教えて下さい。
返信する
飢え過ぎ検診様 (京のほけん屋)
2010-03-06 05:30:08
飢え過ぎ検診様
コメントを有難うございました。

有難うございます。
僅かですが、一日一日、回復していくと
信じています。
ご心配戴いて、感謝致します。

座雛が技術的に完成の城に達したと
見られるのは次郎左衛門雛でしょう。
延享(1744年)につくられたもので、
京都の岡田姓菱屋次郎左衛門の
創案によります。次郎左衛門雛の
特徴は、面長に描いた首を整った
曲線でまとめ、顔は引目かぎ鼻の
典雅な筆で全体に清新な味を
表現しています。

男雛は、黒袍に、くぼみに霞の紋が
浮織になっている袴をつけています。
女雛は、五衣(いつぎぬ)、唐衣に
裳(もすそ)をはいています。

雛人形の中でも佳作の部に属して
いるといわれ次郎左衛門雛の流行は
圧倒的に江戸の人気を独占しました。
しかし、宝暦九年(1759年)江戸が
京雛の移入を禁止したため、
京の菱屋(次郎左衛門)、かぎやの
江戸進出となりました。
しかし宝暦末に菱屋が江戸へ
進出して以来、次郎左衛門雛は、
明和、安永より天明を経て、
寛政末年まで、およそ三十余年の間に、
すっかり江戸化してしまったと見られます。
次郎左衛門雛の衰退は、
京雛に対抗する江戸人の義憤と見る
向きもありますが、やはり江戸人の
好みにあった江戸雛として、
古今雛が登場かるに及んで、
全く姿を消しました。

古今雛は、明和(1764年)年末に
原舟月の手によってつくられました。
古今雛が従来の雛と違う点だけ
取り上げますと、衣裳に金糸、色糸を
使って、鳳凰や薬玉の縫紋を加工したり、
袖に紅綸子(べにりんず)を用いて
色彩を豊かにしたことと、二畳台を設けて
雛を据えていること、頭が写生的に
精巧を極めた点などがあります。

なかでも画期的な技巧は、原舟月が
山車の製作者だったことから、
雛の両眼に玻璃玉(はりだま)を
嵌め込んだことといわれます。
それから以降の雛は多く古今雛の
技法を採り入れてつくられています。

返信する
奈良の吉野桜様 (京のほけん屋)
2010-03-06 04:22:17
奈良の吉野桜様
コメントに感謝致します。

ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ありません。
投薬成分まで調べて戴いて、恐縮です。
その成分は、エーザイの「ナボリンEB」
に多く含まれていますね。
お気遣いにも感謝致します。

雛人形の段飾りがおこったのは、
江戸時代中ごろ、武家、町人の飾り方で、
宮中や公家の間では、雛人形は男女
一対の形でした。
雛のかたちは、立雛と座雛に分類されます。
「立雛」は主として紙で作られたもので、
一名「紙雛」とも呼ばれます。
立雛の方が歴史は古く、形から推察しても
天児(あまかつ)・婢女(ほうこ)からきた
男女一対の雛人形のように見えます。
きわめてシンプルな形で、厚紙で胴体をなし、
そこへと桐塑頭・木で作られた頭を差し込み、
面相を整え髪つけをしたものです。
座雛は寛永(1624年)以後に作られたもので、
抽象的な立雛に比べて、写実的な彩りに
つつまれています。
面白いのは、上巳の節句、雛遊と雛の
対象が貴族、武家にとどまっていた頃は
立雛で、それが武家から庶民の手に移って、
庶民の創造から生まれたものが
座雛であるということです。
しかし、座雛がつくられてすぐに立雛が
無くなった訳でなく享保(1716年)頃までは
立雛と座雛が対等に飾られています。
そして享保以後は座雛が主、立雛が
従となりました。
こうして色々と形が整えられて古今雛
(1764年~1772年)に至って男雛・女雛
の一対雛人形が様々な人形や調度品・
道具が加わり豪華なものになってまいりました。
ところで、上方と江戸では雛人形の飾り方が
異なり、上方は御殿飾りの二段飾り
(御殿内に雛一対を置き、その他に官女・
左大臣・右大臣・桜橘を置きほか座敷に
天児・這子・犬張子・市松人形・御所人形・
お公家様の調度品を置く)、江戸では、
五段飾り・七段飾り・九段飾りと最上段に
内裏雛を置くという飾り方でした。
明治以降になって、雛人形も全国的に
同じ傾向になりました。


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自衛損(13日の金曜日)様 (京のほけん屋)
2010-03-06 03:30:46
自衛損(13日の金曜日)様
コメントに感謝致します。

お人形に使われているのもその金襴です。
金襴は、十二単や和服の帯や小物に
使われる織物で金糸銀糸を使用し
四季折々の花鳥風月をきらびやかで
豪華に織り込みます。
おめでたい柄の、鳳凰・松竹梅など
金襴の中には今も日本の伝統美が
美しく表現されています。
金襴のランクは、使用される糸の素材
(正絹・人絹・化繊など)と横糸・
縦糸の色数とによって決まります。
色数は、一丁二丁という言葉で表現され、
色数の多いほど高級とされますが、
少ない色数でも縦糸の色の取り方や、
柄いきの作り方によって複雑な図案を
表現することも可能です。
佐賀錦などが一般的金襴の代表です。
あるいは、特殊な織り方でふっくらとした
風合いを出すふくら織りや、
複雑な織りで金のグラデーションを
出すたちばな段箔は、織りに技術として
高級品の部類に含まれます。
織りの後に特殊加工をする金彩加工や
刺繍なども手間が掛かり、お人形の
衣裳の中では高級品です。
また図案としては平面的で華やかさに
欠けるものの、古代名物裂などは
上品で落ち着いた伝統美を醸し出す
ことで通好みの高級金襴とされています。

ご心配を戴いて、本当に申し訳ございません。
有難うございます。
一日も早く、完治したいと、今は願うばかりです。


返信する
オズモンド様 (京のほけん屋)
2010-03-06 02:41:35
オズモンド様
コメントに感謝致します。

別名「隋臣(ずいしん)」と呼ばれます。
お殿様のお供をしたり、
時には恋の橋渡しをしたりと
色々なお仕事をこなします。
右側に若者、左に髭のおじいさんです。

ご心配戴き有難うございます。
感謝申し上げます。
養生に努めます(涙)

返信する
みずの様 (京のほけん屋)
2010-03-06 02:29:44
みずの様
コメントに感謝致します。

いわすもがな雛壇の主役、
別名お内裏様(おだいりさま)。
関東風の飾り方では、
お姫様は向かって右。
関西風では、向かって左に
位 置します。

アドバイスなど有難うございます。
心強い限りです。
ご心配戴き、感謝申し上げます。

返信する
名鉄のポッポ屋 様 (京のほけん屋)
2010-03-06 02:09:12
名鉄のポッポ屋 様
コメントに感謝致します。

別名「親王(しんのう)」とか
「お内裏様(おだいりさま)」と
呼ばれます。

ご心配をお掛けしてすみません。
痛みは例えようの無い痛みですね。
腰痛を抱えてしまうと、
いつなるか、不安を持つことにもなります。
きちんと完治させたいと思っています。

有難うございます。
返信する
スズメランナー様 (京のほけん屋)
2010-03-06 01:52:09
スズメランナー様
コメントに感謝致します。

ご心配いただいて申し訳ございません。
昨日よりは痛みは楽になっているようです。
でも、まだ外には出掛けられません。
腰という字のごとく、
身体の要の部分だと、よく解ります。

皆さまからのご心配とご声援に
少しでも応えられるよう、
養生に励みます・・。

返信する
Unknown (京のほけん屋)
2010-03-06 01:44:06
カクテルバー様
コメントに感謝致します。

ご心配戴き、心から御礼を
申し上げます。

走り始めると、手を抜けない性格・・。
それ故に、損な一面もあります。

腰痛と向き合って、完治に努めます。

返信する
メーテル様 (京のほけん屋)
2010-03-06 01:37:23
メーテル様
コメントに感謝致します。

ご心配戴き、有難うございます。
早く治して、外へ自由に出掛け
られるようになりたいですね・・。

宮中で雑用をする人たち。
怒りじょうご、泣きじょうご、
笑いじょうごの3人なので、
三人上戸(さんにんじょうご)ともいい、
台笠(だいがさ。帽子をかけます)、
沓台(くつだい。靴をのせます)、
立傘(たちがさ)を持ち、
出掛けるときの様子をあらわしています。
ほうき、ちりとり、熊手を持っている場合は、
宮中を掃除する様子をあらわしています。

庶民ならではの喜怒哀楽溢れる
愉快な出演者です。

返信する
福島の野口様 (京のほけん屋)
2010-03-06 01:25:12
福島の野口様
コメントに感謝致します。

有難うざいます。
予感?めいたものがあっても、
急に痛みが来て、そのまま動けなく
なりますね。
痛みを忘れている時もあるのですが、
何かちょっとした動きに、激痛が起きるため、
どうにもなりません。
腰は人の身体の要ですね。


返信する
忍二区大使様 (京のほけん屋)
2010-03-06 01:12:33
忍二区大使様
コメントに感謝致します。

お内裏様を警護する人たち。
向かって左の若者が右大臣、
右の髭をはやした老人が左大臣で、
弓矢を持っています。

ご心配戴き、申し訳ございません。
徐々によくなってくると思います。

有難うございます。



返信する
Web kong 様 (京のほけん屋)
2010-03-06 01:03:58
Web kong 様
コメントに感謝致します。

お囃子の演奏をする人たち。
向かって左から太鼓(たいこ)、
大鼓(おおかわ)、小鼓(こつづみ)、
笛(ふえ)、謡(うたい)。
それぞれの表情も違います。
彼らは元服前の貴族の師弟で、
才能を認められると元服後に
宮中で取り立てられたりという
こともあり、結構真剣だったようです。

ご心配を戴き、心から感謝申し上げます。
一日も早く、元に戻れるよう、
養生に努めます。

返信する
タラバのカニ 様 (京のほけん屋)
2010-03-06 00:47:58
タラバのカニ 様
コメントに感謝致します。

有難うございます。
腰痛は辛いですね。
何よりも、自由が利かなくなり、
動けないことへのもどかしさが募ります。

ご心配をかけて申し訳ございません。
一日も早く、回復したいと、
私自身、念じています。
返信する
ペイリン復活様 (京のほけん屋)
2010-03-06 00:40:26
ペイリン復活様
コメントに感謝致します。

有難うございます。
何とか、パソコンの操作には
支障が無い範囲で入力を続けられそうです。
ご心配戴き、心から感謝致します。

返信する
飛行機雲様 (京のほけん屋)
2010-03-06 00:31:56
飛行機雲様
コメントに感謝致します。

有難うございます。
ぎっくり腰・・だと思います。
痛みが走ると、動けないものですね。
この辛さは、忘れた頃にやってくる?!

治療に専念致します。
(ブログは大丈夫です)
返信する
腰痛の具合はいかがですか。 (飢え過ぎ検診)
2010-03-06 00:18:21
腰痛の具合はいかがですか。
私たちが無理をさせてしまったのでしょうか。
すごく心配しています。
早く完治して欲しいと、心から願うばかりです。

座雛への美 について、京のほけん屋さんの
感覚等も含め、教えて下さい。
次郎左衛門雛というのは聞き覚えが
あるんですが、それはどのような時代の
どんなものですか?
古今雛などに興味があるのですが、
まだまだ興味の範囲を超えてはいません。
高額でコレクションも出来ないし、
今は指をくわえているだけです~。
返信する
黄色いあひるちゃん様 (京のほけん屋)
2010-03-06 00:05:55
黄色いあひるちゃん様
コメントに感謝致します。

ご心配をお掛けしてすみません。
しっかりと、治します。
有難うございました。

女官長は既婚なので眉がありません。
内裏に仕える女官たち。中央の
女官長はお酒を飲む盃を三方に
のせて持ち(上方では松竹梅の
飾りのついた「嶋台」)、
結婚しているので眉毛がありません
(昔は結婚すると眉毛をそりました)。
向かって左の女官は、
お酒の入った「加えの銚子」を持ち、
口を開いています。
向かって右の女官は、お酒を注ぐ
「長柄の銚子」を持ち、口は閉じています。
返信する
お具合いかがですか。 (奈良の吉野桜)
2010-03-06 00:05:03
お具合いかがですか。
コメントを読んでいて、
もうびっくり。
友人にまで知らせたくらいです。

腰痛には、メコバラミンというB12が
いいそうです。
薬局でも構いませんし、ご相談できるように
動けるといいですね。
お大事になさってください。


立雛から座雛へうつる時代背景 を
教えて下さい。
これだけのブログを作られた
京のほけん屋さんのすごさですね。
多くの人が集まって、色んなコメントを
残してますが、どれもこの空間に居ることを
楽しんでいますね。
そして、癒されているように思います。
深く感謝します。

返信する
Unknown (自衛損(13日の金曜日))
2010-03-05 23:47:48
京のほけん屋様
大丈夫ですか?
腰痛は私も自衛隊員時代に
経験しました。
部隊内の医務室で、痛みどめ
の注射を打たれて、ただ寝てるだけ。
ベッドが硬いですからね、それが腰に
良いとはいえども、長く横になるのは
辛かったです。
三日目から、マッサージと牽引。
7日はほとんど動かせてもらえません
でした。
リハビリは二週間ほどだったかな。

どうか、くれぐれもご養生下さいませ。


金襴どんすの帯締めながら・・・
という唄がありますが、金襴とは
どういうものなのでしょうか。
歌は歌いながらも、その意味を
全く知らないでいました。
こういうのって多いかも、
今日はその一つを、
解消したいです。

返信する
Unknown (オズモンド)
2010-03-05 23:29:02
バトン、いただきました。
右大臣・左大臣について
教えて下さい。
ありゃりゃ、バトンの最後に
なってしまったんですねぇ。
う~ん。今度は初めのバトンを
したいですね。

京のほけん屋様。
もう、家族以上に心配です。
このブログの存在の大きさでしょうか。
心配です。

病院に行けるようになれば、
行って下さいね。
完治するまで長いのかなぁ・・。
ブログも、休みながらで構いませんし、
とにかく、お元気になって下さい。
心からのお願いです。
返信する
Unknown (みずの)
2010-03-05 23:22:33
お姫様のバトン、受け取りました。
これは楽しい。
自分がここに遭遇しないと
判らないことですね。
感激です。
右大臣・左大臣について
教えて下さい。

大丈夫ですか?腰を痛めると、
辛いですよね。
私も、二年に一回は、かなり重い
腰痛を起こしてしまいます。
冷やさないことが一番かな。
カイロなどで温めてみてはいかがでしょう。
返信する
Unknown (名鉄のポッポ屋)
2010-03-05 23:05:13
京のほけん屋様

心配です、心配です。
無茶しないで下さいね。
腰は無理すると、どんどん治りが
悪くなります。
痛みは、気候にも影響しますし、
今のような三寒四温の時は、
管理し難いですね。
とにかく、今はじっと横になって
いて下さいね。

バトンのお殿様を受け取りました。
宜しくお願いします。
次は、お雛様でお願いします。

こうしたコメントの流れが出来るのも、
このブログが、大勢の人に読まれて
いるからですね。
そうでないと、このバトン、
中断になってしまいます。
次はお姫様でお願いします。
返信する
Unknown (スズメランナー)
2010-03-05 22:43:27
お具合はいかがですか?
なんだか、泣きそうな気分です。
腰痛と戦うほけん屋さんが、
初日の痛みの酷い時でも、
ちゃんとこのブログを管理されて
いるんですから。
どれだけお辛いことか。
ビジネスブログとはいえ、
力を抜いて下さいね。
このコメントには返事無用ですよ!

一日も早いご回復を祈っております。
返信する
Unknown (カクテルバー)
2010-03-05 22:12:55
お見舞い申し上げます。
ご無理がたたったのではないでしょうか。
なんにでも人一倍、いや、10倍くらい、
熱心にされるので、身体にも負担が
溜まって来たのではないでしょうか。
このブログを見ていれば、
京のほけん屋さんの日々の頑張り具合が
判りますよ。
どんなお仕事でも、お付き合いにでも、
一生懸命される方でしょう。

少し、ゆっくりとして下さいね。
心配してます。
返信する
大丈夫ですか? (メーテル)
2010-03-05 21:45:51
大丈夫ですか?
無理されてませんか?
痛みが落ち着くまで、
しっかり養生して下さいね。
心配しています。

バトン頂戴致しました。
仕丁について教えて下さい。
これ大好きですね。
緊張感があるし、
みんなと繋がっていることを、
強く感じます。
スピードも求められるし・・。
次のバトンは、お殿様でお願いします。
返信する
私もよくなるんですよ。 (福島の野口)
2010-03-05 21:30:27
私もよくなるんですよ。
腰が張って来たかなと思ったら、
用心してますが、電気が走るような痛みに
襲われたが最後、動けなくなります。
右足、前! と、頭で指示しても
ぜんぜん動かなかったりもします。
痛みの酷さは、
ゆっくり時間をかけて治すしかありません。
くれぐれもご無理のないように。

一日も早いご回復を祈ってます。

返信する
バトンもらったぁ~! (忍二区大使)
2010-03-05 21:20:20
バトンもらったぁ~!
随身について教えて下さい。
次は、次は、仕丁を
お願いします!

それよりも、
大丈夫ですか?
心配です。
腰痛といっても、
もし内臓などの疾患だったら、
いやですよ。そんなの。
私たちの尊敬する京のほけん屋様。
早く、元気になって下さいね。
返信する
バトンを受け取りました。 (Web kong)
2010-03-05 21:09:03
バトンを受け取りました。
五人囃子について教えて下さい。
これは、緊張しますね。
こうしたバトンを考えた人、
すごいなぁ。
おっと、早くコメントをアップしないと、
マズイですね。
次は随身でお願いします。

腰痛う早く治るといいですね。
身体を動かさないことが、一番の養生かも。
この際、本当にゆっくりとされて下さい。

返信する
Unknown (タラバのカニ)
2010-03-05 20:58:16
びっくりました。
腰を痛めたご様子。
私は、幸いにも経験はありませんが、
仕事場の方が、ぎっくり腰で動けなくなり、
職場からタクシーで病院へ行き、
その後、ご自宅療養を長くされてましたね。
お辛いでしょうが、どうか
完治するまでゆっくりとご養生下さい。

返信する
Unknown (ペイリン復活)
2010-03-05 20:48:29
腰痛ですか。
びっくりしました。
そうですよね。
あんなに遅くまで、このブログの為に
ご努力されてるんですから、
疲労も溜まって、腰にも来ますよ。
私だったら、
肩こりや首の張りが出て、
腕も痛くなって、もう、何もしたくない、
出来ない!!と、なってます。

本当に、ご無理なさらないように。

ご養生ほど。
返信する
うわ~~。 (飛行機雲)
2010-03-05 20:30:50
うわ~~。
大丈夫ですか?
腰痛って椎間板ヘルニアとかですか?
ぎっくり腰でしょうか?
いずれも痛いですよね。
松葉杖があっても動けません。

とにかく、
しっかり治して下さいね。
ご無理のないように。

返信する
腰痛はいかがですか? (黄色いあひるちゃん)
2010-03-05 20:25:19
腰痛はいかがですか?
心配してます。
早く治りますように・・・。

さて、
決まりです!
続けてバトンをはじめます。
お人形さんのことについて
教えて下さい。
まずは、三人官女からお願いします。
次は五人囃子でお願いします。

返信する
磯野毛様 (京のほけん屋)
2010-03-05 02:38:57
磯野毛様
コメントに感謝致します。

ジッとしていると、痛みを感じない
こともあるのですが、
どうかした動きによって、
激痛を招きます。
外には出られそうにありません。
病院にも・・難しいですね。

ご心配戴き、感謝申し上げます。



返信する
メーテル様 (京のほけん屋)
2010-03-05 02:35:15
メーテル様
コメントに感謝致します。

有難うございます。
コメント返しの方は、大丈夫です。
皆さんとの連帯感を、私も大切に
していきたいと考えています。

それでも、
どうしても…という時は、
どうか、お許し下さい。

返信する
タッチ様 (京のほけん屋)
2010-03-05 02:30:57
タッチ様
コメントに感謝致します。

ご心配かけてすみません。
早く治したいです・・(涙)
返信する
メタボリック星人様 (京のほけん屋)
2010-03-05 02:30:31
メタボリック星人様
コメントに感謝致します。

牛にひかせる乗用の屋形車。
御所車とも呼ばれます。
乗る人の身分や用途によって、
種類があり、名称も異なります。
唐庇車(からびさしのくるま)、
雨眉車(あままゆのくるま)、
檳榔庇車(びろうびさしのくるま)、
檳榔毛車(びろうげのくるま)、
糸毛車(いとげのくるま)、
半蔀車(はじとみのくるま)、
網代庇車(あじろびさしのくるま)、
網代車(あじろのくるま)、
八葉車(はちようのくるま)、
金作車(こがねづくりのくるま)、
飾車(かざりぐるま)、
黒莚車(くろむしろのくるま)、
板車などの名称があります。

返信する
京都三条大橋の主様 (京のほけん屋)
2010-03-05 02:12:20
京都三条大橋の主様
コメントに感謝致します。

茶の湯に使用される移動式の
棚のこと。正式な茶の湯に
使用されるもので、
風炉・釜・水指・建水・
杓立・蓋置の皆具を
載せたものです。
返信する
Unknown (磯野毛)
2010-03-05 01:49:41
腰痛は痛いですよね。
大丈夫ですか。

あまり痛みがあると、
病院にも行けませんね。
私も経験がありますが、
車にも乗れませんでした。
どうかお大事になさって下さい。

早く良くなりますように。

返信する
Web茶屋 様 (京のほけん屋)
2010-03-05 01:49:13
Web茶屋 様
コメントに感謝致します。

赤い毛氈(もうせん)は 、お雛様の
必需品です。最近の雛人形は
木製の雛壇や飾り台が増えていますが、
やはり緋色のもうせんは雛祭りの定番です。
毛氈の裾模様は、繧繝(うんげん)模様
と呼ばれています。
ぼかしを使用せずに、同系統の色を
淡色から濃色に並列にして色彩の
濃淡の変化をあらわす彩色法のことです。
紅・青・緑・紫などの色を多く使います。
朝鮮の古墳壁画などにみられ、
奈良前期に日本に伝来しました。

返信する
シルク様 (京のほけん屋)
2010-03-05 01:33:56
シルク様
コメントを有難うございました。

簡略形は四角の箱のみですが、
正式な火鉢は「台火鉢」と呼ばれ、
猫足形の4本の足のついた
四角形をしています。

返信する
Unknown (メーテル)
2010-03-05 01:33:36
京のほけん屋様
パソコンの前に座り過ぎでは?
お仕事もし過ぎでは?
無理ばかりされていたのではないでしょうか?
心配心配。。
ゆっくり養生して下さい。
コメント返しは、いいですよ。
このブログのみんななら、判ってくれますよ。
心配・・。

返信する
ドバイ食久様 (京のほけん屋)
2010-03-05 01:32:43
ドバイ食久様
コメントを有難うございました。

長持ちと同様に外出の際に
必要な衣類・調度・装身具などを
納めて、従者に担がせたものです。
四角形で、フタがついていて、
棒をフタの上に通して肩に
担ぎました。
古来、竹に衣服を挟んで
運んだために、「鋏箱」という
名前となりました。
大名行列では先頭を行くため、
先箱「さきばこ」と呼ばれました。

返信する
富士の裾野はオッペケペ様 (京のほけん屋)
2010-03-05 01:29:37
富士の裾野はオッペケペ様
コメントを有難うございました。

衣服や調度などを納める
長方形の大型の箱。
外出用のもので、吊り金具が
両方についていて、
棒を通して前後二人で
担ぐように作られています。
返信する
Unknown (タッチ)
2010-03-05 01:28:53
だ、大丈夫ですか!??
腰痛はつらいですよね。
一歩も歩けないという、
あの辛さ。
なった者にしかわかりません。

お大事になさって下さい。
心配だぁ~。
返信する
エクスペアリ様 (京のほけん屋)
2010-03-05 01:26:58
エクスペアリ様
コメントに感謝致します。

箪笥(たんす)は、
衣服や服飾用の小道具などを
納める収納家具。
引出しがついていて、江戸時代
になって現在の形がつくられました。
当然のことながら、お雛道具も
江戸時代以降ということとなります。


火事場のクソ力・・という
表現があります。
火事の時に、思わず箪笥を持ちあげて
避難したという、緊急時に出る想像以上
の力を言い表しています。
裏を返せば、それだけ、箪笥の中身は
大切なモノが入っているということにも
なります。

・・・
私は、火事場に関係したわけでもなく、
ましてや箪笥も持ち上げてはいませんが、
腰痛に襲われ、歩くこともままならなく
なりました。
今日も一日動けないかも。
皆さんも、腰は大事ですから、
温度差の激しいこの時期、腰にはご留意
下さいね。
返信する
おろな民C様 (京のほけん屋)
2010-03-05 01:12:12
おろな民C様
コメントに感謝致します。

内裏(だいり)とは天皇の
住まいである御所のことで、
内裏びなは天皇、皇后の姿を
あらわした男びな(お内裏様)と
女びな(お雛様)です。

日本古来の並べ方は、左上位の
考え方により向かって右に男びな、
左に女びな(人形側から見ると、
左上位で左に男びな)でしたが、
昭和天皇が国際マナーにそくして
右上位に並ぶようになってからは、
向かって左に男びな、右に女びな
を並べるようになりました。

今でも伝統を重んじる京都などでは、
日本古来の並べ方です。

返信する
シークレットアルバートアンド様 (京のほけん屋)
2010-03-05 00:48:31
シークレットアルバートアンド様
コメントに感謝致します。

節供には、ふだんの生活では
食べられないような、おいしくて
珍しい食べ物を供えるたりしますが、
昔は、子どもたちが家々を回り歩き、
その家の人に黙って料理を食べる
習慣がありました。
雛祭りのときにも、子どもたちが
一団となって、訪ねては、
お雛様が飾られている家々を
餅や雛あられを勝手に取ったりしました。
これを愛知県や岐阜県では、「ガンドウチ」
と言います。

ガンドとは強盗をガンドーと呼んだことから
きた言葉です。
この地方では、十五夜に月見団子を
盗むことも許されていて、
このような事を「カンドウチ」と言います。
岡山県では、おなじような風習を
「雛荒らし」と呼んでいて、
子どもたちは「お雛荒らしに参じた」
と言いながら、お雛様の供え物を
もらって歩きます。

高知県では、雛遊び自体を雛荒らし
と言い、女の子の生まれた家は、
豆と餅を持って浜に行き、
途中で行き会った人みんなに
配るというならわしもあります。
返信する
ホライゾン様 (京のほけん屋)
2010-03-05 00:35:22
ホライゾン様
コメントに感謝致します。

あかりをつけましょ、ぼんぼりに~♪の
雪洞は、雛壇の飾りだけでなく、
戸外では夜桜見物や祭りを彩って
います。雪洞は蝋燭をともす燭台に、
行灯や提灯とおなじように、
炎が風で揺らめいたり消えたりするのを
防ぐ工夫をこらした照明具で、
初めは四角形でしたが、やがて六角形
のものができ、円筒形のものも
作られました。
これが優美なうえ、酷闇をほんのり
浮き立たせて情緒があるため、
江戸時代中期には広く普及しました。
床や地面に置いて使うもののほかに、
枠の下のほうにも取手のついた
携行用のものもあります。


返信する
Unknown (メタボリック星人)
2010-03-05 00:24:28
は~い。最後のバトンの
牛車を受け取りました。
京のほけん屋様、お願いします。

これはいいなぁ。
先にテーマが決まって、
順番に回す。でも、
誰が受け取ってくれるのか
判らない。
でも、自分も前の人のコメントを
楽しみながら読んでるっていうこと。

この連帯感が、いいなぁ~。
返信する
佐世保航空隊様 (京のほけん屋)
2010-03-05 00:24:01
佐世保航空隊様
コメントに感謝致します。

「雛の節句」(雛祭り)になぜ貝が
そなえられるのか、関西の篠山地方
にはこんな伝説が残っているといいます。

・お雛さまには「耳たぶ」が無い。
・お雛さまはタニシが大好きで、
 うららかな春のある日、タニシが
 泣いているのを聞いて
 「私の耳たぶと取り替えてでも、
 タニシが食べたい。」と言った。
・それから、お雛様には「耳たぶ」が
 なくなったという。 
それで、今でも篠山地方では、
3月3日の「雛祭り」には、
タニシが備えられるそうです。

返信する
大津琵琶子様 (京のほけん屋)
2010-03-05 00:10:26
大津琵琶子様
コメントに感謝致します。

人は、何かの日と思い出を
結びつけることが多いようです。

その為に、クリスマスや
バレンタインに結婚する人もいます。

お父様のその日に、お雛様というのも、
お父様にすれば、娘さんを育てていく中で、
節句は特別な日のひとつだっただろうと
思いますので、その日に、想い出して
もらえるのは、とても嬉しい事ではないで
しょうか。

想い出のひとつに触れさせて戴いたことを、
嬉しく思います。
返信する
凛凛蘭蘭様 (京のほけん屋)
2010-03-04 23:51:53
凛凛蘭蘭様
コメントに感謝致します。

これにはこれで歴然とした理由があります。
この菱餅の四角い形は、大地をかたどった
形なのです。

中国古代の伝説では、天は丸く大地は
四角いものと考えられていました。
そして天は男子の徳、地は女性の徳を
持ったもの(天皇陛下の誕生日を天長
節、皇后様の誕生日を地久節と呼ぶ
のもこの考えから)と考えましたので、
女児の節供である雛祭りの餅は、
女性の徳をもった大地をかたどって菱形に
作るのだそうです。

ちなみに端午の節供に作る粽は、
天をかたどって丸く作る事になります。
お供えの餅の色や形の一つ一つにも、
色んな意味があるものですね。

返信する
は~い。バトンの台子を (京都三条大橋の主)
2010-03-04 23:51:17
は~い。バトンの台子を
受け取りました。
京のほけん屋様、宜しく
お願い致します。
次は、最後の牛車ですね。
バトンを宜しくお願いしま~~す!
返信する
バトン受け取りました! (Web茶屋)
2010-03-04 23:45:50
バトン受け取りました!

毛氈でお願いします。
やったね。
このチャンスは、そうそうない
ですから。

次は台子でお願いします。

返信する
ブラッシュアップ様 (京のほけん屋)
2010-03-04 23:44:24
ブラッシュアップ様
コメントに感謝致します。

三色の菱餅になる以前は
何色かと調べてみると、これは
白と緑の二色だったようです。
白は普通の白い餅。緑は草餅
の色です。
この二色の餅を、

  草餅・白い餅・草餅

と三枚合わせに重ねたものが
雛祭りの菱餅でした

草餅は別名よもぎ餅とも呼ばれる
ように、現在この緑の色を出すものは、
よもぎです。

よもぎは邪を祓う植物とされています
(端午の節供などでも登場します)から、
よもぎ餅を供えることには邪気を祓うと
いう意味がありそうです。

返信する
Unknown (シルク)
2010-03-04 23:43:51
バトン受け取りました。
火鉢でお願いします。
いやぁ、これはほんと、
気持ちの上でも嬉しいですね。
次はだれがバトンを受け取るのかと、
そんな楽しみもありますし。
次は毛氈でバトンをお渡しします!
返信する
Unknown (ドバイ食久)
2010-03-04 23:39:05
京のほけん屋様
鋏箱をお願いします。
バトン受けました!!
次の方は「火鉢」で
バトンをお渡しします!
宜しくお願いします。

ところで、怪奇現象発生!
コメントの入力枠の下に、
過去のコメントがずらりと
並んでました。
つまり、コメントの中に入力枠が!
OCNさん、何これ?
返信する
Unknown (富士の裾野はオッペケペ)
2010-03-04 23:36:04
バトン受け取りました。
長持について教えて下さい。
今度は2番手ではなく、
一番にバトンを出来るように
したいですねぇ。
このバトン、やってみると、
やっぱり面白い!

返信する
Unknown (エクスペアリ)
2010-03-04 23:29:06
お待ちかねの、バトンです!
やったね。最初にやらせて戴きます。
小道具関係で行きましょう。
箪笥、長持、長持、鋏箱、火鉢、
毛氈、台子、牛車の中の、箪笥から
お願いします。
作られたきっかけや時代など、
ご存知の事を教えて下さい。
次の方は、どれでも構いませんよ~!
返信する
コメントの中に、「内裏びな」というのが、 (おろな民C)
2010-03-04 22:59:48
コメントの中に、「内裏びな」というのが、
何度か出てましたが、
これはどういうもの(どういうこと)ですか?
知らないことばかりですねぇ。
恥ずかしいです。

この記事の最初の写真がそうですね。(?)

このブログで、少しは常識が身に
ついたかなとか思ったりしてましたが、
全然ダメですね。
京のほけん屋さんのもとで、修行しないと
追いつかないかな。
・・・それでも無理?!(号泣)
返信する
ガンドウチって、どういう意味ですか? (シークレットアルバートアンド)
2010-03-04 22:41:39
ガンドウチって、どういう意味ですか?
ハロウインみたいなもの・・と聞いた
ことがありますが、節句になにか、
この言葉の事をする子供たちが
居るそうです。
中部地方?だったかなぁ・・。

どんなことをするのか、ちょっと
この言葉からは想像がつきませんね。
返信する
雪洞って、縁系のあの形の (ホライゾン)
2010-03-04 22:37:50
雪洞って、縁系のあの形の
ものだけですか?
これも、昔からあったのでしょうか?
提灯、行燈の類があった時代なら、
雪洞もあったのかなぁと、
思ったりしています。

チャットで、このブログのコメントを
残している方と同じドメイン名の
人に出会いました。
伺ったら、やはりそうだったのですが、
大変にこのブログの事、
お気に入りの様で、世界一だと
褒めてましたよ。
私も、そう思います。
返信する
Unknown (佐世保航空隊)
2010-03-04 22:33:19
「雛の節句」になぜ貝を食べるのかですが、
それよりも、タニシを備えたりする地方がある
そうですね。
これも、また珍しい貝ですし、何かしら、
意味があるのでしょうか。

節句になると、妹は嫁ぎ先から、
実家に帰ってました。
母が亡くなっても、父がひな人形を
出して飾るからなんです。
女の子には、特別なモノだったんですね。
返信する
昨日は 3/3。一般的には上巳の (大津琵琶子)
2010-03-04 22:25:35
昨日は 3/3。一般的には上巳の
節供、雛祭りですが、私の家族の
間では別の意味があります。
それは父親の命日。

父さんはみんなに思い出して
欲しくて今日だったのかな

葬儀の準備をしながらそんな
話をしたことを思い出します。
そしてそのとおり、毎年雛祭り
になると、父の命日を思い出します。
京のほけん屋さんのブログを読んで、
今年は、特に気になって来たので、
実家に電話すると、朝の内に
墓参りに行ってきたとか。

雛祭りのついでのようで父には
悪いのですが、雛祭りの日になると
私と私の兄弟は父の命日を
思い出します。

私もいつかその時には、こんな
特別の日がいいかな。
それとも、早く忘れてもらえるように
何にも無い日がいいのかな?
昨日はそんなことを考えた 3/3、
雛祭りの日でした。

返信する
Unknown (凛凛蘭蘭)
2010-03-04 22:23:44
色の話の後は形の話。
なぜ雛祭りに備えられる餅が菱形か。
丸だってよさそうですが、雛祭りに飾られる
餅は「菱餅」ですよね。

これにも大きな意味がありますか?
返信する
雛祭りにつきものの菱餅といえば、 (ブラッシュアップ)
2010-03-04 22:22:21
雛祭りにつきものの菱餅といえば、
大体三色と相場が決まって
いるようですね。
地方によっては、四色とか五色も
あるそうですが、昔から三色からの
構成だったのでしょうか?
返信する
進めば値様 (京のほけん屋)
2010-03-04 05:20:45
進めば値様
コメントに感謝致します。

面白い替え歌ですね。
では、
続けて2番から一緒に歌いましょう~!

♪~鳩山首相と 小沢さん
   2人ならんで すまし顔
   7人奉行も 沈黙し
   予算を通して 一安心

♪~公約着替えて 引き締めて
   参院選に 向かうけど
   下がるばかりの 支持率に
   青いお顔の  民主党
返信する
コンペターズ様 (京のほけん屋)
2010-03-04 05:08:12
コンペターズ様
コメントに感謝致します。

雛市は享保(1716年)に開市
されたものらしいといわれ、
十間店(じっけんだな)は後に
十軒店となったそうです。

つまり、十間を限って出店が許され、
場所は今の日本橋室町二丁目、
三丁目にあり、雛人形の集散地
でした。

安永(1772年)頃には雛市は
十軒店の他に尾張町
(現在の中央区銀座一丁目)にも
設置されています。

寛永(1789年)頃からは、
浅草茅町、池の端仲町、麹町、
駒込などにも雛市が開かれています。

返信する
磯人嗽様 (京のほけん屋)
2010-03-04 04:41:55
磯人嗽様
コメントに感謝致します。

雛市は開催される特定の場所まで
買いに行かなければならないのですが、
雛売りは移動販売の便利さがあり、
2月中旬から「乗り物ほかい雛の道具」
と呼んで、葛籠を両掛にして、
売りに来たものです。

雛売りも寛政(1789年)の頃には
姿を見ることもなかったとされますので、
雛市におされたとものと思います。
人形はおやま人形で、たけが4・5寸
(約12cm)から、8・9寸(約24cm)
までといいますからさほど大きくもなく、
内裏雛、小人形、雛の道具などが見られます。

五人囃子は天明(1781年)頃に
なって登場します。

返信する
星娘様 (京のほけん屋)
2010-03-04 04:23:22
星娘様
コメントに感謝致します。

京都でうまれた雛遊はあくまでも
貴族生活の一部で、京都の雛遊を
もたらした一人に春日局があげられます。
京都から江戸へ雛遊が移入され、
民間でも3月3日に定期的に行う
ようになったのは、大体寛永の末期ごろ
(1640年)と言われております。

そして雛遊という呼び方から雛祭
という呼び方に変わったのは
享保(1716年)以前と言われて
いますから、江戸に移入してからも
かなりの間雛遊と呼ばれていた訳です。
返信する
コーヒーミル様 (京のほけん屋)
2010-03-04 04:16:13
コーヒーミル様
コメントに感謝致します。

春に海岸に出かけて遊んだり、
食事をしたりする磯遊びもまた、
山遊びやハルゴトと同じ意味
合いをもった行事です。
山に近い地方では山に、
海に近い地方では磯に出て
遊ぶのが慣わしでした。

海に近い地方では、旧暦3月3日の
節供や3月~5月の大潮のときに
家族総出で浜辺に出て磯遊びを
していました。現在盛んに行われて
いる潮干狩りも、もとは磯遊びが起源
となっています。

また、潮干狩りはもともと、雛流しのときに
水辺に出て穢れをはらった行事が
変化して行われるようになったとも
言われています。

都では、ひな人形を飾る雛祭りが
発達したのに対して、磯遊びは
九州西部や沖縄県の島々一帯などの
海岸地方に最近まで良く残っていました。
沖縄では、3月3日には家にいては
いけない日とされ、村中の人が
お弁当を持って海辺に繰り出し、
楽しく食べたり踊ったりしてすごしたそうです。

一方、東北地方でも、この日、女性や
子供が浜辺で草餅を食べる慣わしが
あったようです。江戸時代の大阪では、
3月3日の住吉の潮干狩りが有名でした。
大阪だけでなく、近くの人々も集まって、
手に手に熊手を持ち、笛太鼓、鼓、
三味線などのお囃子を乗せた船を漕ぎ出し、
住吉の浦から堺の裏まで人で埋め尽くすほど
の盛況だったと伝えられています。

潮干狩りがなぜ3月3日に行われたか
については、雛祭りのお節料理として
ハマグリやアサリなどを供える風習と
つながりがあるのかもしれません。
返信する
金魚のフン様 (京のほけん屋)
2010-03-04 03:18:31
金魚のフン様
コメントに感謝致します。

老人や子供から大人まで、みんな揃って
花が美しく咲き乱れた丘などに登り、
ご馳走を食べて日がな一日、野原で
遊ぶ風習があります。

今と同じように、山遊びの場はおおらかな
男女交際の場となっていて、若い男女が
歌を詠みあって結婚の約束をしたりもしました。
また近畿や中国地方で広く行われている
節日に『ハルゴト』というのがあります。
これも激しい稲作の労働に入る前の、
3月半ばの春の一日を野遊びにあてる
風習です。奈良盆地などでは、
これを『レンゾ』または『レンド』と呼び、
3月から田植え前頃までの一日を、
春休みの行楽にあてます。

そして、ツツジなどの野山の花を持ち帰って
苗代の水口に立て、水口祭りを行います。
この日につく餅を『レンゾの苦餅』とか
『レンゾの蓑笠餅』などといいますが、
これはつらい農作業を前にして
食べる餅の味を、このようにいったの
でしょう。

返信する
G&G様 (京のほけん屋)
2010-03-04 02:17:59
G&G様
コメントに感謝致します。

昔から日本人には、忙しい農耕や
漁労の仕事に入る前の春の一日を、
野山や海辺に出て遊んだり飲食を
する慣わしがありました。
山遊びといいます。
山遊びは、今では遠足と呼び名を
変えています。
遠足(山遊び)の起源は大昔に
さかのぼります。
この日は、労働を休まなければ
ならない物忌みの日(悪日、節日と
もいいます)のひとつでした。
古い時代には旧暦3月3日に行われた
行事で、温暖な地方では3月3日、
寒い地方では4月8日などに、
『山遊び』『磯遊び』といって、
みんなで野や川にでて遊ぶ風習が
ありました。
現在でも、こうした風習は全国的に
見られます。
春という季節は、山の神が里に降りてきて、
田の神となり、農業が順調に行われることを
見守ってくれる季節で、春にはまた山に
帰っていくと信じられていました。
その神はまた、死んだ祖先の霊魂でも
ありました。昔は人が死ぬと魂は屋根の
棟にのぼり、そのあと村はずれの一本の木に宿り、
一年経つと山に行って神になると考えられて
いたのです。祖先の霊が、時には山の神に
なったり、田の神になったり、水の神に姿を
変えて現れるというわけです。
この、山に出かける山遊びは、神様を
迎えに行く風習が姿を変えたものです。
山に入って村人がみんなで飲んだり
食べたりすることはまた、神と人とが
一緒に食事をすることであり、直会をすること
だったのです。


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寂しいITビジネスマン様 (京のほけん屋)
2010-03-04 01:45:01
寂しいITビジネスマン様
コメントに感謝致します。

ひな壇の前で女の子たちが集まって
会食を楽しむ風景は、かつて3月に
行われていた山遊びの風習を伝えたもの
といわれています。

女の子が主役となって行うままごと
遊びのような会食もまた、
農耕の神様を迎えて行う、
神と人との共食の儀礼と深く繋がっています。


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海の王マンタ様 (京のほけん屋)
2010-03-04 01:24:05
海の王マンタ様
コメントに感謝致します。

雛人形が次第に豪華なものと
なっていっても、
かつての人間の身代わりとしての
『ヒトガタ』の意義は失われることは
ありませんでした。特に女性が、
旅行や嫁入りの道中で災いを
人形に代わってもらおうと、
抱いて輿に乗ることが慣わしとなりました。
そのようなことから、公家や武士などの
上流階級では、婚礼の嫁入り道具
の中にひな人形を入れるようになったのです。
さらには、女の子がいつの時代にも
あこがれる『嫁入り』を真似た人形が
作られるようになり、初めは一体だった
人形が、男女2体の内裏雛となって
いきました。一緒に飾られる調度品は、
嫁入り道具をまねたミニチュアとなったのです。

大名の家では嫁入り後、初めての節供に
内裏雛を飾り、公家では女の子の誕生を
祝って雛を贈るようになりました。
江戸時代中期ごろからは、
庶民の間でも女の子の初節句には
母方の里から雛を贈って祝うようになり、
女の子のお祭りとして定着していったのです。
節日に供物をそなえ、酒宴を催す
五節供は広く行われていましたが、
桃の花が飾られるのはいつの頃からか
明らかでありませんが、室町時代の
上巳の節供には一般でも飲む白酒を
桃花酒とよんでいました。
これは季節の花を冠しただけでなく、中
国で行われていたことを取り入れたのです。

武陵の桃花を浮かべ、流れ出る水を
飲めば気力が充実し、300歳の長寿を
保つといわれていました。
室町時代になると、桃酒に代わって、
白酒が祝いの席で飲まれるようになりました。


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山吹広葉様 (京のほけん屋)
2010-03-04 01:00:55
山吹広葉様
コメントを有難うございました。

曲水の宴という中国発祥の、水辺に出て
不詳を除くための禊ぎ・祓いを行う風習
があり、これは、秦の昭王の時代から
始まったといわれています。
曲水の宴は3月3日あるいは3月の
上巳の日に催され、『蘭亭序』に
353年の3月3日には曲水の宴が
開かれたとあります。
この曲水の宴は日本にも伝わり、
485年3月に宮廷の儀式として
催されたことが、日本書紀に記されて
います。曲水の宴は水辺で杯を流し、
詩を読みます。ゆるやかな水の流れに
乗り杯が自分の前を通り過ぎるまでに
詠めなければ、その杯に入ったお酒を
飲むという風流な宴で、水の精霊に
対する祭りのひとつとして、不詳を
流水に託して除去することが宴に
変化していったのでしょう。
この曲水の宴は多く絵画化されていて、
京都御所の御常御殿のふすまにも
その様子が描かれています。
現代では、3月の最初の日曜日に
太宰府天満宮でも
『清らかな水の流れに、盃を流して
禊祓の儀式』として催されています。
奈良時代にはすでにこの宴は盛んであり、
平安時代に入ってもますます盛大に
行われていたようです。


返信する
京のほけん屋様 (進めば値)
2010-03-04 00:51:29
京のほけん屋様
今日、こんな記事を見つけました。
大笑いしましたよ。
面白かったので、
保険屋さんにも教えたくなって、
コメントに残しますね。
一緒に歌いましょう~~!


♪~けじめをつけましょ  献金に
  お金はダメでしょ  裏の金
  政権にいらした  あの党に
  よく似た感じの  ことばかり
返信する
ラウンドQ様 (京のほけん屋)
2010-03-04 00:50:15
ラウンドQ様
コメントに感謝致します。

ひなあられの色は、一般的に赤(桃色)、
白、緑に彩られていますが、
これは菱餅の色と同じです。
菱餅を砕いて作ったという経緯が
最大の要因でしょう。
黄色を入れて四季をあらす場合も
あります。

返信する
甲子園元球児様 (京のほけん屋)
2010-03-04 00:39:41
甲子園元球児様
コメントに感謝致します。

甘い関東風はお菓子として、
醤油や塩味の関西風はお菓子や
酒の肴として発展という説があり
ますが、これも定かではありません。
また、現代では、ピーナッツや
大豆を甘くコーティングしたものや
米粒大よりも大きな形をしたものが
関東風でも多くなりましたし、
関西風にはマヨネーズ味や
チョコレート味など多様な味が
登場しています。
ちなみに、東海や北陸では両方を
売っている場合も多く、消費者の
嗜好や流通・情報の発達により、
関東風・関西風の垣根が
どんどん低くなっているようです。
返信する
『雛市』 は江戸での事ですよね。 (コンペターズ)
2010-03-04 00:39:08
『雛市』 は江戸での事ですよね。
どのあたりに開かれたのでしょうか。
いまでも、日本橋に数件あるよう
ですが、随分と倒産などで減って
しまっています。
昔は各所にあって、賑わっていたの
でしょうか?

いつも、きちんとしたコメント返しを
有難うございます。
感謝しています。
返信する
Unknown (磯人嗽)
2010-03-04 00:03:31
『雛売り』 って、どういうものですか?
売りに回ってくるようですが。
雛市とはまた違ったのでしょうか?

京のほけん屋さんは、本業とは
関係の無い話題が出てくるので、
驚いてます。
それだけ知識の幅が広いのは、
勉強家だということですよねぇ。
素晴らしい。私には、到底
真似出来ません。
返信する
Unknown (星娘)
2010-03-04 00:00:01
京都から江戸へとやってきたというのは、
確かなのでしょうか?
こうした雅な感じのするものは、
京都からというのが、
理解しやすいですね。

京のほけん屋さんの知識って、
こうした優しいカテゴリーも含まれて
いたんですね。
季節感を話題をきちんと届けてくれる
その知識と技術に、感服してます。

返信する
今日はお雛様の前で、 (コーヒーミル)
2010-03-03 23:46:22
今日はお雛様の前で、
少しのんびりとした時間を過ごしました。
お雛様があるか無いかで、
部屋の空気まで違うような気がします。
明日には片づけてしまうのが、
ちょっと寂しいかも。
でも仕方ないですね。

先のコメントを読むと、
山遊びとありますが、
磯遊びと雛祭りについては
関係ありますか?
こちらでは、磯遊びといいます。
山が正解?
海(磯)が正解?
どちらも正解なのでしょうか?
返信する
大阪府や奈良県でも、3月の節供を (金魚のフン)
2010-03-03 23:29:59
大阪府や奈良県でも、3月の節供を
『花見正月』『野辺節供』とか『花見』
といって年齢に関係なく、山で集うことが
あります。
といっても、なかなか参加出来ないのですが、
どんな行事内容かご存知でしょうか。

いいですよねぇ。
こういう集いが開かれる、その節句が、
日本の歴史上から派生したものなんですから。

家でもひな人形飾りましたが、
桃の花は造花。(たぶん、どこもそうでしょうね)
造花は味気ないですねぇ。
返信する
京のほけん屋様 (G&G)
2010-03-03 23:06:02
京のほけん屋様

山遊びというのは、この節句に
関係してますか?

身近な人の話では、節句と関係する
というのですが、遠足だという人もいて、
こんがらがってます。

この山遊びにも、いろんな歴史や
諸説がありそうですね。
返信する
雛祭りというと、女の子が、 (寂しいITビジネスマン)
2010-03-03 22:43:16
雛祭りというと、女の子が、
ちょいとオシャレして、誰かの家に
集まっては、お菓子や白酒を飲んで、
ワイワイと賑やかに過ごしてますね。
それにもそれなりの意味合いなどを
持たせてるのでしょうか?
それとも、勝手にはじまった習慣的な
ことなのでしょうか?
返信する
今日はお雛様! (海の王マンタ)
2010-03-03 22:25:15
今日はお雛様!
我が家も、お雛様を出して祝いました。

ひな人形に関しての
歴史的な変貌などはありますか?
いずれにしても、大名など、お金のある
武士にしか出来ないことだったでしょうね。
祝い方も、時代とともに、
やり方が変わって来たでしょうか?

もしかすると、私たちのこの時代も、
今後の雛祭りを変えて行く途中の
ことなのかもしれませんねぇ。
返信する
ひな祭りの起こりとして、曲水の宴 (山吹広葉)
2010-03-03 22:23:22
ひな祭りの起こりとして、曲水の宴
がありますが、これについて教えて下さい。
日本に伝承?されて、当時は祝い
としての行事だけに、違和感もなく、
大いに結構だと、受け入れられた
ことでしょう。
それにしても、時代とともに、変革していく
行事が多い事は知っていますが、
先ほどからのコメントにもあるように、
雛あられなどの商業化は、
芳しくないですね。
きちんと後世に残す方法では
ありません。
間違ったものが、正しいとなりそうで、
怖いです。
返信する
先ほどのコメントにありましたが、 (ラウンドQ)
2010-03-03 22:16:01
先ほどのコメントにありましたが、
私も、最近のひなあられの色
には驚いてます。
本当の色は、どんな色なのか・・。
それすら判りにくいんです。
どれもこれも、チョコがかかってたり、
砂糖で真白だったり。
お雛さんはお雛さん。
商売を持ち込んで欲しくないなぁ・・。
返信する
ひなあられの変化と現代事情 (甲子園元球児)
2010-03-03 22:12:44
ひなあられの変化と現代事情
を教えて下さい。
実は、去年あたりから、スーパー
で雛あられを買おうとすると、
なんだかいろんな種類があって、
なに?これ??という状態なんですよ。
これも時代の変貌なのでしょうか。
でも、それじゃ、ホントの
お雛さんを子供に教えられないなぁ。

返信する
アコード様 (京のほけん屋)
2010-03-03 04:46:27
アコード様
コメントに感謝致します。

ひな祭りらしい行事の宮中での記録は、1
629年(寛永6年)頃、文献としてはじめて
登場します。2代目将軍秀忠の娘で
後水尾帝の中宮として入内した東福門院が
3月3日に雛の宴を催したと記されています。
その頃はまだ雛祭りといわず、古風にも
ひな遊びと呼ばれていたようです。

雛祭りの名が一般的になるのは、
江戸中期以降です。それまで宮中、貴族の
間だけで行われてきたひな遊び・ひな祭り
ですが、庶民の間で、書物として描かれる
ようになったのは、貞享から元禄1700年
前後以降のようです。

その本の少し以前、たとえば天和
(1681~1683)頃の京の四季を描いた
『天和長久四季あそび』という本にも、
5月節句はありながら、雛の姿はまったく
見当たりません。
元禄以降になると、ひな壇の前でひな祭り
を楽しむ少女たちの姿が多くの書物に
見られるようになり、元禄あたりを境として、
泰平の世に四季の遊楽を求める庶民たちの
間にひな祭りが急速に広まっていったと
思われます。

江戸時代、5月5日が男の子の節供と
なったのに対し、3月3日の雛祭りが
女の子の節供と考えられるようになりました。

宮廷の階層を真似たひな壇を作り、
いっそう華やかに飾り立てた雛祭りと
なっていったのです。


返信する
北山通りのさえない店のオーナー様 (京のほけん屋)
2010-03-03 04:04:27
北山通りのさえない店のオーナー様
コメントに感謝致します。

どちらが元祖になるのか?これには
諸説ありますが、前述のひな遊びは
平安時代の宮中や貴族たちから
始まったものですし、京菓子司
(宮中御用達のお菓子職人)が
発案したという話もあり、ひなあられは
京都が発祥、つまり関西風が元祖
だと考えるのが妥当かもしれません。
節句に欠かせないお餅(雛祭りなら
菱餅)を使っている点も理に適って
います。広辞苑や辞書などでは、
ひなあられ=米菓子という関東風を
主に採用していますが、五節句は
江戸幕府によって定められたもの
なので、主流が関東風になっても
不思議ではありません。
(こうした例は、他にもたくさんみられます)。
返信する
食堂車カムバック様 (京のほけん屋)
2010-03-03 03:55:29
食堂車カムバック様
コメントに感謝致します。

雛人形は遅くとも3月中旬までに
片付けた方が良いと言われています。
「仕舞い遅れるとお嫁に行き遅れる」
と言い、これは”片づけの出来ない娘は
いいお嫁さんになれないよ”という意味で、
年長者からの戒めの気持ちが
こめられています。

返信する
芦ashiya屋様 (京のほけん屋)
2010-03-03 03:24:40
芦ashiya屋様
コメントに感謝致します。

さげもんの飾りと意味 は以下の
様になります。

蝉…土の中に何年もいて、
   外ではたった1週間、しかも暑い中に  
   辛抱の象徴
鼠…子沢山

蝶…蛹から蝶へ 
   きれいに着飾らせて嫁に
   出したい親心

兎…おとなしく、でも、
   雪山を元気に遊びまわる

猿…子どもを大事にする  
   元気に遊びまわる

鳩…幸せと平和のシンボル

ひよこ…かわいらしさ、あどけなさ

鶏…朝早起きで、つがいで仲良く
   卵を温め育てる

鶴(亀)…長生き

唐辛子…小さくても、
      ぴりっとしている

梅(花)…寒さに耐えて、
      春にさきがけて咲く

桜…みんなを楽しませる

桃(実)…完成

みかん…城内の宮川家のみかん

桔梗…ものしずかで、上品な花

おくるみ人形…産まれたばかりで、
         かわいい赤ちゃん
這い人形…産まれて、はいはいする
       ようになった親の喜び

袖振り人形…「はえば立つ 
        立てば歩け」の親心

さんばそう…祝いの席の舞

おかめ…女は愛嬌

瓢箪…無病息災

宝袋…心の豊かさ

蛤…二夫にまみえず

金魚…ゆるやかに泳いで、
    人の目を楽しませる。優雅さ

海老…腰が曲がってもなお元気

返信する
京都の坊ちゃま 様 (京のほけん屋)
2010-03-03 02:09:09
京都の坊ちゃま 様
コメントに感謝致します。

城内の奥女中が着物の残り布で、
子どものおもちゃや琴爪入れを
作ったのが始まり。
そのうち、それらを下げて楽しむ
ようになり今に至ったと言われています。
過去・現在・未来いつの時代も
変わることのない、女性としての美しさ
、強さ、誇り等々を身に付けて欲しい
という切なる親心が、そのひとつひとつに
込めらており、"上"に飛ぶもの、
"中間"に山のもの・木になる(咲く)もの、
"下"に水中のものが基本の飾り方と
言われています。
返信する
シーパラ様 (京のほけん屋)
2010-03-03 02:00:46
シーパラ様
コメントに感謝致します。

”さげもん”とは、旧柳川藩時代に
女の子が生まれた時、親戚、知人
から贈られた着物のはぎれで、
この子が一生幸せでありますようにと
祈りを込めて、縁起のよい「鶴」
「兎」「宝袋」「三番鼠」「這い人形」
など一針一針縫い上げた手作りの
布細工と鮮やかな七色の糸で巻いた
柳川地方伝統の大まりを
下げ輪の中央に、小まりと縫いぐるみ
を交互に下げ輪につりさげたものです。
返信する
奈良の吉野桜様 (京のほけん屋)
2010-03-03 01:07:06
奈良の吉野桜様
コメントに感謝致します。
柳川には、昔から女の子が生まれると、
初節句に、子どもの無事な成長を
願ってひな壇の前に色とりどりの
”さげもん”を飾る慣わしがあります。
それを個人の家の奥から外来の人の
目に見える場所に移して、
観光客にも楽しんでもらおうと
試みたことが「さげもんめぐり」の
始まりです。

返信する
オーソレミヨ 様 (京のほけん屋)
2010-03-03 00:56:36
オーソレミヨ 様
コメントに感謝致します。

ちらし寿司そのものに、ひな祭りの
いわれがあるわけではありませんが、
えび(長生き)、れんこん(見通しがきく)、
豆(健康でまめに働ける)など
縁起のいい具が祝いの席にふさわしく、
みつば、玉子、にんじんなどの
華やかな彩りが食卓に春を
呼んでくれるため、ひな祭りの定番メ
ニューとなりました。
返信する
富士田様 (京のほけん屋)
2010-03-03 00:49:30
富士田様
コメントに感謝致します。

3月は磯遊びの季節なので、
海の幸を供えました。
また、はまぐりなどの二枚貝は、
対の貝殻しか絶対に合わない
ことから貞操を象徴し、何事にも
相性の良い結婚相手と結ばれて、
仲睦まじく過ごせることを願って
います。

盛りつけるときに、開いた貝の
両側にそれぞれ身をのせ
(1つの貝に2つ分の身がのる)、
将来の幸せを祈っていただくもの
だそうです。

返信する
ボージュ様 (京のほけん屋)
2010-03-03 00:44:00
ボージュ様
コメントに感謝致します。

もともと、桃が百歳を表す「百歳(ももとせ)」
に通じることから、桃の花を酒にひたした
 「桃花酒(とうかしゅ)」を飲む風習が
ありました。
江戸時代から白酒が好まれるようになり、
定着していきましたが、白酒はアルコール
度数10%前後のお酒ですから、大人
しか飲めません。
子供にはノンアルコールの甘酒。
甘酒には2種類あり、酒粕を使ったもの
はアルコールを含みますが、ご飯に米麹
を混ぜて一昼夜ねかせて作るもの
(別名「一夜酒(ひとよざけ)」)は
アルコール度数1%未満なので、
子供でも安心です。
返信する
雛祭りの宮中での記録は、 (アコード)
2010-03-03 00:16:13
雛祭りの宮中での記録は、
いつ頃から残っていますか?
また、その内容などが判れば
教えて下さい。
庶民には、どんなタイミングで
広がったのでしょう。
いにしえの雛祭りを想像すると
とても優しい気持ちになれますね、
雛祭りという、独特のやわらかい
祭りだからでしょうか。
返信する
Unknown (北山通りのさえない店のオーナー)
2010-03-03 00:06:03
雛あられですが関西風と関東風、
どちらが元祖ですか?
元々は、京都が発祥かな?
まぁ、京都だからといっても、
今現在は、関係ないですが。
私の住む北山も、どんどん落ち
込んでますしね。
この先、どうなることやら・・。
あぁ、泣きたい。

でも、正直、このブログには、
癒されてます。
ほんま、おおきに。
返信する
Unknown (食堂車カムバック)
2010-03-03 00:00:50
お雛さんって、早くから出して、
早くに片づけろと言いますね。
早く出すのは、早くお嫁に行くという
そんな意味合いがあるとか聞きましたが、
早く片付けるというのは、
どういう意味ですか?

男の節句では、こんな話は聞きません。
それだけに、女の子に対する親の思いは
昔から特別なんでしょうね。
返信する
さげもんの飾りを見たことがあります。 (芦ashiya屋)
2010-03-02 23:50:08
さげもんの飾りを見たことがあります。
金魚とか、みかんとか、蝶とかの飾りが
あるんですが、これにも意味があるので
しょうか。

様々な思いを込めて作られているので
しょうね。
心がホッと温かくなる風景です。
日本にも未だこうした情緒が残っている
というのが嬉しくもなりました。

このブログも、ここに来るたびに、
ホッとします。
返信する
柳川伝承さげもんのいわれの一説 (京都の坊ちゃま)
2010-03-02 23:40:00
柳川伝承さげもんのいわれの一説
ですが、7×7=49ですが、子どもの
健やかな成長と人生50年といわれて
いた時代に、1年でも長生きして
もらいたいという親の願いをこめ、
さらに縁起をかつぎ、50になったと
聞きました。

しかし50という偶数では割り切れるので、
さげもんの輪の中央に大きな毬を2個
さげて51にして飾るようになったとも
言われていますね。
私も、一度、柳川に行ってみたいです。
柳川なべ・・・もついでに(笑い)
返信する
前の方のコメントの (シーパラ)
2010-03-02 23:26:30
前の方のコメントの
「さげもん」ってなんですか?
変わった名ですね。
方言か何かですか?


京のほけん屋さんの知識には、
ホント脱帽です。
どんなお勉強を学生時代に
していた方なのか。
総合ジャンルの博士・・ですね。
返信する
Unknown (奈良の吉野桜)
2010-03-02 23:22:35
京んほけん屋様。
ご存知ですか?柳川に、
初節句の「さげもんめぐり」という、
お祭りがあります。
そこそこ長い期間で、2月頃から
4月までやってますね。
どんな主旨のものか、教えて下さい。
返信する
Unknown (オーソレミヨ)
2010-03-02 23:22:08
ちらし寿司で、節句を祝うというのが、
お寿司屋さんのチラシにも入ってますし、
我が家でも定番です。
これにも大きな意味を持たせて
あるのでしょうか?
ちらし寿司が好きなので、まぁ、謂れ
よりも、食べられるだけで嬉しいのですが~。

返信する
Unknown (富士田)
2010-03-02 23:21:39
【はまぐり】などの二枚貝を出すのは、
おおきな意味がありますか?
貝には、様々な謂れを持たせるようで、
昔は、貝殻の裏に絵を描いたり、
カルタ取りのように、絵合わせなどを
したようですね。
京のほけん屋さんは、男性的な
話題も、女性的な話題もあるので、
参加しやすいです。
それに、きちんとコメントを返して
戴けるので・。
感謝しています。
返信する
桃花酒、白酒、甘酒・・ (ボージュ)
2010-03-02 23:21:05
桃花酒、白酒、甘酒・・
いろんな名称がありますね。
このお酒について教えて下さい。
それにしても、子供の、女の子の
節句なのに、
お酒というのは、ちょっと・・。
アルコール無しでも、お酒って、
名称が必要だったのでしょうか?
返信する
鳴滝の女皇様 (京のほけん屋)
2010-03-02 04:12:09
鳴滝の女皇様
コメントに感謝致します。

3色を重ねる順番で春の
情景を表現しています。
・下から緑・白・桃色の順番で、
 “雪の下には新芽が芽吹き、
  桃の花が咲いている”

・下から白・緑・桃色の順番で、
 “雪の中から新芽が芽吹き、
  桃の花が咲いている”

この3色はひな祭りの色として
定着しており、さらに菜の花を
表す黄色を加え、より華やかに
する場合もあります。

いずれも飾り付けなどに活用
すると、ひな祭りの演出に
ぴったりです。

返信する
FUJII様 (京のほけん屋)
2010-03-02 03:42:26
FUJII様
コメントに感謝致します。

その昔、ひな人形を持って野山や
海辺へ出かけ、おひなさまに
春の景色を見せてあげる
「ひなの国見せ」という風習があり、
春のごちそうと一緒にひなあられを
持って行ったのが始まりで、菱餅を
砕いて作ったという説もあります。

関西風のひなあられは“あられ”
ですが、関東風のひなあられは
“ポン菓子”で、味も見た目も
違います。

返信する
住吉二郎様 (京のほけん屋)
2010-03-02 03:30:39
住吉二郎様
コメントに感謝致します。

各地で、大量に雛人形飾りを
公開したり、特色ある飾りを飾ったり、
少年少女、又は成人の男女が
雛人形に扮したりする祭り等が、
この期間中に開催されます。

1月末~4月中旬:三十段飾り 
    千体の雛祭り- 長野県須坂市
3月上旬:くくり雛まつり-
    岩手県奥州市水沢区
3月上旬:石段ひなまつり -
     群馬県渋川市伊香保温泉
3月上旬:鴻巣びっくりひな祭り -
    埼玉県鴻巣市
3月3日:ひなまつり子供大会 妙圓寺 -
     東京都渋谷区
2月下旬:かつうらビッグひな祭り -
    千葉県勝浦市
7月下旬:人間ジャンボひな壇岩槻祭り -
    さいたま市岩槻区
4月3日:生きびな@水無神社 -
     岐阜県高山市
3月3日:ひいな祭り 市比売神社 -
     京都市下京区
3月3日:ひな流し@淡嶋神社 -
     和歌山市
2月上旬~3月上旬:中馬のお雛さん -
     愛知県豊田市
2月下旬~3月中旬:鞆町並ひな祭 -
    広島県福山市鞆町
3月3日:流しびな - 鳥取市用瀬町
3月上旬:ビッグひな祭り -
    徳島県勝浦町
2月下旬~3月3日引田ひなまつり -
    香川県東かがわ市
3月中旬:おひな様水上パレード -
    福岡県柳川市
2月11日:おひな様始祭 -
    福岡県柳川市
2月9日~3月5日:城下町やつしろの
    お雛祭り - 熊本県八代市
2月11日~3月22日:有田雛の
    やきものまつり - 佐賀県有田町
2月15日~3月31日:天領日田
    おひなまつり - 大分県日田市
2月中旬~3月下旬:佐賀城下
   ひなまつり - 佐賀県佐賀市
2月上旬~3月上旬:真壁のひなまつり
    茨城県桜川市真壁町

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萩の秋吉様 (京のほけん屋)
2010-03-02 02:54:50
萩の秋吉様
コメントに感謝致します。

江戸時代雛祭りは「五節句」の
ひとつとして「祝日として存在した」と
されています。しかし、明治6年の
新暦採用が「五節句(=雛祭り)」
の祝日廃止となって、さらに
「国民の祝日」より「皇室の祝日」
色が濃くなったのです。このため、
戦後になって新たに祝日を作ろうと
する動きが見られるようになります。

祝日制定にあたり3月3日の案や、
新年度の4月1日の案も出ていた
ようですが、最終的には5月5日の
端午の節句を祝日(こどもの日)と
する案が採用されます。
北海道・東北をはじめ寒冷で
気候の悪い地域の多い時期を避け、
全国的に温暖な時期の5月にした
というのが大きな理由のひとつと
されています。
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白金台のおぼっちゃま様 (京のほけん屋)
2010-03-02 01:42:13
白金台のおぼっちゃま様
コメントに感謝致します。


これは中国伝来の5節句の一つで、
ちなみに5節句とは次の物をいいます。

・1月7日 人日(じんじつ)
・3月3日 上巳(じょうし)
・5月5日 端午(たんご)
・7月7日 七夕(しちせき)
・9月9日 重陽(ちょうよう)

そこでこの桃の節句・上巳の日に行う
祓いの行事のことを「上巳の祓い」とも
言いました。

なお、もともとは雛祭り・桃の節句も
5月端午の節句も男女の別はなかった
ようですが、江戸時代頃から、豪華な
雛人形は女の子に属するものとされ、
逆に5月の場合は菖蒲を使うことから
菖蒲が勝負に通じて武士の男の子の
お祝いと分化していったようです。
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へ草ゴン様 (京のほけん屋)
2010-03-02 01:28:34
へ草ゴン様
コメントに感謝致します。

月遅れで4月3日に行うところもあるようです。
(こういう新暦の月遅れで行事をするやりかた
を中暦と言います)。この桃の節句には古くは
桃の花を愛でたり、桃の花を浮かべた酒を
飲んだりして楽しみ、桃の葉を入れた
お風呂に入って無病息災を願いました。

ひなまつりに白酒が出てくるのは、桃のお酒
と合わせて紅白にするためでしょうか。
また菱餅ですが、赤い餅はくちなしが含まれ
ていて解毒作用があり、白い部分は
血圧降下作用、そして緑の餅のよもぎは
造血作用があって、古えの健康食品でした。
(今の菱餅は知りませんが・・。)

また菱餅の形というのは心臓を形取った
ものだとも言われます。
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追えど日本橋様 (京のほけん屋)
2010-03-02 01:08:01
追えど日本橋様
コメントを有難うございました。

桃の節句のお祝いの仕方は
それほど複雑ではありません。
3月3日のひな祭りの当日か、
前の晩に親しい人(両家の両親・
ご親戚・お友達など)をお招きして
お祝いしましょう。前の晩にお祝い
をすることを宵節句といいます。
桃の節句のお祝いに欠かせないのは
お母さんの手作りのご馳走です。
ひなあられや菱餅や白酒などがあれば
申し分ありません。

ひな祭りのごちそうにぴったりなのが、
ちらし寿司とはまぐりのお吸い物。
ちらし寿司は、新鮮な春の魚介類や
野菜で季節感を味わいましょう。
また、お吸い物にはまぐりを入れるのは、
はまぐりのカラは全て違っていて、
他のはまぐりのカラとはあわないところから、
貞節をいのる意味を持つためです。
初節句の場合、親戚からお祝いを
頂くこともあるでしょう。この場合、
内祝いを贈る場合は、お子さんの
名前でお返しします。お赤飯や紅白
の角砂糖などおめでたいものに
お礼のお手紙を添えて贈りましょう。

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Sugie 様 (京のほけん屋)
2010-03-02 00:55:25
Sugie 様
コメントに感謝致します。

桃の節句の歴史は古く、日本においては
平安時代にまで遡ります。
桃の節句の由来は、平安時代の貴族が
薬草を摘み、その薬草で体の穢れをお祓
いして健康と厄除を願う「上巳の節句」が
始まりとされています。上巳の節句は、
古来中国三国時代の魏によって3月3日
に行われるようになったと言われています
から、元をたどれば、平安時代よりも
さらに古いということがわかります。
古代中国で行われていた上巳の節句には、
河で禊ぎを行い身を清めた後で宴会を
行うという習慣がありました。
日本で平安時代で取り入れられたあと、
ひな祭りの起源となっている「流し雛」が
行われるように発展していきました。

桃の節句に雛人形を飾ることは、生まれた
子どもが健康で優しい女性に無事に育つ
ようにという願いを込め、子どもに災いが
降りかからないようにという願いを込め、
今に伝えられています。
女の子が産まれてから初めての桃の節句
に雛人形を飾り、家族の皆で健やかな
成長と災厄よけを願ってお祝いをすること
が「初節句」です。
最近では初節句を行わない家庭も多い
と聞きますが、大切な赤ちゃんの一生を
守ってくれる大切な儀式ですから、
できれば、祝ってあげたいものですね。

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公務員の学校教師様 (京のほけん屋)
2010-03-02 00:14:20
公務員の学校教師様
コメントに感謝致します。

あるいは、
「雛の唇(くち)紅ぬるるまま幾世経し」
(山口青邨)かも知れません。
桃の節供の「桃」は旧暦当時の三月
を代表する花であり、また桃は「女性」
を思い起こさせる花であることから、
女の子の節供には「桃の花」となりまし
た。周の時代に成立した詩経に、王が
佳い嫁を探す歌があるが、その中に
既に「桃の花のような女性」と謳われ
ています。
こうした古典に親しんでいた平安貴族
にとって、女性の節供の花は桜でも
梅でもなく「桃」だったのでしょう。

「雛壇や葉を吐いてゐる桃の花」
(清崎敏郎)。
そしてまた、
「雛祭る都はづれや桃の月」
(与謝蕪村)。
桃の花が咲くころが、本当の春です。
雛祭りは、元を辿れば何千年もの
昔から伝わる奥床しい行事です。

娘が居たころは、毎年雛人形を飾っ
たものの、成人して家を出た今は、
思い出したように妻が内裏人形を
並べることはあっても、もう、七段飾
りまでは飾ることはなくなった・・・。
「誰がためとなく飾り置く雛(ひいな)かな」
(稲畑汀子)。

ですが、家を出た世の女性からすれば、
「老妻の飾りし雛をみてやりぬ」
(富安風生)、
さらには、
「ふるさとの蔵にわが雛泣きをらむ」
(鈴木真砂女)。
そして、
「結婚は夢の続きやひな祭り」
(夏目雅子)
となるのかも知れません。


ちょっと粋なやり取りになりましたね。
有難うございました。

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Unknown (鳴滝の女皇)
2010-03-02 00:13:32
京のほけん屋様
今回の話題も苦労されたのでは
ないですか?
どの記事でもそうですが、
とことん原稿の内容を追及されて、
無駄の無いエッジの利いた内容に
絞り込まれていますね。
すごいと思います。
お雛さんに話をまとめながらも、
暦の話や歴史的な背景にも
そっと触れてます。
コメントの中でこれから、どう広がるのかを、
計算されてるような感じですね。
毎週の更新、大変だと思います。
私なんかには、想像も出来ないほどの
ご努力だと。

お身体にはご留意くださいね。

菱餅の色についてですが、
これも大きな意味がある
そうですね。
なんにでも意味を持たせることは、
日本や中国の歴史に纏わるものには、
多いようですね。
どんな意味合いが隠されているので
しょうか。
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ひなあられって、どうして (FUJII)
2010-03-01 23:28:27
ひなあられって、どうして
節句の必需品何でしょうか。
小さい時は美味しいなぁと思いましたが、
いまになっては、甘くもなく、固くも柔らか
くもなくで、何となくモノ足りません。
こういうものにも大きな意味が
あるのでしょうか?

京のほけん屋さん、
明け方までの返信、
本当に有難うございます。
そのご努力には、深く深く、
頭を下げたい思いです。
尊敬してます!!
返信する
Unknown (住吉二郎)
2010-03-01 23:18:10
特色ある雛祭りについて教えて
下さい。
どんな特徴のある祭りが、
全国にあるのか、歴史や謂れなども
含めた節句だけに、興味がわきます。

京のほけん屋さんの知識の凄さは、
いつも驚かされますね。
こういう人と、保険の相談をすれば、
満足しそうだなぁ。
いろんなケースの相談にも乗って
もらえそう。

遅くまでの返信に感謝します。
無理しないで下さいね。

返信する
Unknown (萩の秋吉)
2010-03-01 22:47:38
5月5日は男の子の節句。
祝日ですよね。
雛祭りが祝日でない理由って、
何か意味があるのでしょうか。
子供の頃から気になっていた
ことなんです。

男女同権じゃないのか!!
なんて、よく、この節句の休日
について話をしてました。
返信する
京のほけん屋様 (白金台のおぼっちゃま)
2010-03-01 21:58:43
京のほけん屋様

「上巳」って、中国歴と関係してませんか?
他には、どんな節句があるのでしょうか。

京のほけん屋さんのこの知識の源は、
どこにあるのでしょう。
日頃から読まれている本も、様々な
ジャンルのものなんでしょうね。
しかも、それらを熟読し、しっかり記憶
されているようですし、もはや天才
と呼ぶしかないですね。
これからも、素晴らしいお知恵を、
私たちに分けて下さい。
返信する
京のほけん屋様 (へ草ゴン)
2010-03-01 21:51:30
京のほけん屋様
お雛さんは、七夕のように地方によっては
一ヶ月遅れでする場合等もありませんか?
それと、白酒や菱柄のお餅などは、
どういう意味があるのでしょうか?
昔からの事だけに、何か深い意味が、
隠されていそうな・・気がするのですが。

記事の内容は少し私には難しいのですが、
でも、写真やそのテーマだけでいえば、
この桃の節句はほのぼのとした、
柔らかいお話ですね。
こういう記事が、歴史や宇宙等の記事の間に
入ってくるのですから、
京のほけん屋さんのまとめかたってすごいと
思います。
飽きさせない、離れさせないブログの編集力
ですね!
返信する
京のほけん屋様 (追えど日本橋)
2010-03-01 21:42:23
京のほけん屋様

桃の節句の祝い方やお祝いの
返し等が判りにくいですね。
家族だけでなく、親戚も招きたい
のですが、招いてどんな風に
もてなすのが良いのか。
男家族だった私には判らず、
家内も、外国暮らしが長い家庭
だったので、ずっと、人を招待せずに
すごしてました。

タイトルの飴の写真が素敵です。
今こそ食べたいなとはあまり思わないものの、
子供の頃は、この飴の絵柄で、
妹と取り合いになったものでした。

ほのぼのとする写真や、
きれいだなぁと感心する写真。
歴史的な写真など、いつも
目を奪われています。
記事も素晴らしいし、本業の保険屋さんの方も、
きっと素敵なビジネスをされているのでしょうね。
このブログから想像できます。
返信する
京のほけん屋様 (Sugie)
2010-03-01 21:17:22
京のほけん屋様
おさらいの様になりますが、
桃の節句の歴史について
教えて下さい。

お雛さんは、子供の頃、
大きな7段飾りでしたが、
自分達の成長とともに、
飾り付けをしなくなりました。
大変なんですよね。
飾ろうと思うものの、箱から
出して広げると、2時間は
かかってしまいます。
少し、歴史などを学んで、
気持ちを切り替えないと~。
返信する
京のほけん屋様 (公務員の学校教師)
2010-03-01 21:11:07
京のほけん屋様
コメントの返しに、ご努力の様子が、
伝わって参ります。
遅い時間まで励まれるお姿に、
心が痛むほどです。
しかし、ビジネスブログとして、
このブログの位置付けを確たるものに
していこうとされるご苦労は、
すべて本業へ返ってくることでしょう。

心から、ご尊敬申し上げます。
俳句と併せて、雛について少し
お話をさせていただきます。

「天平のをとめぞ立てる雛(ひいな)かな」
(水原秋桜子)。
遠き時代への郷愁やかくばかり。ところが、
川での禊ぎはあまり一般化しなかったようで、
この日に形代(かたしろ)または人形(ひとかた)
で体を撫で、これに穢れを移して川や海へ
流すと言う日本独特の行事が生まれました。
今日は、京都の下賀茂神社でこの行事が
行われるとか。

「雛の眼のいづこを見つつ流される」
(相馬遷子)。
流されて逝く雛人形は、やはり淋しいの
でしょう。現在の雛人形の形は、元禄時代
にほぼ完成したと言われています。
この時代は庶民の経済力が著しく増加
した時代で、経済的に余裕の出来た
庶民が競って豪華な雛飾りを作るように
なり、雛壇に多くの人形を飾る者も
現れ現在に至っています。
ですが、
「草の戸も住替る代ぞひなの家」
(松尾芭蕉)。
時の流れは留まることなく、それも
遠い昔となります。
おそらく、
「古雛(ひいな)をみなの道ぞいつくしき」
(橋本多佳子)。
こんな風情だったのでしょう。
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NOいちご 様 (京のほけん屋)
2010-03-01 02:50:29
NOいちご 様
コメントに感謝致します。

昔から邪気の象徴は鬼とされており
(だから節分には鬼を祓います)、
邪気を祓う力のある桃には鬼を退治
する力もあると考えられてきました
(節分に桃を使って邪気祓いをする
神事も多数みられます)。
この思想がベースとなり、桃から生ま
れた桃太郎が鬼退治をする民話が
誕生したそうです。

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Unknown (NOいちご)
2010-03-01 02:14:31
どれだけ回数を深めても、
このブログはその内容の濃さと、
充実したコメントのやり取りが
変わりませんね。
どんなにご苦労されているものかと、
毎回、更新のたびに考えています。
素晴らしいブログとの出会いに、
心から感謝してます。

なぜ「桃の節句」と桃太郎の話
しに関連があると聞きました。
どういう関係なのか教えて下さい。
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