樹齢千年の檜(ヒノキ)の建築物は千年もつと言われています。
夢話の様だが、斑鳩(いかるが)の地に推古天皇と聖徳太子が、建立した法隆寺の五重塔 (国宝) は飛鳥時代の最古の木造建築であり、上記の通りです。
実際には約千三百以上そこにあります。
建立には韓国、ペルシャなど外国の職人なども呼ばれたとか。。
注;「胡」と言う言葉が使われていて、主にペルシャの職人らしき形跡があります。
法隆寺回廊(国宝)奈良時代
現代建築では千年もたそう・・・とは考えはしないでしょう。
百年がいいところか?と言って飛鳥時代の工人達も、そんなにもつとは思わなかったのではないでしょうか。
「木を買わず山を買え」
この言葉は宮大工達の伝承です。
現場に行って木を見て、環境を見てから買え・・・ということ。
木は土地の環境によって、癖があります。強い木、弱い木、まがった木があり、それを規格品としてただ綺麗に切って並べて、家を建ててもいつか無理が生じてしまいます。木は生きているからなのです。
それを考慮して建てるのが職人中の職人といえるでしょう。
「木」を優先しているのです。
であるから、実は、1つ1つ部材の寸法は異なっています。連格子にもそれが見られます。
決して綺麗とはいえません。強い木は比重などの掛る部に。弱い木は添え木に。
無論、無傷で残る訳も無く、今も宮大工さん達が修復、修繕を繰り返しています。
「木造建築には檜が一番。ここまでもつのは檜しかないです」 法隆寺の中には藤原時代(平安中期・後期 )の建物もありますが、もって200~300年でした。 この時代から、風土や木の生命力は計算に入れてはいません。飛鳥の思考は時代と共に薄れていき、建築とは「見た目の美しさ、装飾」になっていきます。
とにかく、飛鳥の工匠達は建築に全く異なる目を向けていたことが修理、修繕でわかると宮大工(寺社番匠)は話しています。
法隆寺は新しく再建された部分も多いものの、その痕跡を今も遺して、後世に引き継がれていきます。