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東京大正博覧会に思う

2010年12月06日 | うんちく・小ネタ

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明治になってから、殖産興業のスローガンのもと東京はじめいろいろなところで博覧会が開催されました。

1914年(大正3年)には、東京上野で東京大正博覧会が開催。
明治 ~大正~ 昭和の始め頃まで、上野が博覧会会場のメッカであったことなどは、ほとんどの人は知らないと思います。

近代日本を象徴させるために興業ものが多かったらしく、 明治時代から、その後、娯楽性のものと変化していきました。
「内国博覧会」と呼ばれたようで、上野が華やいでいた時代です。

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東京大正博覧会では、観覧車、ウォーターシュート、特にイルミネーションが人気だったそうです。 真ん中は不忍池。新設の観月橋が架けられ世界周遊館、パノラマ 館などが登場。 博覧会って言うよりアミューズメント ・パークのような感じです。日本初のエレベータ、 ケーブルカー が登場したのもこの博覧会でした。
半年間で約746万人の会場数だったそうですから驚きです。

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その博覧会には、『美人島旅行館』というパビリオンがありました。
いわゆるコンパニオンガールが集まった館なのでしょうが、詳細な記録は残されていません。娯楽の要素が強い見世物小屋の類という当時の新聞記事をみつけるに留まっています。
輝きを放っていたのは展示品だったのか美女だったのか、知る由もありません・・・。

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なんだか、ほのぼのしますが、 しかし、これだけやって跡形もないというのは、寂しい限りです。

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人にドラマあり、とか、人に歴史ありといわれるように、個人にスポットライトをあてると、いろんな物語が浮かび上がってきます。
それは、決して波乱万丈の人生をおくった人だけではなく、ごく平凡な人生であっても、一般の人が驚くような輝きを放っているものです。

東京大正博覧会の「美人島旅行館」のコンパニオンの方々の写真の顔は、素晴らしく輝いていると思いませんか?