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役小角仙道剣 黒岩重吾著

2018-09-30 19:13:59 | 

 

昭和35年 『背徳のメス』で直木賞を受賞した 黒岩重吾氏は 昭和50年代から古代史を題材に歴史小説を書かれます。 大阪市出身の氏が 戦中軍事訓練をしたのが、後に発見された飛鳥洞窟壁画の上の丘だったとか 奈良時代に因縁を感じられたそうです。

 

氏の最晩年の小説、この 『役小角仙道剣』(えんのおずぬせんどうけん)は 実在ながら極端に資料の少ない 修験道の祖・役小角についてです。

 

時代は持統天皇の頃。

先帝で夫の天武天皇の志を継いだ 持統天皇が 律令国家をめざす。

それは一部の富裕層の為で 多くの民を苦しめるものでした。

 

鴨(加茂)氏一族の出でありながら 優婆塞(うばそく 半僧半俗の僧)となり破門された 役小角が民と共に もっと民が生きやすい世にしようとする。

人跡未踏の金峰山の冬を幾度も越し、修験者となった役小角と 小角を慕う民に畏れを感じた為政者によって伊豆に流されるまでが描かれています。

 

役小角には 勝手に弟子が 3人いました。

後に 前鬼,後鬼と呼ばれるものと ヤマメという女です。

 

険しい山々を縦横無尽に走り回る 役小角をおびきよせる為に このヤマメは捉えられます。 数年後 前鬼、後鬼によって助け出されるのですがすぐに息を引き取ります。

 

次のおとりは 役小角の老いた母でした。

どちらの拉致も 自分を破門した同族の鴨氏の仕業と知っても 母を開放するため 何所にいても同じと 小角は捕らわれるのでした。

 

小説はここで終わります。

伊豆に流された小角は 夜な夜な 海上を歩いて渡り 富士山に登っていたそうです。

 

 

前鬼、後鬼は 生駒山で悪さをしていた夫婦の青鬼、赤鬼で 小角が孔雀の術でこらしめ、改心させたものだという説もあります。 孔雀はサソリ等毒虫や毒蛇を食べるので 明王と呼ばれる。 へ~ぇ。

夫婦には13匹の子があり その後、金峰山の麓に それぞれ修験宿を営み、今でも3,4軒残っているそうです。

 

 

   by  風呼    

 

 

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