コール・ポーター作詞作曲の ジャズソングです。
同性愛者でもあった彼の 究極の片思いの歌です。
So in love
不思議ね
今更こんな気持ちになるなんて
貴方のそばにいるだけで
世界は輝いて見える
本当よ
離れていても貴方を感じているわ
あの夜
一目で恋に落ちたわたし
貴方が
私の名を口にしてくれただけで
舞い上がってしまう
だまされても
傷つけられても
どんな仕打ちをされてもいい
死ぬまで貴方を愛し続ける
不思議ね
今更 こんな事があるなんて
今頃 淋しいとか 愛してるとか言われてもねぇ と歌う
”Cry me a river” といい
いいとこなんて一つもないけど 傍にいてくれるだけで
心が和むと歌う ”My funny valentain" といい
ジャズの歌詞って 私の事を言っているのではないかと
いつも思います。
by 風呼
1975年、 佐藤愛子さんが51才の時 北海道の浦河の山の中腹に
夏の間を過ごす山荘を建てられた時から始まった怪奇現象との格闘の
お話です。 浦河は日高本線終点の様似(さまに)の一つ手前、
鉄道は通っていませんが その先は 襟裳岬です。
それは著者が 『血脈』 という 著者自身の家族を暴露する小説を
書き終えた頃から 徐々に収まった そのいきさつが 描かれています。
浦河の山荘での ラップ音 段ボールが消えたり ペットボトルが10本も
高所に移動したり 電気系統の on off 、 著者の理由もない頭痛等
さまざまな怪奇現象が 東京に帰ってからも起こるようになる。
電話で透視した美輪明宏さんが 自分の手に負えないと霊能者を紹介し
巣穴の上に家を建てたから 怒った狐の仕業と言われる。
しかしその霊能者にも手におえない。
最後に頼ったのは 日本最高の審神者(さには)と呼ばれる相曾誠治氏だった。
審神者(さには)とは 降霊した霊が本物であるかどうか見極める人の事です。
氏の行った降霊でわかったのは著者の山荘が イヨマンテの行われたアイヌ
の聖地だったらしいと云うこと。 佐藤氏は前世で 酋長だった夫か父を殺さ
れて 自分が酋長となったが 自も殺された。
相曾氏は 双方の浄霊(除霊ではなく)をされるのですが まだ収まらない。
戦国時代以降 権力を握った先祖が この地のアイヌを全滅させたらしい。
その恨みが その後の子孫に祟っていて成仏できていない。 それが現在
のっぴきならない状態にまでなっていて 悪行を尽くした先祖以前の先祖が
著者に警告を発している。
『血脈』 に描かれているように 父、作家の佐藤紅緑 異母兄の詩人
サトウ ハチロー 等 著者は尋常でない肉親を多く持つ。 その凄まじさを描
ききることで 浄化されたのだそうです。
当時24才の 近所の神社の新米神官だった 江原啓之さんが それからも
ずっと親身になって 助言をくれているそうです。
数々の怪奇現象、 降霊の様子 等 表現も生々しく 引きずり込まれていき
ます。
何よりも 現実主義そのもののような あの佐藤愛子さんの体験です。
この世でもあの世でも 波動を高めねばならない。
波動とは 意志と情報と振動数をもったエネルギーである。
この本の凄さは このおどろおどろしい出来事を 読者を憑依させずに
読ませる事です。
佐藤愛子氏の波動の高さが なせる業なのでしょう。
この本全部が 2001年、 著者77才の時の 遺言となっています。
慌てると 目の前の物が見えなくなるのは 低級霊の仕業なのだろうか。
私が おっちょこちょいのせいだと思っていたんだけど。
風呼 でした
市ヶ谷薬王寺 シャンソン歌手EUROさんのサロン えとわーる にて。
第一部は 悠路さん自身による 原詞により近い訳詩 日本語での歌唱。
軽妙な 衒(てら)いのないお喋り。
第二部は ピアフの一生を ドラマ仕立てに フランス語で 歌われました。
写真は アンコールでのもの。
生徒さんが写メをしておられましたので 失礼かとは思いましたが 私も
撮らせていただきました。
去年 悠路さんの歌を初めて聞いたとき 大きな劇場でしたので ダイナミック
な歌唱とアクションに ドラマチックシャンソンと 勝手に呼ばせて頂きましたが
今日は ご自身のお店での 6,70人ほどの聴衆の 贅沢な時間。
悠路劇場
世界中が私の物 と
自惚れていた時もあった
そうではないと知った時
ジーンズにTシャツ姿になり
そうして知ったの
歌は作者の気持ちに
近づかなければならないと
敬愛するバルバラ
バルバラの気持ちになって
バルバラになってしまって
来春 パリでリサイタルをされるそうで 17kg 減量され 昔の衣装が
又 着られるようになり 第一部とアンコールは 古いものだそう。
去年は もう少し中性的でしたが きょうは匂うような女らしさでした。
ブラボー フランス語が分らなくても 歌の心はよく伝わりました。
by 風呼
1921年生まれ、 名エッセイストとしても有名な洋画家・野見山暁治さんの
自叙伝です。
芸大入学から 第二次世界大戦一年後まで 17才から10年間が描か
れています。
芸大を繰り上げ卒業して 学徒動員され満洲へ赴くも 結核で前線離脱。
幾度も死にかけるが 奇跡的に生き延びた。
2人の女性と恋愛関係になるも どちらも 早死にする。
芸大時代の仲間たちの多くが戦死し その無念と理不尽を思う。
27才で 再び郷里の福岡から上京するところで終わっています。
後年、 戦没画学生の作品を集めた 「無言館」 の設立に携わられた
理由がよく分ります。
鉱物色
ベリドットの黄緑
エメラルドの緑
カルセドニーの白
赤はルビーか
アメジストか
黒は
生まれ育った炭鉱の
コークス色
"あるものではなくて
あり得るもの
それが表現”
クール なのに慈愛に満ちた
彼の絵は
地中深くで浄化された 鉱物の色
野見山暁治さんは 二度結婚されますが 二度とも奥様に先立たれています。
か弱い女性がお好きだったのか そういう運命でいらっしゃるのか。
87才で初めて手がけられたステンドグラスの壁画が 地下鉄神宮前駅にあります。
風呼でした
フェリシモ の株主優待
今年のフェリシモの株主優待は
東北の菓子です
写真前列左は
岩手 アグリカシオペアさんの
りんごを乾燥させた 「もっちりんご」
右は福島太郎庵さんの
マンゴーが隠し味 「会津 見知らず柿ゼリー」
後列左
岩手 巌手(いわて)屋さんの
ピーナッツ入り南部せんべい使用 「チョコ南部」
後列真ん中
福島オノギ食品さんの
丸まま落花生の入った 「会津武者煎餅」
後列右は
岩手 あさ開(びらき)さんの
日本酒カステラケーキ 「吟醸良縁」
だそうな
どれから食べようか
頒布会型雑貨通販のフェリシモは
月1届く商品を止め忘れると
いつまでも配送されるのが難点だけれど
フェリシもならでの
消費者ニーズに応えた商品は魅力
そうそう こんなのが欲しかったの
なあんだ フェリシモさんにあったの
今回も見つけました
お財布に口紅、ハンカチ、携帯の入る
欲ばりポシェット ¥2980 x 3 色
さすがこれは 際限なくは来ない
3回で終了
でも 三個はいらないかな
一個でも止められます
株価は安定しています
配当金も出ます
本日終値で 一株1005円 売買は100株単位
身の丈に合った
私のささやかな道楽です フフ
by 風呼