ピカソ・マニマニア

ピカソの91年を 詩にしました。
カテゴリーのピカソを クリックして下さると 嬉しいです。

 [ 婦系図 』   於・歌舞伎座

2024-10-25 22:19:29 | 観劇

錦秋十月大歌舞伎、夜の公演が余りに素晴らしかったので 再び観に行きました。

前回は 幕が開いて四日目だったので どう進化しているのか大変気になったのです。

仁左衛門さんは新派では五度主税を演じられたそうですが 以外にも玉三郎さんとは初めてだそうです。

湯島境内での二人の演技は 5日は玉三郎さんのお嬌んな可愛らしさばかり目立っていましたが 22日は仁左衛門さんの主税像がはっきりと出ていて 物語に吞み込まれていきました。

花道側の料理屋の二階から聞こえてくる 浄瑠璃の 何と切なく心に沁みる事!
清元 清美太夫という方だそうです。

筋書きにこうありました。
  とりわけ、歌舞伎の『雪暮夜入谷畦道(雪の夕べ入谷のあぜ
  道)』 で、三千歳(みちとせ))と直侍(なおざむらい)の
  束の間の逢瀬と別れを描く 清元の「三千歳」を、他所事浄瑠
  璃(よそごとじょうるり)として使い、前半の喜び後半の悲
  しみへと変わるお蔦の心情や、それを知るだけに苦悩する主
  税の思いと照応させた演出は、絶大な効果をあげています。

私はこれをまた聞きに来たのだわ。

本郷薬師縁日の場に 新派の俳優さん三人と 女優さん五人が出ていらっしゃいました。  さりげなく。



   
六条の御息所

道理をわきまえた お蔦さんと異なり 感情を御せない御息所です。
そういう血筋だそうです。 

源氏との間に生まれたばかりの男の子を抱く葵上の前に生霊となって現れた 御息所。



    10月22日  観

             by  風呼
  
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『 権三と助十 』   於・歌舞伎座

2024-10-16 02:55:56 | 観劇

神田橋本町の裏長屋に隣り合って住む 駕籠舁きの権三と助十は 喧嘩ばかりしている。 二人だけではなく 権三は恋女房(時蔵 好演!)と 助十は弟の助六(坂東亀蔵)とも。

7月7日の長屋じゅう出揃っての井戸替えの日も 怠けてばかりいる権三に 井戸替えを手伝うように言いに来た助十と 大立ち回りのありさま。

井戸替えとは 井戸の水を攫って 伝染病などの予防の為に清掃すること。
お江戸は1660年頃から 井戸は上水(水道)だったのです。

   
こうやって子供も老人も長屋中の人が綱を引いて 水を掻き上げて 人が入って綺麗にする。

そんな二人が 大家さん(歌六)と 濡れ衣でしょっ引かれ 獄死した元店子の名誉回復に奔走するという人情話です。
越前守の登場しない 大岡裁きものです。

      
   助十(松緑)     権三(獅童)

昔、テレビが白黒だったころ 高田浩吉という時代劇スターが

  ♪ 権三と助十~ 名コンビ~

と唄っていらっしゃいましたが 松緑さんと獅童さん、ホンと 名コンビで 楽しませて頂きました。



  10月14日 観

        by  風呼
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂東玉三郎ワールド  10月歌舞伎座夜の部  

2024-10-07 22:13:04 | 観劇

今月の幕が開いて四日目だというのに 玉三郎さんのお蔦、六条御息所の 完成度の高さ。

夜の演目二幕とも 主人公なのにですよ。

 

まずは『婦系図』

「 月は晴れても心は闇だ ~ 」 

「 切れるの別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私に         は  死ねといって下さい。」

の 有名な科白だけは知っていましたが、あらすじは良く知りませんでした。

面白かったです。
玉三郎さんのお蔦さんは 何とか堅気の妻になろうとする 健気な可愛らしさが 溢れていて 退くな退くなと 心の中で応援していました。



続いて 『源氏物語』

玉三郎さんの六条御息所です。
源氏の子を身籠っている葵上に生霊となって現れ僧侶が祈祷している場面から始まる。
身重の葵上の牛車と鉢合わせし、辱められたこともあり御息所は恨んでいたのだ。

久し振りに訪ねてきた源氏に 御息所は 恨みをぶちまける。
ひれ伏して訴える御息所の十二単が 扇形にひろがり その完璧な美しさ!
幕が開いて四日目ですよ。

気品があり美しく誰もが賞賛する御息所は 実はプライドを持て余していた。
いるいるこんな人 現代にも。

流石に嫌気がさして源氏は帰ってしまいます。

作者の思惑通りか、染五郎さんの源氏は 美しいけれど 女をおもちゃとしかとしか見ていない 軽い人にしか見えない。
楽日近くにもう一度見て確かめたいが 切符は完売です。


それにしても 美しい・・・

   

     

     by  風呼
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼 新川和江先生  (思い出かき混ぜて)

2024-10-04 02:49:26 | 詩作

8月10日、詩人の新川和江(先生)が亡くなった。 享年95。
昭和最後の正統派詩人と云えるのではないでしょうか。

幸運にも私は1995年からほぼ20年間 カルチャーの詩作教室で教えを受けることが出来た。


    

先生に出会ったのは1966年に発刊されたこの『若き日の詩集』
古今東西の名詩が100以上編まれており、その一作一作のそれぞれが青春の満たされない心に沁みた。 師事するならこの人しかいない と思った。

一度もお会いしないのに、心が出会ったのだ。

この本を編むに至って 先生は二度も書き写されて目を悪くされたそうです。
編集者に書き写さなくてもいい、選んでくれさすれば と言われたそうですが。
新川先生は隣町に疎開されてきた西條八十に15才から終戦の二年間師事されていました。その折西條八十の論文の清書を仰せつかった。その経験から作品をなぞる大切さを学ばれたからではないでしょうか。

30年後の1995年にあるカルチャーの 詩作講座 で 先生の名前を見つけた。急逝された詩人のピンチヒッターだった。

詩を書いているなんて恥ずかしいと思っていたので躊躇したが 締切日ぎりぎりに思い切って申し込んだ。 空きがあったらね と。 空きは残っていた。

仲間は20余人、一年に10回の講義。 私だけではなく 他の人に対する作評も多いに為になった。

仲間有志と一緒に京都に行ったり、先生が詩をつけられたNHKハイビジョンの映像の滝桜を先生も含め皆で三春に見に行ったり 等 教室以外でもよくご一緒した。
冒頭の写真は 平成18年4月10日、仲間18人と食事会の後の集合写真です。


どんなに素晴らしいと思える詩を書いても 他の人の詩もたくさん読まれる先生に「それは誰それがもう書いていますよ」 と言われるのがオチ。
言われないようにみんな必死でした。


詩作にこれもありか、あれもありか、と 悪知恵満載のものを持っていくようになっても先生は面白がって自由にやらせてくれた。よっしゃ~ありだ!
面白かったな。


教室から足が遠のくようになり、私はジャズヴ―カルを始めた。
初ライブが決まり先生をお誘いしたところ二つ返事で来てくれるという。
当日一週間前くらいに電話で「今まで罹ったことがないひどい風邪をひいて行かれなくなった」そうで すぐにチケットとお手紙が送られてきた。
8月の暑い時のライヴだった。

その後先生との連絡は途絶えた。

先生の罹ったのは風邪ではなくて 熱中症で あれから体調を壊され すべての仕事を辞められたのだと 先日報道で知った。


歌ったり踊ったり画を書いたり、忙しいだけの私ですが 最近最後までやり抜くのは詩作だと思うようになりました。

私の後半の人生は新川和江先生のお陰で 充実したものになっています。
      有難うございます。



私は先生の字が大好きでした。

     



      by  風呼










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする