例によって 頼朝牽制の為に 奥州の藤原氏を残しておきたい
後白河法皇とのやりとり あれこれ。
文治五年(1189年) 7月19日。
集した夥しい兵を 鎌倉に止め置けないので 奥州攻めを頼朝は
決行します。 慌てた後白河法皇は 綸旨を急ぎ追いかけて送ります。
頼朝が受け取ったのは 東北に入ってからでした。
城四郎長茂という囚人がいた。 平将門を討った 余五将軍・平維盛
の子孫で 平氏としての自負を捨てない勇士でした。 敵ながら天晴れ
と頼朝は奥州征伐に連れて行きます。 長茂のいう事には 剣花菱の
家紋をつけた旗を差したい。 この旗を見て逃亡している家臣が集まって
来るだろう。 頼朝はなるほどと感心します。 長茂の云う通り 10日
も経たないうちに 200人が集まりました。
源平の合戦の時は 源氏の白旗、 平家の赤旗 どちらかでした。
これ以降 それぞれの主は家紋を作り 家来たちが迷わないように
旗に標(しるし) としてつけるようになりました。
そんなこんなの 今日の吾妻鏡講義。
風呼 でした
開演直前に 会場内は真っ暗になった。
観客は全員 俄か盲(めくら)に。
闇が煙のように眼球の奥まで 入り込んできた。
五尺一寸の白杖
親の因果が子に報い
ふた親の悪い所ばかり取って
生まれてきた
おまけに目まで見えていない
五才で座頭に預けられ
浄瑠璃語りを教えられ
習わなくても覚えた
女と盗み
しかし しかしして
当道座(とうどうざ 盲人の自治組織)にいるからは
検校にならねば意味がない
しかし しかしして
検校になるに必要は 719両
ひとり殺して 50両
ふたり殺して 30両
80両を懐に 塩釜から江戸へ出る
脅し ゆすりの 取り立て稼業
師 藪原検校(やぶはらけんぎょう)まで殺め
手にした二代目藪原検校の名
殺し五人目でとうとう足がつき
前代未聞の極刑は公開で
祭りのように 見せしめて
二代目藪原検校に 野村萬斎、 寝取った塩釜の座頭の妻に
秋山奈津子、 塙 保己市に 小日向文世、 検校の母に
熊谷真美、 他、 進行役の盲の 浅野和之、 津軽三味線
をなぞったギター奏者を含め 総勢11人で 20場を務めます。
悪の象徴の藪原検校に対して 塙保己一(役名は保己市)が
ストイックに描かれます。 最後の最後に 藪原検校に下す
刑罰三段切りは 田沼意次の乱れた時代を正す見せしめでした。
早物語という パロディ浄瑠璃を 野村萬斎が 鍛えられた
喉と身体で歌い踊ります。 演歌歌手の物真似も自在です。
救いのない物語を 滑稽に演じられました。
秋山奈津子さんの 程よい色っぽさ 熊谷真美さんの
そこにいるだけの存在感、 女優陣も達者です。
凄い舞台を見てしまいました。
1973年初演の 井上ひさし作。
フィクションと聞いて胸を撫で下ろした
風呼でした
毎月28日ごろ発売の 月刊『flowers』 に不定期に
連載されている漫画です。
鎌倉を舞台に 3姉妹+異母妹の 物語で 現在まで
全4巻が発売中。
この表紙は 第一巻「蝉時雨のやむ頃」 のもの。
私の大好きな 江ノ電をバックに 異母妹が走っています。
中学生の彼女は サッカーの少年チームのFWです。
第2巻は 「真昼の月」で 表紙は明月院(紫陽花寺)です。
多分。
第3巻は 「陽のあたる坂道」 表紙の坂道は 姉妹の家がある
極楽寺あたりでしょうか。
第4巻は「帰れないふたり」 表紙絵は まだ大銀杏の健在だった
頃の 鶴岡八幡宮の大階段です。
鎌倉が 物語の進行とともに 丁寧に描かれています。
第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したそうです。
漫画なんだけど 読書した感が強い
風呼 でした
この劇の作者の 中島かずき氏は言う。
「名付けは重要だ。 名前を聞いただけで その人物が
イメージできるような 強い名前をつける。
登場人物の名前が決まると 物語の 6~8割は出来ている」
南北朝にヒントを得てつくられた この物語の登場人物の名も
それぞれ強烈だ。
ヒトイスなる 人が二人でつくる椅子に座る 南の国のゴダイ大師
(後醍醐天皇から 高橋克実)、 北の国のモロナオ執権(高師直
から 橋本じゅん)、 北の国から南の国へ寝返るキョウゴク(京極
ばさらと呼ばれた 佐々木道誉のもう一つの姓 古田新太)。
暗殺者の宿命の 永作博美演じる シレンは 多分 試練。
では キョウゴクの息子なる 藤原竜也のラギとは?
作者のこだわる 響きで選んだ名なのでしょうか。
私の今回の観劇の目的は 永作博美さんを見ることでした。
アクションの動きも良く 魅力的でした。 20年経っても変わらず
美しいまま 実の息子(ラギ)と 知らずに恋に堕ちるという役に
ぴったりでした。 小柄な方なのに アンコールで皆と並ぶ以外は
それを感じさせない。
高橋克実さん、 以前も思ったのですが この方舞台で見ると
とても大きく堂々とされていて TVで拝見するいじられキャラとは
全く違った印象です。 教祖役も良かったです。
藤原竜也さん、 ちょっと癖のある芝居が気になっていたのですが
私の思い違いだったようで 立ち回りも含め期待出来そう。
教祖のヒトイスの言い間違いから ヒトイヌなる 人が犬の真似をして
生きている という役があるのですが 意表を突いていてナイス!!
新感線の舞台は 始まる前から熱気で 劇場の空気の色が変わって
見えます。
昨日6月19日 昼の部の観劇でした。
風呼
P.S
シレンとギラは 後醍醐天皇の寵愛を受け 最後まで行動を
共にした 阿野廉子(あのれんし)と その三男で後村上天皇に
なる 義良(のりよし 又は のりなが)から 名付けられました。
ご指摘くださったあゆさん有難うございます。
昨日は 久しぶりの歌舞伎見物でした。
どのくらい久し振りかというと 昨新春の 玉三郎の独演会
を除けば 二年前の歌舞伎座御名残公演以来です。
歌舞伎座の改修工事なってから 5月の団菊祭をはじめ
主要な公演は 大阪で行われていて ここ東京で見たい演目
がなかったのです。
平成中村座は 勘三郎さんが病気だったし。
らんらん歌舞伎
歌舞伎見物に
わたくし的 定番
銀座三越で
食料調達
地雷屋の
天むす弁当に
フルーツたっぷりの
ケーキ
久しく忘れていた
歌舞伎観劇前の
らんらん感 が
甦ってきます
一回目の幕間に
弁当を食べ
二回目の幕間には
ケーキを
今日は 演舞場名物の
小倉最中アイスも
いっちゃいましょう
ひとりでも楽しい
らんらん
歌舞伎見物
時々 ジョアンのヒレカツサンドとか 海老のゼリー寄せとかも
加わります。
歌舞伎見物は 客席で飲食できて 嬉しい
風呼 でした
三代目市川猿之助の 父、三代目市川段四郎と 祖父、初代
市川猿翁は 同じ年に亡くなりました。 50回忌追善公演でも
あります。
襲名の方は 三代目猿之助が 二代目猿翁に 三代目猿之助の
実子で俳優の香川照之が 九代目市川中車に その香川照之の
子が 五代目市川團子(だんこ 初舞台) と四人一緒です。
口上を取り仕切る 坂田藤十郎さんは よく間違わないで仰ったと
感心しました。 間違えそうになった方もありましたよ。
追善は50回忌で終わりになるそうです。
香川照之さんが襲名した中車という名は やはり成人してから
歌舞伎役者になった 祖父の猿翁の弟が継いだ名で パズルの
ピースのように これ以上ぴったりはないだろう という名です。
私は今日、 『小来栖の長兵衛』 を見たのですが 新中車さんの
初舞台は なかなかのものでした。 演技が臭すぎて浮くのではな
いかと懸念していましたが 歌舞伎の方は元々大仰なので 違和感
はありませんでした。 意外だったのは あまり大きい方ではないと
いうこと。 (171センチ らしい)
新猿之助さん演じる 狐忠信(義経千本桜 『川連法眼館の場』)
ですが 先代猿之助さんに比べて 線が細く上品で 子狐の感じが
良く出ていました。 しかし迫力満点の先代に比べると物足りなく
はあります。 狐とばれてからのあやかし感もうすい。 少々
眠くなりました。 宙乗りは 天井近くの揺さぶりが激しく 子狐が
悪乗りしているようで 楽しめました。
口上に於ける 團子ちゃんですが 足が痛くて口上に参列できない
役者さんもあったというのに きちんと正座でひれ伏したままの長
帳場は立派でした。 声も大きく良く通ります。 7才にして肝が
据わっていると みました。
冒頭の緞帳は 福山雅治さんから 4人の襲名に贈られたもの。
澤瀉屋(おもだかや)さんの特徴をよくとらえた 隈取です。
風呼 でした
渋谷東急文化村の Bunkamuraザ・ミュージアムで
開催中の レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想 展に行って
きました。 (6月10日まで)
ダ・ヴィンチ 以前の肖像画は 表情のない静止画でした。
内面から滲み出る表情を ダ・ヴィンチが描き それを後続
が真似るようになったのです。
70余の展示画で ダ・ヴィンチ(1452~1519) が描いたと
確かに証明されるのは この ”ほつれ髪の女” 一枚だけです。
殆どが ダ・ヴィンチの模写になります。
モナ・リザ だけで 10点余の模写。
絵画論を ダ・ヴィンチは沢山残しています。 事細かに論じた
言葉を 後に弟子が本にしました。 ちょうど印刷技術が発達
し始めたころなのです。 美人は俯きがちに描く とか 顔にかかる
髪は・・・ とか、 かなり具体的です。
手の内を全部見せてもいいのです。
誰も彼を越えることなどないのだから。
(ダ・ヴィンチ自身は 師を超えない弟子なんて と言ったそう)
この ”ほつれ髪の女” は 30センチ四方くらいの 小さな小さな絵
です。 ”モナ・リザ” を見たときも 小さい! と思いましたが 比
ではありません。 額縁ではなく モダンに ガラスが被せてある。
色調も ポスター等で見るより 全体にチョコレート色が濃く 暗い。
それでも 絵の前に立つと 惹き込まれます。
これ一枚だけでも 来てよかったと思いました。
優美とは まさにこの事なのだと。
風呼 でした
セ・パ交流戦で ジャイアンツは ヤフードームで 対
ソフトバンク戦 8連敗中でした。
そのうち5敗は 杉内、ホールトン の両投手だそう。
5日の巨人の先発は 杉内投手で 9連敗は免れたいと
始めは気負いながらも 気迫のピッチング。 両リーグを
通じてトップの 8勝目をあげました。
去年は 対戦相手の ソフトバンクにいたんです。
巨人に 勝っていたんです。 8連敗の中に 自身の
勝ちが入っている。
負けた相手チームの ピッチャーが 今年は味方で先発
して勝ちました。 ホールトンでも勝つだろう。
どっちのチームにいても この両ピッチャーのいる方が勝つ
のは明白です。
苦手ピッチャーを取り込んだ 今季の巨人の選手補強は
なるほど ううむ と 勝利の法則になりました。
いいんだろうな。 プロなんだし。
ホールトン対杉内 という対決も見てみたい
風呼 でした
今日 正確には昨日 ワールドカップ予選のオマーン戦は
欧州でプレーしている選手たちの さすがの活躍で勝利。
惚れ惚れと見とれました。
オマーンのキーパーも良かったですね。
そういう事で いよいよ私の好きな鎌倉時代の前奏に突入の
NHKドラマ 『平清盛』 は 録画してさっき見終えたところです。
歴史としては 大変に面白い時代だと思うのですが ドラマの
視聴率が低い理由は 登場人物が多すぎるというより 名前が
♪ 南の島の大王は その名も高きハメハメハ~ 状態のせいも
あると思うのです。
殿上人は 皆 藤原氏だし 平氏の名は ◯盛ばかり。
清盛の父は忠盛、 兄弟に 宗盛、 経盛、頼盛、
子どもに 重盛、 基盛、 宗盛、 知盛、 その他、親族にも多く
判別がつきにくい。 私がかろうじて認識しているのは 知将で有名
な重盛と 歌舞伎 ”義経千本桜 ” の 『渡海屋』 の場面で 碇を
括り付け 仰向けで後ろ側の海に飛び込み自害する 勇猛な知盛。
青葉の笛 の敦盛という少年もいましたね。
まさか額に マル忠 とか マル重 とか 書くわけにはいかないし。
そういえば最近、知盛の子孫という若い女性に会いました。
WIKIPEDIAに 40代目が存在するとありました。
風呼 でした