明和元年(1764)浅草並木町生まれの つばき の 26才までが描かれています。
10代将軍家治(1760~1786)の時代は天災が多く 元号が 宝暦、明和、安永、天明 と変えられて厄を払おうとしました。
田沼意次が権勢を振るった時でもあります。
つばき 9才の時に江戸で1万人以上が焼け死んだ 明和の大火災が起きます。
炊き出しに母親と参加した つばき はここで飯炊きのうまさを認められ、母親と共に吾妻橋火の見番小屋の賄に雇われます。 つばきの父親は腕のいい大工でしたが酒の上の賭場で10両もの借金をし その利息を払うのにいっぱいいっぱいだったのです。母娘の稼ぎとしては破格でしたが 暮らしはつましいまま 給金はそっくり蓄えます。
1780年、17才になったつばきは 貯えをもとに2人の妹も一緒に 安くてうまい一善飯屋を始めます。 その屋号が ” だいこん ” なのです。
その大事な ” だいこん ” が 下町を襲った洪水(1781年)の被害にあいますが 幸いなことに店は大繁盛だったので蓄えはたっぷりありました。
父の采配により再建なった ” だいこん ” はやがて夜は酒を出すようになり 商売敵にそれを揶揄された つばきが 深川に店を構えるところで終わります。 深川の方が土地の格が上らしい。
つばきの職人型の父親譲りのきっぷのよさ が小気味いい。
商売の筋もいい。
真っすぐな人柄と器量の良さが 多くの人を魅了します。
吉原の新築なったばかりの大籬(おおまがき)が全焼、など 中後期の江戸が感じ取れます。 江戸時代って長いんですよね。
600ぺージ以上の長編でしたが 久しぶりに先を急いだ傑作です。
by 風呼