今日は 月に一度の 吾妻鏡購読の日でした。
文治五年(1189年)六月九日 頼朝の生母 由良御前の塔の供養が
行われました。 異母弟義経の喪中ではあるが 30日以上たっている
事ではあるし 京から導師も来ていることだし 頼朝は寺社に入らない
で 眺めるだけなら良いだろうと 桟敷が用意されました。
1181年平重衡により焼失された 東大寺再建の材木の調達の話等。
直径1メートル、 長さ30メートルの木が120余本必要だった。 伐り出した
山口から 奈良まで運ぶのに まず川に堤防を造り 堰き止めた水の勢い
で 瀬戸内海に出し 淀川から木津川へ。 その堤防の数は130以上にも
のぼりました。
一本の木を陸路で運ぶのには 400頭の牛を要したそうです。
佐々木高綱がその任を負い その功績を 頼朝に讃えられました。
その他 烏帽子の話など。
内裏雛が被っているのは 冠だそう。 烏帽子は キャップの様なもので
種類も 固く立っていたり 上部は布で折れ曲がっていたりと 色々あるそ
うです。
そんなこんなの 今日の吾妻鏡購読。
風呼 でした
井上陽水の ”Hello, Goodbye" と銘打たれた 2012年の
ライブツアーです。
アンコール5曲を含み 全24曲、 二時間半を短いと思いました。
衰えぬ透明感のある声、 変わらぬ体形, リズミカルな機敏な動き
に 日頃の精進が伺われます。
人知れず努力されているんでしょうね。
最後は 一階席は総立ち状態、 3年前のグリーンホール相模大野
のコンサートの時は 誰も立っている人はいなかったのですけれど。
やっぱり横浜(県民ホール) だと観客のノリが違うのでしょうか。
それでも陽水さんの歌には 田舎の劇場でも手抜きは一切ありませ
んでした。 舐めてかかる歌手もいるんですよ。 (不幸にも
その時 私の席は 二階最後列左端でしたが それを幸いに 通路
に立ってノリノリで踊りました。 踊ったりしていたのは 私一人だけ
だったようですが)
コンサートの真ん中位に歌われた ”リバーサイドホテル” は 十余年
前に死んだ弟が好きで よく歌っていた曲です。 「姉さんも聴きなよ」
とテープを貸してくれましたっけ。 今日じっくり歌詞を確かめていたら
かなりきわどい詞であると判明、 陽水さんの歌は聞き取りにくいので
気付きませんでした。 まだ若かった弟は何を思いながら歌っていたの
でしょうか。
♪ ホ(ッ)テルはリバーサイド~
ちょっと格好をつけた弟の歌声を久しぶりに思い出した
風呼 でした
佐藤B作率いる 東京ヴォードビルショウは 今年で創立40周年
だそうです。
『トノに降る雨』 は その記念興業の第一弾、 久々の新作だそう。
シアタートラム という劇場は 舞台が可動式の 客席200余の
ミニシアターです。
そのミニシアターの東京ヴォードビルショウの公演に 松金よね子、
ベンガル、 えなりかずきが客演するというので 見に行ってきました。
時は 織田信長が頭角を現し始めた 戦国時代、 尾張の小さな国
のトノ は 水が欲しい隣国に急襲され 山中を逃げ惑う。 偶然
鉄砲つくりに出会い 攻めてきた信長に献上して和平する。
突然 雨も降ってきて干ばつは解消、 実は百姓の出だったトノは
家督を 正統の弟に譲り 百姓に戻る。
若い女優さんたちが棒立ちだったのは 脚本の仕上がりが大幅に
遅れたかららしい。 なのに客演にかかわらず トノの母親役の
松金よね子さんはさすがで 団員のトノの弟役の山口良一さんの
軽妙な演技とともに 光っていました。
えなりかずきさんは 意外や意外 顔が小さく手足が長く 実際に
見ると都会的です。 木下藤吉郎役でした。
この後 4本の上演をして 佐藤B作さんは 座長を後進に譲ら
れるそうです。
全体に 笑いのアクセルが重いと感じた
風呼 でした