松平忠輝は 徳川家康の 六男として生まれた。
母親は 天皇にしか仕えないという自由人、道々のものと呼ばれた鋳物師の元妻。
その怪異な風貌を嫌った家康に「捨てよ」と言われ 家臣の下野長沼(栃木県)城主の元に預けられる。
天才的な武将だったため織田信長に恐れられ 21才で自害を強いられた嫡嗣信康に余りに似ていたためだとも言われている。
野山を自由に駆け回り忠輝は 類まれなる身体能力を身に着け、その能力を見抜いた剣術の達人にしこまれ 知性をも身に着ける。
やがて家康にその才を認められるが 二代将軍秀忠の激しい嫉妬ににあい 執拗に命を狙われるようになる。
一斉の偏見を持たない忠輝は 道々の者とも交わり、宣教師から医術を学んだりした。
伊達政宗の息女 五郎八姫(いろはひめ)を妻に迎え 政宗とも信頼関係をを結ぶ。
やがて五郎八姫が信仰するようになったように 全国に70万人はいたというキリシタンの篤い信頼を得ていた。
たびたび襲われた秀忠が送った柳生の刺客との闘いとか まるで時代劇全盛期の東映映画を見ているよう。
伊達政宗のイスパニア派遣は 家康と図った忠輝国外脱出作戦だった(未遂)とか、
大坂夏の陣に傀儡姿で紛れ込み 千姫を逃がし、秀頼と別れの盃を交わしたとか。
史料も織り込まれる話の展開に 何処までが本当なのかと思います。
自分亡き後、秀忠に殺されることを惜しんだ家康は 忠輝を勘当、その死の床からも排した。
が、忠輝の母阿茶の方に 野風の笛を 忠輝にと託す。
野風の笛は 信長・秀吉・家康と伝わった 名笛だった。
家康の死後に忠輝の高田75万石を廃された25才までが描かれています。
諸国を流されるも92才、五代将軍まで見届けます。
作者、隆慶一郎氏は 還暦を迎えてから小説を書かれました。
それまでは「にあんちゃん」等を書かれた脚本家だったそうです。
東大で小林秀雄に師事、師の評が怖くて 亡くなられてから執筆を始められたとか。
喧嘩と酒に溺れた、学徒動員世代だそうです。
1989年、第二回柴田錬三郎賞受賞式の直前に66才で死去。
文字通り 血沸き肉躍る傑作です
by 風呼