ピカソについて 語らせて
パブロ・ピカソは 1881年10月25日に スペインアフリカ大陸が目前の
マラガ という市で生まれました。
父 ホセ・ルイスは 神職の兄の庇護の下で 絵を描きながら自由に暮す 今の
フリーターのような 生活をしていました。
お茶目で洒脱 痩身で長身 イギリス人のようだったので 皆は憧れを込めて
”ジェントルマン” と呼んでいました。
母 マリア・ピカソは 目鼻立ちは整っているが マラガ人独特の 短身で横に
育つタイプ。 椅子に座ると足が床に届かなかったそうです。
ホセ・ルイスが40才の時 25才のマリアと結婚します。
その直前に 一族の誉れの兄が急死、 スペインの習慣で 未婚の姉二人の面倒も
ホセが見る事になります。
ホセは 40才にして初めて 定職につきます。
そうしてその翌年 一族の唯一の男子、パブロが誕生します。
鳩の足
欲しい物は絵に描けば
何でも手に入った
鳩の足を壁にピンで留め
美術学校の教師だった父親は
四才のピカソに
写実だけを求めた
鳩の足さえ描ければ
何でも描ける が信条だった
天才の名を欲しいままに
十四才の時
画家でもあった父親に絵筆を折らせ
十五才で売春宿に入り浸る日々
舞台美術を手がけ
キュビズムを起こし
そのどれにも飽き足らず
鋭い眼光に取り込んだ映像を
脳裏に展開し
子供が描くように
キャンバスに表した
1881年10月25日、呼吸停止で生まれ
医師の叔父に葉巻の煙を吹き込まれて蘇生した
嫡子に 父親は
多くの縁者の名をつけた
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・
ネポムセーノ・マリア・デーロス・レメディオス・シプリアーノ
・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ
彼が用いた名は最初と最後、
パブロ・ピカソ
ピカソは彼を溺愛した母方の姓だった
マラガでは長い名をつけたそうです。 けれど寿限無の様なこのピカソの名は
特別に長かった。 蘇生した子に対する父の想いが伝わってきます。
風呼 でした