御年 83才 になられたそうです。
戦後の 二枚目の名を欲しいままにした 俳優 宝田明 さんの 小学校5年生から 『ゴジラ』で映画初主演されるまでの物語。
宝田明さんと云えば 満州引揚者として知られています。
ハルピンで終戦を迎え (最後の)引揚者になるまで 若年男子はシベリアに抑留されたため 小学生なのに肉体労働に駆り出され 数々の食べるための苦労をされつくしました。
自身も 銃で撃たれ 生死をさまよわれるなど 数々のソ連兵の横暴振りを目の当たりにされます。
隣の奥さんが ソ連兵に引きずられて行き 凌辱されるのを目撃されたりもしました。
無蓋車に揺られ 壊れた線路道を歩き にわか筏に荷物や弱いものを乗せ バタ足で泳いで引いて川を渡ったり 日本行きの船の出る港に着いたのは 二か月後だったそうです。
高校在学中に 周囲の勧めで 一期生には 三船敏郎や久我美子さんがいた 東宝ニューフェイス6期生に応募し合格。
同期の 岡田真澄さんとつるんでいましたが 2人ともあまりに目立ちすぎるので エキストラからも外されたそうです。
そんなある日 ”ゴジラ” の主役に大抜擢、ビキニ島での水爆実験をヒントに創造された ゴジラ は 環境破壊の恐ろしさを 世界中に知らしめました。
ハリウッド殿堂入りしている ”ゴジラ” は 29本まで制作され 宝田明さんはそのうちの 4,5本に出演されて7いるそうです。
正直 宝田明物語 が どう舞台で表現されるのか 昼夜の一日二回公演、 体力は大丈夫だろうか危惧していました。
ラジオドラマ形式になっていて 全員坐っての放送形式。
宝田さんは殆ど喋りっぱなし、 私が見たのは夜の部なので 同日二度目なのに文字通りご自分の経験、時に涙を拭われ言葉に詰まられる場面もあり 会場は緊張感に包まれ しんと静まりかえりました。
戦争の悲惨な体験は 誰も語りたがりません。
同じ経験をした人が 何も語らないまま亡くなっていくのを見て 80才にして宝田さんはこの企画をたてられたそうです。
いい舞台でした。
三越劇場は 客席514。
施設は古く 不便なところもありますが 雰囲気のあるいい小屋です。
9月27日観
by 風呼