ピカソ・マニマニア

ピカソの91年を 詩にしました。
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100億円のピカソの絵  マリー・テレーズについて

2010-05-08 15:52:10 | 日記

5月4日の ニューヨーク クリスティーズのオークションで 幻といわれた 愛人マリー・テレーズをモデルにした ピカソの絵画が 美術作品としては最高値の 100億円で落札されたそうです。


このブログはもともと 20世紀の怪物 パブロ・ピカソ の生涯を 人間学として(どうしてこんな人物が生じたのか) 一生を詩で綴ることから 始めました。

2009年5月13日 『鳩の足』 が最初です。


1927年 もう十分有名になっていた 45才のピカソは 街角で出会ったマリー・テレーズに声を掛けます。  マリー・テレーズ、当時17才 金髪の恵まれた肉体の持ち主でした。

マリー・テレーズは ピカソが何者であるか知りませんでした。
けれど3人の父親の違う子を産んだ母親は 知っていました。

少女のままマリー・テレーズは ピカソの性の奴隷になっていくのです。
ピカソは 学校のキャンプに参加しているマリーを 密かに訪れ そこで交わったりもします。


1918年に結婚した オルガとの間に6才の嫡子パウロがありました。
作風は妻オルガが好んだ 新古典主義 といわれる写実に戻っていました。

この「ヌード、観葉植物と胸像」は 1932年に描かれています。

正妻オルガとの仲がだんだん険悪になっていく頃です。

ピカソは 自分の作品を余り手放したがらない人でした。
オルガに愛人の存在を知られたくないので 売ったようです。


金髪で豊満な肉体のマリー・テレーズの存在が ピカソの画風を変えていきます。
曲線で描かれた金髪の女性は ほぼマリー・テレーズとみて 間違いないようです。


1935年 妻オルガと別居します。
同年マリー・テレーズとの間に 娘マイアが誕生。

オルガは再三ピカソに 離婚を要請しますが 結婚時の取り決め 財産は半分づつ を ピカソは惜しみ 応じません。

オルガは 後に狂ってしまうのですが 1955年の死まで正妻のままです。


マリー・テレーズは ピカソの「結婚する」の言葉に翻弄され続け 一生涯いつでも第二の愛人でありつづけるのです。

ピカソの死の5年後に ガレージで首を吊って自死します。



2009年6月1日 『泣く女』、  6月2日 『マイア』、  8月17日 『もう一人のパブロ・ピカソ』、  8月26日 『死神ピカソ』   等  読んでいただけると幸いです。  

  

      風呼r   でした      




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