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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

FINAL FANTASY XIII

2010年01月02日 23時59分33秒 | GAME
 正月から自宅に籠もって、DSの小さな画面でRPGもないだろうと、既に発売日に購入済みであった話題のFF13を始めてみた。なにしろ、実質的にはよーやく(本当に)登場したPS3最初のビッグタイトルであり。PS3というオーバースペックなハードでどんなことをやってくれるのか、ウェッブ公開されたトレイラーの仕上がりからして期待は十分といった感じだろう。初出荷180本というのは数は、その期待値を大きさを物語っていると思う(もっとも、現在では「発売から2週間目にして4位に転落」とかいう記事も出てきたりしているのだが....)。もちろんは私もそれを期待して購入してきた訳だけれど、このところすっかりDSでゲームやるのが日常化してしまい、現在は「Wizardry生命の楔」をやっているところだったので、どうもゲームの掛け持ちというのが苦手なクチゆえ、これが終わってから....始めてみようか、などと考えいたという訳だ。

 さて、始めてみて驚くのは、やはりというか、当然というかその画面の美麗さである。最初に出てくるのは、華奢な体つきだが女戦士という設定のライトニング。さらさらとゆらめく金髪をこれ見よがしに強調して、PS3というハードだから実現できた(であろう)、高精細なキャラクターだ。また同行するファンキーな黒人の表情もこれまた作り込んである感じで気味悪いくらいリアルである(清楚だけどエロい、赤毛のヴァニラがチャーミング、FF10でいえばリュックみたいなもんか?)。当初の舞台となる夜空の封鎖区画は「FF10」を思わせる作りだが、立体感、パースペクティブ等はハードウェアの向上をいかんなく活用してマスとマクロをぐっと強調して、いやおうなくスケールの大きな世界をつくっている。この後、スノウ、そしてヴァニラとホープと次々に登場して封鎖区画を進みつつストーリーが進行していく。ちなみに戦闘画面だが、バトルモードになると画面の精度がショボくなるなどということもそれほどなく、膨大な量のセリフとあいまって、かなりリアルな戦闘となっているのは特筆ものだ。

 ただ、これはもうネット上でうんざりするほど云われていると思うのだが、ゲームのプレイヤーという点からすると、なにしろ一本道である。ムービーの合間にちょこちょとこと戦闘しているという感じ。後でどうなるは分からないが、勝てば現段階では戦闘システムも○ボタンを連打して、HPが減ったらポーション使い、勝てばHP全開という感じなので、ゲーム的なおもしろさはほとんどないといってもいい。またゲームのインターフェイスもFF11のそれに慣れすぎたのか、いちいちターゲットをポイントせずに実行できたり、視点や移動の流儀もちょいと違和感がある。とりあえず第2章、主要な登場人物5人が揃って、章が改まったところまでやってみたが、この後はどうなるのだろう?。
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シェーンベルク「グレの歌」第2,3部/ウィグルスワース&ベルギー王立歌劇場O他

2010年01月02日 17時09分35秒 | マーラー+新ウィーン
 巨大な両端にサンドイッチされた第2部はわずか4分たらずである。登場するのはワルデマールのみ、第1部の主題をいくつか回想しつつ、トーベを失った絶望と悲嘆にくれた彼が神を呪い非難する場面である。ワルデマールを演じるステファン・グールドは見た目らかしてヘルデン・テノールっぽくていい、なにしろここからは彼が主役だ(最後のいいところは語り部にもってがれるが-笑)。いずれにしても、この後ワルデマールは現世的には死に、第三部では幽霊となってグレを彷徨うことになるので、独立しているのだろう。これまた極小から極大へ行き交うロマン派最終ステージならではのやり口といえるかもしれない。

 第3部はワーグナー風に「ジークフリート」か「神々の黄昏」風の序奏でスタート。すぐさま亡霊となったワルデマールが同じく死した家臣どもを引き連れて、神の復讐するためグレに攻め込む様が絵かがれる。映像付きでみると例の「10本のホルン」が壮観だ。続く農民の歌は、ワルデマールの騎行におののく様が歌われる。途中、舞台の裏に並んだ合唱団が「ホッラー!」とかけ声を1回だけやるところがあるが(それだけのために!)、ここでもそのように行われていたかどうか、映像には映らなかった。第3曲は亡霊の家臣達が、最後の審判まで狩りをし続けることを歌っている。当然、男性合唱団によるものだが、劇的でかなり複雑そうなポリフォニーを、ぞくぞくするような凄い迫力で歌っている。こうした迫力は映像付きなら、やはり数段スレートに伝わってくる気がする。
 第4曲はワルデマールによるトーベの追想、音楽的にも第1部のロマンティックなムードが回帰する。第三部を交響曲に見立てるとすると緩徐楽章に相当するパートとともいえなくもない。で、前曲が緩徐楽章とすると第5曲はスケルツォという感じだ。今度は道化師のクラウスという新しい登場人物によって歌われるが、ロマン派以降を感じさせるモダンなオーケストレーションが乾いたユーモアが印象的だ(第三部のオーケスレーションはシェーンベルクが無調時代に入ってから行われた)。

 第6,7曲は神々に攻め入る様がワルデマール(第6曲)とその家臣(第7曲)によって歌われる。当然、4楽章の交響曲というフォーマットに倣うなら、これは最終楽章ということなるだろうが、あまり壮絶なドラマチックさを展開する訳ではなく(そういうところもあるが)、比較的暗い決意表明のような感じである。何故かといえば、朝も近づき彼はやがて浄化されてしまい、この後、本当のクライマックスがこの後続くからである。
 これ以降の3曲(第8,9,10曲)はこの第3部のフィナーレであると同時のこの大曲の全体の総まとめのようになっている。徐々に明かりが差してくるようなオーケストラの序奏(第8曲)に続いて、ハイライトである語り部のパートとなる。例のシュプレッヒ・ゲザングといいう語りと歌の中間をいくようなものだが、これをブリギッテ・ファスベンダーがやっている。ブリギッテ・ファスベンダーで女声の語り部というのは珍しいのではないか。この語り部のパートは枯れきった老人声でやってこそという気がしないでもないが、これはこれで別の音楽的感興がある。ともあれこのパートを浄化された主人公の魂が脇から語られ、ラストの大合唱団による本当のハイライトとなる訳だ。いずれにしても、この最後の2パートは、-聴く時を選びはするが-何度聴いて感激する。今回は映像付きでその高揚感もひとしおである。指揮者もオケ、歌手陣も大熱演で、正月のひととき、この大曲をおおいに堪能させてもらったという感じである。
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シェーンベルク「グレの歌」第1部/ウィグルスワース&ベルギー王立歌劇場O他

2010年01月02日 17時09分21秒 | マーラー+新ウィーン
 昨年の正月は「トリスタンとイゾルデ」だったけれど、今年は「グレの歌」を観てみることにした。この4月にNHKで放送されたもので、マーク・ウィグルスワースがベルギー王立モネ劇場管弦楽団他を振り、ブリギッテ・ファスベンダーなど歌手を揃えて、2007年にアムステルダム・コンセルトヘボウで上演されたものだ。「グレの歌」といえば、シェーンベルクによる「ロマン派の総括」と呼ぶに相応しい畢生の大作であり、数百人の編成、これをオペラ、歌曲集、オラトリオ、カンタータといった要素をハイブリッドしたような形式で物語を展開させていく、膨大な音楽的情報量を包含した巨大な作品である。
 私はこの作品を昔からけっこう愛好していて、これまでかなりの数のCDを購入してきたが)、その独特な形式故なのか、ストーリーが把握しづらい、音楽的ハイライトがよくわからないところも正直いってなくもなく、いまいち作品を身近に感じることができないうらみもあったのて、映像付きで観れるとは千載一遇とばかりに録画してあったもので、さすがに映像付きだと音楽がよく「見える」のはうれしい限り。演奏シーンの邪魔にならない程度にストーリーを暗示するイメージ映像が出るのもいいい。

 前奏のラヴェルの「ダフネ」を思わせるキラキラした前奏(第1曲)での巧みな楽器のリレーションなど、耳だけだとなかなかすーすー流れていってしまうものだが、こうやって映像で見せてもらえると、聴くべきポイントがよく分かるという感じだ。前奏のムードをそのまま引き継いぎ、調度対になっている感もある幸福感に満ちたワルデマールとトーベの最初の歌(第2,3曲)は穏やかだが、随所になんともいえない世紀末的な美しさがにじみ出ていて陶酔的である(特に第2曲の最後はまるでハリウッド調)。第4曲の冒頭はかなり表現主義的な強烈な響きである。ワルデマールがトーベに逢いに馬を走らせている場面だが、風雲急を告げ的な音楽になっているのは、その後の展開を暗示しているのだろう。オーケストラが凱歌のようなムードに変わると、第5曲のトーベの歌となる。これも後半は賑々しい響きとなる。
 第6,7曲は出会った2人の愛の語らいといったところだろうか、前のセクションと併せてさながら「トリスタンとイゾルデ」の2幕の逢瀬の場面を彷彿とさせる。第8,9曲は、ムードに暗雲が漂い始めたりもするが、当然、トリスタン風の音楽だ。第10曲は一連の「愛の場面」のフィナーレに相当する曲で、ワルデマールによって歌われる。続く第11曲はオーケストラのみによる間奏曲。前曲のムードをそのまま引き継いで始まり、次第に激しさと陶酔感を増しつつ、これまで登場した主題やモチーフを次々と登場させていく様は、さながらソナタの展開部のようで、大管弦楽好きの私には「うー、こりゃ、たまらんなぁ」的な音楽になっている。ベルギー王立歌劇場管弦楽団はちともっさりしたところがないでもないが、まずまずの力演だ。

 第12曲は有名な「山鳩の歌」である。単独の歌曲としても演奏されるこの曲でもって、このふたりの現世での悲劇的顛末(ワルデマール王妃によってトーベが殺害、ワルでマールの悲嘆等)が語られることになる訳だ。当事者同士がピンポイントで物語りを進行させ、そのハイライトでもって、いきなり端折り方(?)をして第1部を終わらせてしまうというのはなかなかおもしろい。「愛の場面」を交互の歌の連なりとして表現した前の場面もそうだが、こういうのはロマン派最終期ならではの絡め手なのであろう。
 ちなみに、トーベ役のアンネ・シュヴァンネヴィルムスは第9曲が最後だが、割と癖のない素直な歌いぷりに、もっと劇的に歌う人もいるのだろうが、オペラの劇性とはちょいと違ったところで成立した曲なので、このあたりが頃合いだという、言い方もできるだろう。山鳩役のアンナ・ラーションはまさに歌曲といった感じの端正な歌である(最後のテンションは凄いが)。という訳でまだ第1部が終わったばかりだが、長くなったので第2部以降は別項にて続けたい。
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