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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ミクロス・ローザ/プロビデンス

2010年01月17日 18時09分13秒 | サウンドトラック
 アラン・レネといえば「24時間の情事」や「去年マリエンバートで」といったヌーベル・バーグ期の歴史的名作を残したフランスの監督である。そのアラン・レネが70年代後半に往年の手法を再び駆使して作り上げた作品が、この「プロビデンス」だ。往年の手法とはトリッキーな時間の流れや客観主観が判然としないショットといったものだが(この最たる作品が映画史上の名作「去年マリエンバートで」である)、「プロビデンス」はこうした手法を再び使った作品という評判だったと思う。
 ストーリーはもはやあまり覚えていないので、解説文をそのまま引用させてもらうと、『78歳の誕生日の前夜、宏壮な館の奥深くで病魔に苦しむひとりの老作家が死の強迫観念に襲われながら、最後の力をふりしぼって構築する物語と現実を、重層的に交錯させて描く。』というもので、記憶によれば「去年マリエンバートで」のようなキレはなかったものの、ジョン・ギールグッド扮する老作家の妄執と、誕生日の当日に集まる家族らによって、それまでの映画語られてきた来た「事実らしい出来事」がそうでなかったことが判明するあたりはアラン・レネらしいところだった。

 で、これは後で気がついたのだが、この映画のサントラを担当していたのが、最晩年のミクロス・ローザだったのは意外だった。ローザといえば、ハンガリー出身とは国籍はアメリカで、1940年代から「白い恐怖」や「ベンハーなど」ハリウッドで数々の名作を作ってきた人だから、その最晩年によりによって難解をもって知られるフランスの映画監督の作品に音楽を付けるというのは、普通ならありえない人選だったからである。
 さて、実に久しぶりにこのサントラを聴いた印象だが、ピアノが哀しげだが優美な旋律を奏でるメインタイトル(ワルツ)など、「えっ、これがあのミクロス・ローザ?」と思うほど、ヨーロッパ映画らしいエレガンスを感じさせる仕上がりだ。少なくとも「ベンハー」や「クウォデバイス」の豪快さやスケール感は薬にしたくもないという感じ。当時ローザは70歳、そろそろ枯淡の境地に達していた故の作風なのだろう(そもそもヨーロッパの人ではあるし)。

 また、もともとはニューロティックな音楽を得意としていた人だけあって、「白い恐怖」を思わせるドラマチックな展開を見せるところもあるし、ハリウッド風でやや時代がかったが「愛のテーマ」のような楽曲も一部登場ないでもない。レネの作品には完全ミスマッチな作風だとは思うか、思うにこの映画が「かつては前衛だった手法を懐古的に使って作られた作品」だとすれば、こういう古臭い音楽をあえて入れるのは、かなり意識的なものだったのかもしれない。
 という訳で、晩年のローザの音楽を味わうにはいいアルバムだ。ちなみにローザはこれと同じ年に、ビリー・ワイルダーが監督した、これまた回顧的な作風そのものがトリックになっている「悲愁」という作品の音楽もつけているが、こちらもサントラは確か「懐古的偽ハリウッド音楽」のような作風だった気がする。残念ながら私はサントラを持っていないので(CDになっているのだろうか?)、なんとなくこちらもを独立して音楽だけを聴いてみたいになってしまった。
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カーリン・アリソン/バラード~コルトレーンに捧ぐ

2010年01月17日 17時09分30秒 | JAZZ
 年末に取り上げたイヴォンヌ・ウォルターの「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」と同じアイデア、つまりコルトレーンの「バラード」を丸ごと歌ってしまったアルバムである。カーリン・アリソンという人は寡聞にして初めて聴く人だが、1992年にレコード・デビューし、本作が7作目か8作目となるようだから、中堅白人ジャズ・シンガーといったポジションといったところだろう(このアルバムの後、現在まで5作くらいあるようだ、ボサノバ・アルバムなどもあるようだ)。レーベルはコンコードだし、本作もかなり豪華な布陣(ジョン・バティトゥッチ、ルシス・ナッシュ、ジェームス・カーター、ボブ・バーグ他)で収録されているから、それなりにステータスもセールスも実績のある人なのだろう。ちなみに本作は2000年に制作されており、当然イヴォンヌ・ウォルターのそれに先行している。なんでも同じ頃イヴォンヌ・ウォルターも同じ企画を温めていたのだが、本作が出てしまったので、しばらくアルバムを制作を凍結していたのだそうだ。

 さて、本作の内容だがイヴォンヌ・ウォルターがベースとピアノという極めてシンプルでストイックなバッキングで歌っていたのに比べると、こちらはピアノ・トリオ+サックスというバッキングが付いているから、聴こえてくる音楽はこちらの方が数段豪華であるし、GRPを思わせるリッチな音質という点でもポイントが高い。カーリン・アリソンのヴォーカルは、妙なアクのない素直である意味ポップな声である。また、こういうバラードばかりを歌うというのは、かなりしんどいハズだが、全く危なげなく非常に安定して歌っているので(スキャットもそつなくこなしている)、瀟洒なバックとともに安心して音楽に身を任せていられるという感じだ。そんな訳で、本作はまるでGRPのアルバムを聴いているような上質感があり、どこといって、欠点がないのは良作であるのは確かなのだけれど、なんでいうか、コルトレーンの「バラード」にあった、異様に隔絶したストイックな佇まいのようが、ちと欠けるような気がしないでもない。その意味では、イヴォンヌ・ウォルターの方が、本家のDNAを感じさせたような気がしないでもなかったが....。
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ジャネット・サイデル/ディア ブロッサム

2010年01月17日 12時24分54秒 | JAZZ
 ジャネット・サイデルは寺島靖国氏のお気に入りシンガーということで、一時かなりジャズ・ファンの間で話題になった人で、きちんと国内盤も発売されていた。私はその話しを聴き、興味津々で何枚か購入してきたものの。どうも「夜と酒とタバコとジャズ」みたいなイメージとは対極にある、なんていうかあまりに健全な趣味性とあっけらかんとしたオプティミズムが横溢したキャラクターに、自分のイメージしてるジャズとはちとかけ離れたものだったので....と思い、何度か聴いてはみたものの(今調べてみたら、クリスマスアルバムまで購入していた)、そのまま放置してあった。確か4,5年くらい前だったと思う。今は日曜の午後のということもあって、ちょいとリラックスした気分でなにか毛色の違った音楽でも聴いてみようかと思い、久しぶりにこれを取り出してきた、久しぶりに聴いたら、また違ったイメージがあるのでは....みたいな期待もある。

 さて、ん年ぶりにジャネット・サイデルだが、けっこういい。この人はブルースがかったところが全くなく、音楽はジャズといっても基本的に脱色ラウンジ系みたいな感じだし、ボーカルも非常に乾いていて飄々としたところが特徴なので、こういうのを夜に酒飲みながら聴いてみたいとは、相変わらず思わないものの、今みたいな気怠い真っ昼間に聴くにはいい感じである。本作はタイトルからも分かる通り、ブロッサム・ディアリーへのトリビュート作品ということで、多分彼女の十八番を中心に歌われているものだろう。サイデルもディアリーも共にウィスパー声ということで、多分に共通点は感じるが、サイデルにはディアリーのような毒気がなく、ある意味健康的なチャーミングさとコロコロと玉を転がすような声がポイントで、9曲目の「アイムヒップ」などそうした特徴がよく出ている。また彼女はピアノ弾き語りということで、12曲目の「ブルース」などそうしたスタイルで歌っているが、ジャズというよりはミュージカルか都会的なシンガー・ソングライターのような感じである。

 という訳で、夜の酒のお供にはちとなんだが、今みたいな時間帯のBGMにはなかなかいい、「そっか、こういう時には聴けば行ける音楽だったんだねぃ」とちょっと目から鱗である。つまりチェスキー・レーベルでやっているような音楽なのだろう。ちなみに最長でも4分くらいの短いナンバーが18曲という構成も肩が凝らなくていい感じである(ただ、日本人のイラストレーターが日本用に作ったと思われる、いかにもOL向けな可愛い系のジャケはいかにも過ぎてなんだかなぁ....という感がなくもないのだが-笑)。
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伊福部昭/映画音楽全集3

2010年01月17日 12時02分06秒 | サウンドトラック
 このシリーズは伊福部先生が手がけた映画音楽から代表作を選りすぐり、作品毎に主要曲を小組曲風にまとめたアルバム10枚からなっている。先生の手がけた映画音楽は膨大なものがあるので、このアルバム10枚ですら、実のところ「抜粋盤」といった感はまぬがれないのだが(これの補遺のような形のシリーズもあり、それはそれで貴重だが、結果的に音源が分散してしまったのは残念なことである)、伊福部昭の映画音楽といえば、まずはゴジラ・シリーズという感がなきにしもあらずの状況が今も続いていることを考えれば、先生が作ったいわゆる一般映画からの音楽を多数含んだこのシリーズの存在は、実に貴重といわねばならない。今夜はその中から第三巻を聴いてみた。

 何故、唐突に第三巻なのかといえば、このアルバムには「暗黒街の顔役」が収録されているからだ。実は先日、日本映画専門チャンネルでオンエアされた同名作品を今し方観たところであり、実はオープニング・タイトルが流れるまで気がつかなかったのだが、冒頭のピアノのイントロが流れた瞬間、「あっ、そうか、これは先生がサントラ担当していたんだね」と思い、映画の内容もさることながら、一般映画での先生の音楽がどんな風だったのか、実は私はよく知らないので、検証するのにいい機会とばかりに、本来の目的である三船敏朗はどうでもよくなって(三船敏朗特集の一本としてオンエアされた)、もっぱら映画音楽に耳をそばだてることになってしまったのだった。

 観ていて、いや聴いていて感じのは、一般映画(今回の場合、和製フィルムノアールだが)では、先生はあまり劇中に音楽をつけていないということだ。冒頭から流れるピアノに導かれてオケが重厚に響くメインテーマが、劇中ではいくつかのヴァリエーションでもって流れるという感じで、特撮物のようにいろいろな音楽素材がつるべ打ち状態になっているものに慣れている私には、ストイックな風情すら感じさせるものだった。実は劇中にあふれかえる音楽というのは特撮映画ならでは事態で、一般映画はおおむねこのようなものだったのだろうとは思うし、先生ならではの見識もあるとは思うが(自動車修理工場での銃撃戦には全く音楽を付けていない)、それにしても「意外に目立たないな」という正直な印象だ。なお、度々繰り返されるテーマは、暗鬱で人生の悲劇を感じさせる重厚なもので、時にバンドネオンやアコスティック・ギターを交えて、場末に生きる人間達のドラマをマクロ的にクローズアップしている。ハイライトはやはり息子への土産を買って公園を歩く場面あたりだろうか。

 ちなみに映画自体はまずまずの仕上がりだ。東宝の映画で鶴田浩二というのは、「電送人間」でもそうだったけれど、後年のイメージからすると違和感を感じないでもないが、ただしこちらは心に傷を負った人間性溢れるヤクザという設定で、基本的にはその後の東映でのキャラと全く同じだから、まぁ、普通のフィルノアールとして楽しめたといったところだろうか。日活のそれと比べると、全体的に都会的で舞台も台詞もソフィスティケーションされているのは、やはり東宝ならではという感じである。
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