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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ヨス・ヴァン・ビースト・トリオ/Swingin’ Softly

2010年01月10日 23時54分58秒 | JAZZ-Piano Trio
 ヨス・ヴァン・ビーストのアルバムはたいていあまりにムーディーに仕上がっているので、けっこう聴く時を選ぶ。ムーディーといっても、甘口一辺倒ではなく、ヨーロッパのピアニストらしく温度感が低く、あまり過剰には感じさせないけれど、その耽美的なムードというのは、いったん聴き始めてしまえば、それこそ上質なBGMとして、本を読んだり作業をしたりしている時に、「あぁ、コレ、いいねぇ」と、最高に機能性を発揮したりするのだけれど、何故だかいったん離れてしまうと、すぐそこのラックに入れているのに、出してくるのが、なんとなくおっくうになってしまう人なのだ。まぁ、ヨーロッパ系のピアニストはみんなそんなころがあるけれど。ヨス・ヴァン・ビーストは音楽の「その軽さ」(良い意味で)といったところから、もう少し頻繁に聴いても良さそうなものだが、特に最近聴いていない人でもあった(彼の「EVERYTHING FOR YOU」を取り上げたのが、4年前の今頃だから、まぁ、推して知るべしといったところか)。

 そんな訳で、久しぶり連休の中日、その夜のリラックス・タイムということで、これを出してきた。ひょっとする購入したはいいが初めて聴くアルバムかもしれない。1曲目は「星影のステラ」からスタート、キース・ジャレットよろしくの思索的なソロ・ピアノが序奏のように付いている。いいムードである、透明感があり、過剰なところが一切ないそのセンスは....しばし聴き惚れてしまうほどだ。インプロにも自然に流れ込んでいき、適度にジャズ的なフレージングを織り交ぜながら、「星影のステラ」という曲から離れてしまいそうなところで、プイとテーマに戻るあたりのセンスもいい。うーん、やっぱいいね。次の「テルケンス・ウィア」って、スタンダードだろうか?。どこかで聴いた曲なのだが、思い出せない。「枯葉」は意表をついて、この曲がシャンソンであることを思い出せる歌物風なアレンジ。さすがに耳タコの曲だけあってテーマはさらりと終わらせ、ちょっとオスカー・ピータソン風なフレーズなどもいれて、珍しく「濃い」演奏になっている。

 「ミス・ジョーンズ嬢に会ったかい」はラテン風なリズムで、都会的な軽快さを演出している。こういう曲では彼がオランダのピアニストであったことを思い出せる、あの国独特な「軽快感」を感じさせる。「カーニバルの朝」はピアノ・ソロのイントロ付きで8分にも及ぶ長尺演奏。本編はスローなボサ・ノヴァにアレンジされているが、こういうのはビーストのもうひとつの顔である(ちとリズム・セクションがボサ・ノヴァというのはきっちりし過ぎているのが難だが)。私の好きな「ヒアズ・アット・ザ・レイニー・デイ」は、やはりピーターソン風なピアノ・ソロが頭についたけっこう長い演奏。ウェス・モンゴメリーのヴァージョンを参考にしたのか、これもボサ・ノヴァ風なアレンジになっている....という訳で、こり人の音楽自体が久しぶりだったので、酒を飲みつつけっこう楽しめた。ところで最近の彼はどうなのだろう。相変わらず澤野工房からアルバムを出していたりするのだろうか。
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ハイドン 交響曲 第43番『マーキュリー』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年01月10日 11時23分56秒 | ハイドン
 この43番もシュトルム・ウント・ドランク期の作品です。第1楽章はゆったりした面持ちの序奏(?)に始まりますが、やがて伸びやかで快活なへ第一主題へと変わっていきます。続く第二主題はあまり第一主題の方と性格が対照的になっていないため、「あれこれといろいろな要素は入っていそうだが、今一歩明快さに欠ける」という感じがしないでもないです。おそらくこれは意図的にこのように作曲されたものなんでしょうね。後半にテンションが高まるところなど、シュトルム・ウント・ドランク期特有の緊張感が感じられたりもしますが、全体とてはどうもつかみ所がない感じで、その良さを体感するには、かなり聴き込む必要があるかもしれません。
 第2楽章は、おとなしめのヴァイオリンが楚々とした主題を演奏しています。この演奏だと全4楽章中最長の8分強の時間をかけていますが、かつてのハイドンの緩徐楽章といえば、セールポイントは平穏さだけみたいなところありましたが、さすがにこの時期になると、ベートーヴェンを予見させる思索的な風情があります。

 第3楽章のメヌエットは格調高い仕上がり、かなり宮廷風な感じですが、いつにも増してリズムが太く、また対位法の線がきれいなのが印象的に残りました。トリオはソロ・ヴァイオリンがフィーチャーされ、ちょっと静謐な感じもあるこれまた格調高いもので、第2楽章同様、音楽として純度の高さを感じさせます。最終楽章では第1楽章の明るく伸びやかな雰囲気に戻って進んでいきます(いくぶんバロック的といえるかも....)。ただし、ハイドンの最終楽章らしく、一気呵成にラストまで進んでいき、一陣の風の如く終わるという感じでもなく、途中、妙に落ち着いた風情となったり、思い出したよう快活になったりと、そのとりとめなさも、つかみ所のなさもなにやら第1楽章と共通しているように感じました。
 なお、この43番は慣例的には「マーキュリー」というニックネームがついているようですが、何に由来してそうなったのか、ネットであれこれ調べてみても、結局はよくわかりませんでした。マーキュリーといえば「水星」のことですが、占星術とか神話(科学とか商業の守護神でしたっけか)かなにかが関係あるんですかね。興味あるところです。
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