ゼルキンのブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴いたら、なんだかギレリスとヨッフムの演奏を聴きたくなったのですが、これは手許にないので、他に何かないかとあれこれ探してみたところ、こんなのが出てきました。ビアノはアレフレッド・ブレンデルで(偶然にも「ディアベリ変奏曲」の聴き比べと同じ組み合わせ)、ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウという布陣による73年の録音です。
さて、ゼルキンのブラームスがセルの振るクリーブランドもろとも、非常に男性的で剛直な響きを中心に据えた、ある意味辛口な演奏だったとすると、こちらはアムステルダム・コンセルトヘボウという、芳醇でエレガントな響きを持つオーケストラの音色を堪能させるやや端麗な演奏といえましょうか。このオーケストラは、オランダというお国柄を反映しているのか、フィリップスの録音ポリシー故なのか、中庸の美徳などいってしまうとミもフタないですが、全てにおいて過剰でない節度を持った響きが特徴だと思います。特に弦の美しい響きは、その美麗さにおいてウィーン・フィル、機能美といった点ではベルリン・フィルにかないませんが、ある種女性的といってもいいような、その楚々としたエレガントな美しさは、やはりヨーロッパの名オーケストラに恥じない素晴らしさがあります。
こういうオーケストラですから、ブラームスという古典派に規範を置きつつも、その音楽には隠しようもなくロマン派的な痕跡が随所にあるという音楽には、やはり相性は抜群だったんでしょう。先に聴いたセルとゼルキンが組んだ演奏は、前述のとおり剛毅で安定感のあるベートーベン流のブラームスでしたが、こちらはここにない風景を夢見たり、追憶に涙したり、魂の解脱を望んだり、いかにもロマン派的な情緒が見え隠れする演奏だともいえます。このあたりはブレンデルの演奏にもほぼ似たようなことがいえ、この曲の精力的なところはあまり表に出さず(安定感はありますが)、まるでシューマンを弾くようにラプソディックな感情の変化を中心に演奏していると私には聴こえました。ついでにいえば、ここでのフィリップスの録音はまさに極上です。
さて、ゼルキンのブラームスがセルの振るクリーブランドもろとも、非常に男性的で剛直な響きを中心に据えた、ある意味辛口な演奏だったとすると、こちらはアムステルダム・コンセルトヘボウという、芳醇でエレガントな響きを持つオーケストラの音色を堪能させるやや端麗な演奏といえましょうか。このオーケストラは、オランダというお国柄を反映しているのか、フィリップスの録音ポリシー故なのか、中庸の美徳などいってしまうとミもフタないですが、全てにおいて過剰でない節度を持った響きが特徴だと思います。特に弦の美しい響きは、その美麗さにおいてウィーン・フィル、機能美といった点ではベルリン・フィルにかないませんが、ある種女性的といってもいいような、その楚々としたエレガントな美しさは、やはりヨーロッパの名オーケストラに恥じない素晴らしさがあります。
こういうオーケストラですから、ブラームスという古典派に規範を置きつつも、その音楽には隠しようもなくロマン派的な痕跡が随所にあるという音楽には、やはり相性は抜群だったんでしょう。先に聴いたセルとゼルキンが組んだ演奏は、前述のとおり剛毅で安定感のあるベートーベン流のブラームスでしたが、こちらはここにない風景を夢見たり、追憶に涙したり、魂の解脱を望んだり、いかにもロマン派的な情緒が見え隠れする演奏だともいえます。このあたりはブレンデルの演奏にもほぼ似たようなことがいえ、この曲の精力的なところはあまり表に出さず(安定感はありますが)、まるでシューマンを弾くようにラプソディックな感情の変化を中心に演奏していると私には聴こえました。ついでにいえば、ここでのフィリップスの録音はまさに極上です。
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