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ブラームス ピアノ協奏曲第1番/ゼルキン,セル&CO

2006年03月05日 16時35分40秒 | ブラームス
 これも随分ひさしぶりです。ブラームスはピアノ協奏曲を2曲残しましたが、作品15ということで、ピアノ協奏曲に限らず、そもそも彼が扱った管弦楽関連の作品でももっとも若書きの部類に入るものといえます(セレナードの第1番は作品11)。もともと2台のピアノのためのソナタ、次に交響曲へ構想がかわって最終的にピアノ協奏曲になったという経緯があるだけに、曲の偉容といい、演奏時間といい(約45分)、ある種のシリアスさといい、見事に交響曲的で、聴いているこちらもほとんど交響曲を聴いているような気分になる曲です。たまにピアノとオケが丁々発止とやる場面が出てくると、「あっ、コレ協奏曲だったんだ」と思い出すという....。

 さてこの作品、一般的には「若書き故にオーケストレーション、構成、展開といった点で後年の作品ほど熟成していない」みたいな評価があって、私もそういうものだと思って聴いていた訳ですが、久しぶりに聴いてみると、なかなかどうして素晴らしいです。昔は聴きとれなかった、あるいは感じ取れなかった、この作品の良いところも見えてきたりして収穫でした。
 昔見えず、今回見えたところはいろいろありますが、大きいのはこの曲が「後年の交響曲第1番とほとんど同じブラームス的な世界を語っていた」という点です。そんなの当たり前じゃないか、といわれかもしれないけれど、なにやら由々しき事態の勃発みたいな深刻なムードに始まり、苦悩の中で善悪が葛藤していくような音楽を進め(第1楽章)、次に平静の魂の安寧を希求するような音楽を提示したところで(第2楽章)、やがて苦悩が克服され、それを称揚するようなフィナーレとなる....みたいな音楽的な筋書きという点で、もうほとんど交響曲第1番と同じ視点、同じ感情なんですよね。

 結局、ブラームスという人は、20代の頃から最初の交響曲で語るべき内容はほぼ決めていて(そのプロトタイプはもちろんベートーベンの「運命」とか「合唱」あたりにあるんでしょうが)、それに相応しい表現を模索していたということが、理屈じゃなくて身体で感得できたというのが、今回の収穫でした。
 という訳で、ほんとうはゼルキンの弾く「ヘンデル・ヴァリエーション」目当てにこのディスク聴き始めた訳ですが、思いの他、ピアノ協奏曲第1番の方が良かったもので、ちょいと書いてみました。そういえば、ブラームスのピアノ協奏曲といえば、アナログ時代にはギレリスとヨッフムがベルリンと組んだディスクを愛聴してましたけれど、それを聴きたくなっちゃったな。

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