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ブラームス 7つの幻想曲/ペーター・レーゼル

2010年05月01日 22時45分36秒 | ブラームス
 今日はブラームスの晩年のピアノ独奏曲集群の中から「7つの幻想曲」を集中的に聴いてみた。もともとはアファナシエフのCDが届いたので、これらの曲はその予習のつもりで聴き始めたのだが、久方ぶりに聴いてみたところ、思いの他楽しめたので、案の定、CDラックを検索したり、新たに購入してきてしまったりで、典型的にハマっている状態になってしまった(笑)。そんな訳で、この2,3日この4曲をつらつらと聴いているところなのだが、やはり4曲(というか20曲)を通して聴くと、それぞれの楽曲の印象が散漫になってしまうがちなので、ちょうどGW中で暇もあることだしと、とりあえず今日は4曲の冒頭を飾る「7つの幻想曲」から行ってみたという訳である。

 この曲は4曲の間奏曲と3曲の奇想曲から構成されている。構成比率としては4対3だか交互に出てくるのかというと、そういう訳でもなく、 (カリプッチョ)-(間奏曲)-(カリプッチョ))-(間奏曲×3)-(カリプッチョ)) という、あまりシメントリックでない構成になっている。特にカリプッチョの方は、ブラームスらしい激情をピアニスティクなフレーズで綴っている感もあり、かなり華麗な技巧を要する場面も登場したりして(二つめのカリプッチョはアルペジオを駆使した主題など)、後の3作品ほど自然体でないというか、どこか肩の力が抜けきっていないところがあり、なんとなくブラームスの作曲者としての「力み」のようなものを感じたりもする。

 一方、第4,5,6の曲の3曲は、いかにもブラームス晩年の枯淡の境地を伝えるこの曲集の白眉ともいえるブロックになっている。特に「夜想曲」みたいな雰囲気の第4曲目は絶品で、瞑想的な雰囲気の中にふと寂しげな風情が顔を出すところなど実に味わい深いものがある。また、この曲を受けての2曲、特徴的なリズムが逡巡する思考を表しているような第5曲、子守歌みたいに始まり次第に幻想味が増していく第6曲、いずれも「夜想曲」的な雰囲気を受け継ぎつつも、次第に内向の淵に沈んでいくような連なりになっていて、なんともいえない味がある。個人的にはこの3曲だけで独立させて、「3つの夜想曲」とかいうタイトルでも、つけても良かったんじゃないかと思ったりするくらいだ。

 こんな風に考えると、なんとなくとても悲しげな雰囲気の第2曲は、仮にこの「7つの幻想曲」をソナタに例えるなら、第二主題に主題のように思えてくる。そうすると、3-6曲が長大な展開部で、第7曲は省略された再現部って感じに考えられなくもない(第7曲は、途中でふと夜想曲的なところが忍び寄ったりする)。いや、あくまでもこじつけだが、でも、そういう「起承転結」感覚がこの曲にはあると思う。晩年になって、再びピアノ音楽に手を染めたブラームスだが、いきなり自由きままに枯淡の境地を開陳するには、彼の音楽嗜好はちと優柔不断過ぎたのかもしれない。それでこんな構成的になったのではないだろうか。

 なお、本日聴いた演奏は、クリーン、オピッツ、アウストベ、そしてこのペーター・レーゼルである。ドイツ風な堅実な演奏をする人で、質実剛健、虚飾を排したストイックな演奏という趣きも強い。インテンポで進む「カリプッチョ」などびくともしない風情であり、まるでベートーベンを聴いているようだし、「間奏曲」も内向的な面持ちや幻想味に過剰に寄りかからないストレートな演奏である。ざっくりといってしまえば、サロン風なクリーンと、きっちりかっちとしてシャープなオピッツの真ん中といったところか。これといって際だった個性はないが、何度か聴いていると、ブラームスというのは本当はこういう音楽なのではないか....と思わせる説得力はある。


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