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ブラームス ピアノ四重奏曲 第3番/バリリ四重奏団、デムス

2009年11月11日 00時20分22秒 | ブラームス
 第三番の方はようやく体に馴染んできたという感じ。というか、聴く度に「あぁ、これは名曲だなぁ」と思えるようになってきたところだ。ピアノの和音によるドラマチックな開巻から、暗明を往復しつつ、次第に気分を高揚させながら曲を進行させ行く第一楽章の壮麗さ。第二楽章の緊密に構成されたスケルツォの充実感と不気味な勢い。それと鋭く対照する第三楽章の安らぎ切った雰囲気。最終楽章の逡巡しながらも暗から明を目指す葛藤のようなものを表現した切実感と....。少なくとも、聴くべきところがふんだんに用意された作品であることは、聴けば聴くほどにそれを発見できる曲ということが分かってきたというところである。

 バリリ四重奏団の演奏は、さすがにこういう曲では、さすがに時代というべきなのか、この曲をベートーベン流に深刻な曲として解釈しているのか、随所にシリアスな表情を随所に見せている感じだ。第一楽章も第一主題はぐいぐいと進み、やや明るい第二主題ではぐっとテンポほ落として曲の振幅をはっきりと隈取っているあたりは、先の2番でもそういうところはあったけれど、この楽章の持つドラマチックさをより強調していると思う。こうした明暗をくっきり対照させて曲の振幅を増大させていくようなやり方は、第二楽章や最終楽章でもいえることで、おそらく50年代だと、そういうロマン派時代の演奏の名残りのような解釈は、-特にウィーンのような保守的な地域では-まだまだ残っていたのだろうと思う(なにしろまだフルトヴェングラーもワルターも生きていた時代だからな)。もっとも、第三楽章はその鄙びた雰囲気、エレガントな風情はさすがで、なんともいえない雰囲気がある演奏なのだけれど、意外にもテンポはけっこう早めで、実は割とすっきりと演奏しているが意外な点でもある。

 あとこれは、第一番のところにも書いたけれど、この演奏はやはりその出来や仕上がり以前に、そのあまりに乾いて潤いのない録音がやはりちとひっかかる。いくらなんでもこんなにマイクを近づけることはなかのではないか。なにせ時代はSP、しかも製作がアメリカ陣ということあって、こういう音になるのは必然だったかもしれないが、ファウスト、ジュランナ、ムニエ、ハンやボザール・トリオの完備した録音と聞き比べてしまうと、やはりその点では大分損をしていると思ってしまう。これがもうすこし残響をとりいれ、しかもステレオ録音だったりしたら、どんなに聴き映えがしただろうとつい感じてしまうのだ。

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