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R.シュトラウス管弦楽作品集/アバド&LSO

2006年02月19日 11時34分02秒 | クラシック(一般)
 これも先日、オークションにて格安で落札したもので、価格は約600円でした。内容はアバドが中堅のスター指揮者だった80年代前半頃、LSOとのコンビで収録したR.シュトラウス集です。彼がRシュトラウスを交響詩を振ったアルバムというのは、あまりないと思いますし、エバーグリーン的な名盤として、これが再発され続けているという話も聞きませんから(とはいえ発売当初はかなり評判良かったような記憶ありますが)、現在ではけっこうレアなアルバムなのかもしれません。それが600円というのは良い買い物だったかも....。

 収録曲は「ドン・ファン」、「ティル」、「死と変容」という、アナログ時代特有の組み合わせです。前2曲が旧A面、3曲目が旧B面になる訳ですけれど、無理にこじつければ、この組み合わせは「三楽章の交響曲」みたいな感じで聴けるのが良かった。「ドン・ファン」がソナタ形式のアレグロで、「ティル」がスケルツォ、「死と変容」は統合化された緩徐楽章と最終楽章みたいな感じで、メリハリといい、60分にという演奏時間といい、実に塩梅が良かったと思ってます。現在はCDの収録時間を考慮しているか、「死と変容」のかわり「ツァラトゥストラ」が入ったり、「ドン・ファン」「ティル」はもっと長い曲のフィル・アップに回ることも多いので、そのあたりすっかりくずれてしまいましたけど....。
 なので、分散してしまったこの3曲を、CDRに再構成することもけっこうある訳ですけど、これはちとこだわり過ぎか(笑)。

 さて、アバドとLSOのコンビによる演奏ですが、速いテンポでリズムの切れが良いとてもすっきりとした演奏を聴かせてくれます。このところカラヤンの70,80年代のこってりして重厚な演奏を聴いてきたので、余計そう感じるのかもしれませんが、これらの曲の標題楽的な側面にはあまり拘らず、音楽のフォルムというか流れのようなもの重視した演奏という感じです。例えば、「ドン・ファン」では、第1主題と第2主題をあまり極端に対照せず、あくまでも「全体を構成するためのパーツ」として、ひとつの流れの保持しつつ演奏しているようで、あえていえば古典的なプロポーションを感じさせる仕上がりになっているんですね。まぁ、このあたりはアバドの美点でもあり、同時のこの指揮者のもの足りないところでもあるんですが、とにかくRシュトラウスに対して、ひとつの見識を見せた演奏ということになると思います。

 一方、「ティル」では、この曲のモダンなオーケスレーションを際だたせているのが印象に残ります。奇怪な音響を多用したグロテスクなくらいダイナミックなスケルツォという側面をこの演奏では強く感じさせるというか、この曲がドビュッシーやストランヴィンスキーと同じ時代の音楽だったことを思い起こさせるというべきか、ともかくこの曲に潜むモダンなセンスを引き出した演奏とえるでしょう。また「死と変容」では、両端に置かれた緩徐楽章的な部分とワーグナー風に荒れ狂う中間部が「ドン・ファン」と同じ要領であまり極端に対照されず、すっきりとバランスさせたモヤモヤしないクリアな「死と変容」という感じです。

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