戦後まもなく作られた(昭和26年)市川崑監督作品。私の世代だと市川崑といえば、「ビルマの竪琴」に「東京オリンピック」、あとはぐっと下って金田一シリーズをとった娯楽性を兼ね備えた技巧派の監督みたいなイメージがあるものの、実はよく知らないというのが正直なところだ。映画そのものは戦前から関わっていたようだが(アニメの世界から実写映画へと転身した人らしい)、やはりこの時期の作品は監督としてはごく初期のものだろう。
ストーリーは、結婚前夜の娘(久慈あさみ)が幼なじみ(池部良)を誘って、都内で独身最後の日を満喫しようとする。ふたりで銀座で映画、大門でスケート、食事、ダンスホールとデートが進んで行くに従い、元々このふたりは愛し合っているようなので、当然結婚に迷いが出て....というものだ。結局、主人公は何事もなかったかのように結婚してしまうし、特に激情的なドラマが展開する訳でもないのだが、結婚前夜と心のゆらめきのようなものを、淡泊だが実に新鮮に捉えた作品だと思う。
主演は久慈と池辺の他、久慈の両親役で千田是也と村瀬幸子、あと北林谷栄、森繁久彌といった布陣で作られている。市川の演出は非常にリズミカルでテンポが軽妙、カメラワークやオーバーラップなどの技法も斬新で、当時は相当にモダン感覚だったと思われる。なにしろ、結婚の前夜の娘が幼なじみとはいえ他の男のデートするって設定自体、相当斬新である。いくら戦後になっていたとはいえ、結婚前夜に他の男と深夜までデートする娘というのは、かなり思い切った設定だったに違いない。
ドラマ的にまず銀座で観る「哀愁」が、その後の展開を暗示させ、夜になってホールに行って、あれこれ語り合っているうちに、久慈の心がほんの少しづつ揺らぎ始める。ふたりは最終電車に乗り遅れて、想いの丈を語り始めたりするのだが、結局はきちんに家に帰って、その日に結婚してしまう。映画では思い切りよく省略し、両親のサバサバした会話で締めくくってしまうのは、当時としてはかなり斬新だったと想われる。当時の映画なら、これを情念や後悔の念を絡めた、けっこうドラマチックな終盤にしたはずだからだ。
この時期の久慈あさみは、いかにも宝塚出身らしいシャープな美形、ただ、ちょっとあまりに利発そう、かつドライなところが勝ちすぎで、こういう役をやるにはちと愛嬌がない感じがしないでもない。池辺良は優柔不断で弱気なところはあるが、まぁ、いつものイメージである。久慈の両親役で千田是也が実に茫洋とした雰囲気の良き父親を好演。あとダンス・ホールのシーンでは、この時はまだずいぶん若い森繁久彌が出てくる。
ストーリーは、結婚前夜の娘(久慈あさみ)が幼なじみ(池部良)を誘って、都内で独身最後の日を満喫しようとする。ふたりで銀座で映画、大門でスケート、食事、ダンスホールとデートが進んで行くに従い、元々このふたりは愛し合っているようなので、当然結婚に迷いが出て....というものだ。結局、主人公は何事もなかったかのように結婚してしまうし、特に激情的なドラマが展開する訳でもないのだが、結婚前夜と心のゆらめきのようなものを、淡泊だが実に新鮮に捉えた作品だと思う。
主演は久慈と池辺の他、久慈の両親役で千田是也と村瀬幸子、あと北林谷栄、森繁久彌といった布陣で作られている。市川の演出は非常にリズミカルでテンポが軽妙、カメラワークやオーバーラップなどの技法も斬新で、当時は相当にモダン感覚だったと思われる。なにしろ、結婚の前夜の娘が幼なじみとはいえ他の男のデートするって設定自体、相当斬新である。いくら戦後になっていたとはいえ、結婚前夜に他の男と深夜までデートする娘というのは、かなり思い切った設定だったに違いない。
ドラマ的にまず銀座で観る「哀愁」が、その後の展開を暗示させ、夜になってホールに行って、あれこれ語り合っているうちに、久慈の心がほんの少しづつ揺らぎ始める。ふたりは最終電車に乗り遅れて、想いの丈を語り始めたりするのだが、結局はきちんに家に帰って、その日に結婚してしまう。映画では思い切りよく省略し、両親のサバサバした会話で締めくくってしまうのは、当時としてはかなり斬新だったと想われる。当時の映画なら、これを情念や後悔の念を絡めた、けっこうドラマチックな終盤にしたはずだからだ。
この時期の久慈あさみは、いかにも宝塚出身らしいシャープな美形、ただ、ちょっとあまりに利発そう、かつドライなところが勝ちすぎで、こういう役をやるにはちと愛嬌がない感じがしないでもない。池辺良は優柔不断で弱気なところはあるが、まぁ、いつものイメージである。久慈の両親役で千田是也が実に茫洋とした雰囲気の良き父親を好演。あとダンス・ホールのシーンでは、この時はまだずいぶん若い森繁久彌が出てくる。
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