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ブラッド・スウェット&ティアーズ/子供は人類の父である

2007年02月27日 00時07分39秒 | ROCK-POP
 先日、シカゴのデビュウ作を聴いたからという訳でもないが、今度は70年代初頭シカゴと並び称されていたBSTのデビュウ作を聴いてみた。私はシカゴはほとんど聴いてこなかったけれど、BSTについてはある程度聴き込んでいたので、どちらかというとBST贔屓になってしまうはご承知いただきたい。さて、記憶によれば当時は「音楽性の高さでBST、ニュー・ロック的パワーと現代性でシカゴ」みたいな捉え方をされていたと思う。今聴くとこのふたつのバンドが持っていた音楽性は全くといっていいほど違うことがわかるのだが、当時は「ブラスロック」というカテゴリーでほとんど同一視されていたのだ。洋楽後進国だった頃ならではの話である。

 さて、BSTのデビュウ作だが、体裁としては冒頭と結尾にオーケストラによる序曲と終曲が一種の額縁にように配置され、、その間にバラエティに富んだ楽曲を配しつつ、最終的に一個の作品のようになるべく、つまりビートルズに「サージャント・ペパー」のようなトータル・アルバム的構成になっているのが特徴である。音楽的にはブラス・ロックとはいうものの、自前のブラス隊の他、序曲や終曲の他にもストリングスも容赦なく取り込み、ついでにテープの逆回しだの各種イフェクトも登場して、その後のBSTと比べれると全体としてはかなり賑々しいサウンドとなっている。このあたりは、サイケデリックの残り香のような影響もあったのだろうが、アル・クーパーという一種の元々インテリで音楽マニアが講じてミュージシャンになった彼の素地が出たともいえるではないか。

 具体的にいえば、「アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ」、「サムシン・ゴーイン・オン」はブルース・プロジェクトの後塵をはいしたブルース、「彼女なしには」は本格的ボサノバ、「ミーガンズ・ジプシー・アイズ」「ハウス・イン・ザ・カントリー」はサイケ、バカラックの影響がちらほらする「マイ・デイズ・アー・ナンバード」「ソー・マッチ・ラヴ」、正統派ニューロックである「アイ・キャント・クイット・ハー」、エルトン・ジョンみたいな「プラトンとディオゲネスとフロイトの現代的冒険」といった具合に、何しろ曲がバラエティに富みすぎているである....。まぁ、だからこそ序曲と終曲という額縁が必要だったのかもしれないが。

 ともあれ、今聴くとBSTとシカゴの音楽性の違いは明らかだ。ここに収録されているバラエティに富んだ楽曲は、おしなべてアル・クーパーという人の批評眼から生まれた産物で、意識的なきっちりとアレンジで出来上がった代物という気がするのに対し(だから上手いミュージシャンを集めたのだ)、シカゴは当事者意識のかたまりみたいな音楽で、理屈抜きでオレ達のやりたい音楽やるんだという野放図なパワーが溢れている。ようするにそういう違いがあったのである。BSTはこの後、アル・クーパーが抜けある意味デビュウ作以上に音楽主義的なバンドになっていくのだが、それはまたいずれ....。

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