ショスタコの協奏曲でその豪快かつ完璧な演奏に瞠目させられたグルジアの女流ヴァイオリニスト、リサ・バティアシヴィリ(このアルバムの表記はリサでなくエリザベス)。注文してあった3枚のCDはとっくに届いているのだが、とりあえず一番古い「ヴァイオリンとピアノのための作品集」を聴いてみた。フィチャーされているのは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番、バッハの無伴奏パルティータ第1番、シューベルトの「ピアノとヴァイオリンの為の「華麗なロンド」 」の3曲。バッハとシューベルトの曲はまったく馴染みはないので、まずはブラームスのヴァイオリン・ソナタの第1番を聴いてみる(とはいってもトップに収録されているのだが)。この曲は20代の頃にけっこう聴き込んだ記憶がある。確かクリスチャン・フェラスの演奏した廉価盤で、当時、「あ~あ、単調な曲だなぁ」とか思いながら、けっこう辛抱強く聴いていたのが懐かしい。
もうクリスチャン・フェラスの演奏の記憶などほとんど記憶に残っていないので、フェラスの演奏に比べて、バティアシヴィリはどうだとか全然書けないのだが、「雨の日の歌」というニックネームが付く、そこはかとないメランコリーと瞑想的気分が全編を覆ったこの渋い曲を、実に伸びやかに弾いている。ブラームス的なしっとりしたロマンティシズムや控えめな歌心といったところにも不足はなく、特に第1楽章の「孤独だが自由だ」的な独特の満ち足りた気分にふと悲しげな気分がよぎる、もうブラームスらしいとしかいいようがないあの感覚を、なんだか久々に聴いて堪能してしまった(聴きながら、プラームスのヴァイオリン・ソナタの3曲中では、これが一番好きだったことも思い出した)。やや太めでがっしりした音色、ちまちました細部の描写にこだわらずおおらかさに弾ききっているところなど、多分、彼女の個性なのだろう。よく覚えていないが、フェラスの演奏の方がよほど甘く歌謡的な演奏だったように思う。
2曲目のバッハは無伴奏ということもあり、N響とのショスタコ演奏のカデンツァの部分をいやおうなく思い出させたりするが、もちろんこっちが元でショスタコはカデンツァはバッハへのオマージュである。バッハの無伴奏のヴァイオリン曲ってのは、実は初めて聴くのだが、もっと壮絶な緊張感があるような曲だと思っていたが、作られた時代が時代だけに、特に語法的な難解さがある訳でもないし、バロック期の音楽特有の静謐感のようなものは妙に心地よかったりした。シューベルトのは「華麗なロンド」とタイトルされている通り、かなり構えの大きな15分近い大作。序奏だけで3分半もあり、本編もベートーベン風な覇気と、シューベルトらしいメロディアスさがあれこれ交錯しているのが、おもしろい作品だが、バティアシヴィリも実に快調に弾いている(ように思う)。
もうクリスチャン・フェラスの演奏の記憶などほとんど記憶に残っていないので、フェラスの演奏に比べて、バティアシヴィリはどうだとか全然書けないのだが、「雨の日の歌」というニックネームが付く、そこはかとないメランコリーと瞑想的気分が全編を覆ったこの渋い曲を、実に伸びやかに弾いている。ブラームス的なしっとりしたロマンティシズムや控えめな歌心といったところにも不足はなく、特に第1楽章の「孤独だが自由だ」的な独特の満ち足りた気分にふと悲しげな気分がよぎる、もうブラームスらしいとしかいいようがないあの感覚を、なんだか久々に聴いて堪能してしまった(聴きながら、プラームスのヴァイオリン・ソナタの3曲中では、これが一番好きだったことも思い出した)。やや太めでがっしりした音色、ちまちました細部の描写にこだわらずおおらかさに弾ききっているところなど、多分、彼女の個性なのだろう。よく覚えていないが、フェラスの演奏の方がよほど甘く歌謡的な演奏だったように思う。
2曲目のバッハは無伴奏ということもあり、N響とのショスタコ演奏のカデンツァの部分をいやおうなく思い出させたりするが、もちろんこっちが元でショスタコはカデンツァはバッハへのオマージュである。バッハの無伴奏のヴァイオリン曲ってのは、実は初めて聴くのだが、もっと壮絶な緊張感があるような曲だと思っていたが、作られた時代が時代だけに、特に語法的な難解さがある訳でもないし、バロック期の音楽特有の静謐感のようなものは妙に心地よかったりした。シューベルトのは「華麗なロンド」とタイトルされている通り、かなり構えの大きな15分近い大作。序奏だけで3分半もあり、本編もベートーベン風な覇気と、シューベルトらしいメロディアスさがあれこれ交錯しているのが、おもしろい作品だが、バティアシヴィリも実に快調に弾いている(ように思う)。
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