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シューマン 交響曲全集/ロジェストヴェンスキー&エストニア国立SO

2007年09月24日 22時37分40秒 | クラシック(一般)
 シューマンの交響曲には、ブルックナーの版違い程ではないが、これらの曲を扱う指揮者によってスコアに改変を加えるということがよく話題になる。もっとも最近の指揮者は基本的にスコアはいじらないで演奏するようだけれど、昔はかなり好き勝手にいじくっていたらしい。その一番有名なのはなんといってもマーラーだろうが、私の大好きなセルの演奏も、かなり大胆なオーケストレーションの改変を行っての演奏だということは昔から有名だし、フルトヴェングラーとかああいう世代の指揮者になると、改変するのが当たり前だったようだ。世代的にはぐっと若いが、このロジェストヴェンスキーとエストニア国立交響楽団によるシューマンの交響曲全集は、「マーラー版の改変アイデアを多く取り入れた」とあり、ちょっと気になったの購入し、今聴いているところだ。

 一聴して確かに違う、いつも聴いているのは明らかに異なるとしかいいようがないバランスで管楽器が聴こえてきたり、やけに旋律線がくっきり聴こえてきたりするところが頻出するのだ。調べたところによると、マーラーの編曲はシューマンが重ねすぎた音の一部を排除することで、混濁するオーケスレーションの見通しをよくすることをコンセプトにしていたようだけれど、このマーラー版のアイデアを多く取り入れた演奏を聴くとなるほどと思う。聴くべき音と背景となるべき音をきっちり位置づけして、オーケストレーションを再構成したというところなのかもしれない、したがって聴こえてくる演奏のイメージはクリアそのもの、ただしシューマンらしい、ややぼんやりとしてもっさりとしたロマン性のようなものどこかにいってしまっている気もする。

 同じ改変組で、クリアすっきり派のセルの演奏はそのあたりの違和感は全くなかったのだが、どうもこのロジェストヴェンスキーでは違和感が大きいのは、スコアの改変もさることながら、やはり指揮する人のセンス+録音というものも大きくものをいっているような気がしてならない。ロジェストヴェンスキーの指揮した演奏を私はあまり聴いていなのだが、確か大昔聴いたプロコフィエフの演奏なども、非常にクリアでしかもエッジの切り立ったサウンド、理知的なクールなところと、多少荒っぽい野趣のようなものが妙に入り交じっているようなところに独特な個性を感じたものだけれど、この演奏もむしろそういうところが大きく出ているような気がするのだ。

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