これはけっこう珍品の部類かも、1935年に米ワーナーで作られた映画「真夏の夜の夢」のスコア盤です。なにが珍品かというと、音楽はメンデルゾーンを使用している訳ですが、それを編曲しているのが、かのエーリッヒ・ヴォルフガンク・コルンゴールドなんですね。コルンゴルトといえば12歳にしてマーラーが「天才だ」と賞賛し、ツェムリンスキーが「君に教えることはもうなにもない」と感嘆したという、音楽史上の神童のひとりなのは有名ですが、いまひとついわゆるハリウッド・スタイルの映画音楽の創始者としても知られている人です。近年はウィーン時代の作品も盛んに発掘されて、リヒャルト・シュトラウス系のロマン派最終ステージを飾る人というステータスも確立してきたようですが、この作品は彼が映画音楽に手を染めるきっかけとなった作品です。
どのような経緯でこの音楽を担当したのはわかりませんが、監督がウィーンのマックス・ラインハルトだったことやナチのユダヤ人迫害なんかもあったんでしょう、ともあれこの作品で彼はハリウッド・デビュウとなった訳です。内容的には前述のとおりメンデルゾーンの原曲を編曲している訳ですが、一聴して随所にコルンゴルト的な響きが満ち満ちているのは驚きます。後期ロマン派的な瀟洒でスケール大きなオーケストレーションでメンデルゾーンのかの曲を編曲するというのは賛否両論だと思いますが、シューベルトの「死と乙女」をマーラーが編曲したものなんかが、楽しめるクチだったら、これはこれで楽しめると思います。とにかく弦が厚く壮麗ですし、金管はふんだんに使われ色彩的、打楽器も多用という感じで、いかにも19世紀末の響きがするの特徴でしょう。「結婚行進曲」になんか、合唱団まで入って、ワーグナーの「ローエングリン」に使えそうな感じなんですよね、これが(笑)。
また、原曲のアダプテイションも巧みで、序曲などオリジナルの序曲の編曲というより、「序曲」+「スケルツォ」+「間奏曲」+「結婚行進曲」でもってあらたな序曲を再構成していますし、その後単体で登場するこれらの曲もけっこう伸ばしたの縮めたりしているようですし、声楽付きの楽曲はあまり記憶にないのでなんともいえませんが、おそらくかなり自由に改変しているような感じがします。2曲目の「聖歌」など、ブリリアントな金管のファンファーレや壮麗なコーラスなどからして、コルンゴルトの曲なんじゃないと思うし、全般的に半音階をふんだんに使ったワーグナー流の彼自身のオペラ「死の都」や「ヘリアーネの奇蹟」あたりを聴いているような感じになったりましから....。
という訳で、やはりこれは珍品というべき作品でしょう。この翌年に早くも「風雲児アドバース」を担当し、かの名作「ロビンフッド」も間近ということで、彼自身にとって映画音楽というのがどの程度入れ込んで作っていたかという問題は、この際おくとしても、映画音楽期への胎動としては非常に興味深い作品ではあります。
どのような経緯でこの音楽を担当したのはわかりませんが、監督がウィーンのマックス・ラインハルトだったことやナチのユダヤ人迫害なんかもあったんでしょう、ともあれこの作品で彼はハリウッド・デビュウとなった訳です。内容的には前述のとおりメンデルゾーンの原曲を編曲している訳ですが、一聴して随所にコルンゴルト的な響きが満ち満ちているのは驚きます。後期ロマン派的な瀟洒でスケール大きなオーケストレーションでメンデルゾーンのかの曲を編曲するというのは賛否両論だと思いますが、シューベルトの「死と乙女」をマーラーが編曲したものなんかが、楽しめるクチだったら、これはこれで楽しめると思います。とにかく弦が厚く壮麗ですし、金管はふんだんに使われ色彩的、打楽器も多用という感じで、いかにも19世紀末の響きがするの特徴でしょう。「結婚行進曲」になんか、合唱団まで入って、ワーグナーの「ローエングリン」に使えそうな感じなんですよね、これが(笑)。
また、原曲のアダプテイションも巧みで、序曲などオリジナルの序曲の編曲というより、「序曲」+「スケルツォ」+「間奏曲」+「結婚行進曲」でもってあらたな序曲を再構成していますし、その後単体で登場するこれらの曲もけっこう伸ばしたの縮めたりしているようですし、声楽付きの楽曲はあまり記憶にないのでなんともいえませんが、おそらくかなり自由に改変しているような感じがします。2曲目の「聖歌」など、ブリリアントな金管のファンファーレや壮麗なコーラスなどからして、コルンゴルトの曲なんじゃないと思うし、全般的に半音階をふんだんに使ったワーグナー流の彼自身のオペラ「死の都」や「ヘリアーネの奇蹟」あたりを聴いているような感じになったりましから....。
という訳で、やはりこれは珍品というべき作品でしょう。この翌年に早くも「風雲児アドバース」を担当し、かの名作「ロビンフッド」も間近ということで、彼自身にとって映画音楽というのがどの程度入れ込んで作っていたかという問題は、この際おくとしても、映画音楽期への胎動としては非常に興味深い作品ではあります。