それまで単なる娯楽映画だと思われていたヒッチコックの諸作品に様々な芸術的価値を最初に見いだしたのは、1950年代カイエ・デュ・シネマというフランス映画批評誌に集った人達で、その中にはその後ヌーヴェルヴァーグの旗手となるトリュフォーとかシャブロルみたいな人もいた。そうした人達が当時書いた文章(とはいっても日本に翻訳されたものしか読んでいないが)は、時にあまり文学的なキーワードだの、象徴だのを深読みしすぎていて、思わず失笑するようなものあったけれど、多くは示唆に富んでいて、明晰なものものだった。ヒッチコックとトリュフォーによる対談集、映画術など20代の頃むさぼり読んだものだ。
このアルバムはフランスのジャズ・ピアニスト、ステファン・オリヴァによるヒッチコック作品を中心としたバーナード・ハーマンの映画音楽作品集だ。ジャズ・ピアノといってもトリオではなく、すべてピアノ・ソロで演奏されていて、インプロビゼーションもおそらく皆無、全体としてはかなりクラシカルなたたずまいが強く、雰囲気的にはヨーロッパ系のジャズピアニストがやりがちな静謐で瞑想的なソロスタイルとも重なる。また、単にハーマンの有名スコアをピアノにトランスクリプションしたのではなく、数ある楽曲をおそらく入念に検討した上で、実に考え抜いた選曲、編曲したことが歴然とした内容になっている。
なにしろ、アルバム冒頭は「サイコ」でも「めまい」でも「華氏451」でもなく、「幽霊と未亡人」なのである。「幽霊と未亡人」の音楽はハーマンのベスト集みたいなものにもなかなか収められない地味な作品だが、実はハーマンの傑作のひとつである。しかも、弾いているのは、かろうじてファンには有名なあのメイン・テーマではなく、「夜想曲」というもっと地味な印象派風の曲なのだ。まぁ、その選曲がすべてを物語っていると思う。
いや、もちろん前述の三作品をはじめ有名作品も出てくることは出てくるが、組曲にせよ、単体にせよ映画からセレクションされた曲が地味なものが多く、ピアノという楽器で演奏されて、改めてその美しさを知るみたいなものが多い仕掛けになっている。まぁ、それこそこのピアニストがこのアルバムで狙ったものなのだろうが、これを聴きながら、「これって、大昔カイエ・デュ・シネマの連中がやったことのある意味音楽版だよな」と思ったのものだ、フランスの伝統おそるべしである。
という訳で、近年出たハーマン関連の作品では出色の出来だと思う。「愛のメモリー」~「めまい:組曲」~「悪魔のシスター」~「サイコ:組曲」へと続く流れ(作品の相関関係をごらんあれ-笑)は圧巻、ハーマン・ファンは必聴だ。
このアルバムはフランスのジャズ・ピアニスト、ステファン・オリヴァによるヒッチコック作品を中心としたバーナード・ハーマンの映画音楽作品集だ。ジャズ・ピアノといってもトリオではなく、すべてピアノ・ソロで演奏されていて、インプロビゼーションもおそらく皆無、全体としてはかなりクラシカルなたたずまいが強く、雰囲気的にはヨーロッパ系のジャズピアニストがやりがちな静謐で瞑想的なソロスタイルとも重なる。また、単にハーマンの有名スコアをピアノにトランスクリプションしたのではなく、数ある楽曲をおそらく入念に検討した上で、実に考え抜いた選曲、編曲したことが歴然とした内容になっている。
なにしろ、アルバム冒頭は「サイコ」でも「めまい」でも「華氏451」でもなく、「幽霊と未亡人」なのである。「幽霊と未亡人」の音楽はハーマンのベスト集みたいなものにもなかなか収められない地味な作品だが、実はハーマンの傑作のひとつである。しかも、弾いているのは、かろうじてファンには有名なあのメイン・テーマではなく、「夜想曲」というもっと地味な印象派風の曲なのだ。まぁ、その選曲がすべてを物語っていると思う。
いや、もちろん前述の三作品をはじめ有名作品も出てくることは出てくるが、組曲にせよ、単体にせよ映画からセレクションされた曲が地味なものが多く、ピアノという楽器で演奏されて、改めてその美しさを知るみたいなものが多い仕掛けになっている。まぁ、それこそこのピアニストがこのアルバムで狙ったものなのだろうが、これを聴きながら、「これって、大昔カイエ・デュ・シネマの連中がやったことのある意味音楽版だよな」と思ったのものだ、フランスの伝統おそるべしである。
という訳で、近年出たハーマン関連の作品では出色の出来だと思う。「愛のメモリー」~「めまい:組曲」~「悪魔のシスター」~「サイコ:組曲」へと続く流れ(作品の相関関係をごらんあれ-笑)は圧巻、ハーマン・ファンは必聴だ。
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