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ジョヴァンニ・フスコ/情事

2009年11月12日 21時28分25秒 | サウンドトラック
 アントニオーニの「情事」は彼のフィルモグラフィーでも多分一番有名な作品だ。技法というか方法論的にも従来の映画を打ち破った映画といわれていて、そういう意味でも私が映画に耽溺していた80年代初頭くらいには、その衝撃波の余韻というか、異常に高い評価がまだ通用していたように思う。なにが画期的だったかといえば、従来の映画的な物語のわくを否定したようなストーリーに仕立てたことだと思う。私はこの作品を未だ観ていないので、実にはなんともいえないのだが、冒頭に登場した行方不明になった女を捜す、恋人とその女友達のだらだらとした捜索劇のようなものらしいのだが、とにかくこの行方不明ななった女の「謎」が全く解明されず、探しているうたちに恋が始まりそうな2人の関係もなにやら展望のないまま終わる....という、いわばそれまでの映画の定石からいえばほとんど物語といえないような物語を、そのままやってしまったところが画期的だったらしい。今ならこんなストーリーでも「十分にあり」だろうが、当時はとてもそれが斬新で画期だったらしい。

 まぁ、観てもない映画の本編についてあれこれ突っ込むのも意味がなさそうなのだから、音楽の方に話を戻すことにしたい。このアルバムは昨日も書いたとおり、アントニオー二作品である「情事」、「太陽はひとりぼっち」、「赤い砂漠」のサントラから構成されたオムニバスだが、この「情事」については18曲、時間に40分のスペースが割かれているところからして、このアルバムのメイン・ディッシュといってもいいだろう。メイン・タイトルからフィナーレまで収録されているし、おそらく当時出たであろうサントラ盤をフル収録していると思われる。
 冒頭のメインタイトルは、新古典派時代のストヴィンスキーを思わせる木管アンサンブルで奏でられる。その乾いたユーモアとシニカルな面持ちは、ほぼ時を同じくして製作された、もう一方の傑作「甘い生活」の雰囲気に似ていないこともない(もっともこちらはニーノ・ロータなのでもうすこしウェットだけれど)。60年代初頭、高度成長期にあったイタリアのブルジョア達にはこんな音楽が似合ったのだろうか?。3曲目の「Valzer」はタイトル通りワルツで、マンドリンをフィーチャーしたややエキゾチックなサウンドと哀感に満ちた旋律が素敵だ。2ヴァージョン収録された「スロウ」も同様の哀愁の旋律をフィチャーした印象的な曲だ。

 さて、この「情事」の音楽だけれど、前述のような「比較的キャラの立った曲」に混ざって、漠とした不安感と倦怠感、主人公たちのうつろな心象風景を表現したような音楽が多数登場する。いずれも木管群をフィーチャーした、かなりモダンな音響で組み立てられていて、時に新古典派時代のストヴィンスキーを通り越して現代音楽的なところにまで接近してしまうところもあるくらいだ。おそらくこれらは、主人公ふたりの心象風景などを描写に違いなく、音楽を聴いているだけで、モニカ・ヴィッティのアンニュイな表情だとか、ふたりがレア・マッセリを探しつつ、けだるい恋に陥る舞台となる地中海の孤島の風景だとかが、映画を観たこともないのに思わず思い浮かべてしまう(浮かぶような気がするだけか-笑)。
 という訳で、「太陽はひとりぼっち」の方では4曲だけだったが、こちらはトラックがたっぷりと収録されているせいで、イタリア伝統の旋律美はもちろんだが、それ以上にモダンでアブストラクトな音響感覚がたっぷりと味わえる。あとこれは想像だが、ジョヴァンニ・フスコという人がおそらく現代音楽畑の音楽家で、調度日本の同じ頃でいえば池野成とか石井歓みたいなスタンスで映画音楽を担当していのではないか....などとも感じた。

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