UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

My autumn leaves of red and gold (その三)ナンキンハゼの全景)

2016-11-22 01:29:34 | 日記

昨日の日記で、ナンキンハゼの近景をお見せしましたが、今日は秋のナンキンハゼ、その全景をお見せします。どうか今日の写真をクリックしてご覧くださいませ。

昨日の午後、年に一度、庭木の剪定をしてもらっているシルバー人材センターのオジサンがやってきて申しました

「今年は12月半ばごろに庭に手入れを予定しているのですが、GGIさんのご都合はいかがですか?」

「毎日棒を振りっぱなしの暮らしですので、ご都合と言うほどのものはありませぬ、いつでもいいですよ、ああ、そうだ、あのナンキンハゼ、あれ以上を伸びないようですから、剪定しなくても結構です」、

このオジサン、わかりましたと言ってガーデンを一巡、次いで柿の木に登り、柿の実をもいでいきました。「オジサン、柿の木に登って枝が折れて落っこちたりしたら、一生ババ(ウンチ)喰わなあかんのやで」と言おうと思ったですが、そのような品無きことを言うのはGGIの人格に関わりますので、自粛しました。

ここ数年、関電の送電線に到達させ、いつまでも原発にこだわっている知性なき親方日の丸会社の送電を妨害させるべく、ナンキンハゼの枝を剪定せず、伸び放題にしておいたのですが、残念ながら送電線に到達するまでは至りませんでした。

でも、もういいのです、ナンキンハゼ君はのんびりしていたらいいのです。GGIは新電力に切り替えましたので、もう関電の送電線のことなんか個人的には何の関係もないからです。

写真をご覧になりますと、ワインレッド風の赤一色に染まっているように見えますが、ナンキンハゼの葉は秋が深まるとともに、七変化ともいうべき素晴らしき変化を見せます。

すなわち、まだ緑の葉が残る中、黄、橙、朱、赤、赤紫と美しい紅葉が次々に姿を現します。

そして、葉を落とした枝にぶらさがる白い実(種子)はムクドリ君やヒヨ君たちなど野鳥の大好物、枝を乱暴にゆすったりして食しています。

このヒヨ君たち、ふだんはどこにいるのかと思っていたのですが、昨日GGIの頭上を群れを成して派手に行進していましたので、いったいどこに行くのか眺めておりましたら、最終的には何と隣のテナントビルの屋上、広告を取りつけるための鉄骨の骨組みにとまってたむろ、大きな声で雑談を交わしておりました。

いま、しきりにナンキンハゼの葉っぱが散っています。そして、やがてわがガーデンは、あのモネさんの庭を思わせる様相を呈するのです。いずれわがモネ・ガーデンの写真をお見せしますのでご期待くださいませ。

グッドナイト・グッドラック!


My autumn leaves of red and gold (その2)

2016-11-21 01:36:18 | 日記

昨日の日記ではわがガーデン、アンズのautumn leavesを紹介いたしましたが、わがガーデンにおけるautumn leaves of red and goldという言葉に一番ふさわしいのは、唯一の大木、ナンキンハゼ君の秋の風情でありませう

一週間ほどまえ、にわかに色づきはじめました、遠くから眺めますとワインレッドふうの赤い葉っぱが目立つのですが、近くから逆光で眺めますと鮮やかな黄色の葉っぱが広がっているのがわかります

まだまだ柿の実が残っています。昨日も元大工の牛若ゴロー丸が午前中に現れ収穫していきました。近くのマンションにいる知人のところに寄ってきたというゴローさん、明るく元気ですが、まったくの自由の身でもないようでありました。茶の間でお茶をいっぱい、さて庭で柿の実をとろうという段になって、ヘンなことをのたまひました

GGIサン、わるいけどチョット家に電話して、私がいまGGIさんのところにいる、と伝えておいてくれませんか・・・・」

「いいですけど、ゴローさん、自分で電話したら?」

「いや・・・ええねん・・・GGIさん、番号しってはるやろ」

そういうわけでGGIが電話しますと「ああ、そうですか、わかりました!」と奥さんの明るい声が返ってきました。

まあ、いろいろ事情があるのでありませう、深くは追及いたしませんでした

今日の写真は柿の木の向こうに広がるナンキンハゼ君の秋の葉っぱです。よろしければクリックして、我がガーデンの秋をお楽しみいただき、ついでに柿の実をご賞味くださいませ

地面には柿の葉とナンキンハゼの小さな葉っぱが散乱しています、黄色くなった無花果の大きな葉っぱも次々に散っていきます。いまに庭一面が落ち葉で埋め尽くされることになるでありませう

グッドナイト・グッドラック!


My autumn leaves of red and gold (その1)

2016-11-20 00:42:02 | 日記

いよいよ枯葉の季節になりましたね、

The falling leaves drift by the window
The autumn leaves of red and gold・・・・

英語版の「枯葉」の歌詞はただただ甘ったるいだけのものでありますが、わが八重葎庵ガーデン、秋の葉っぱ大人向きに甘味を抑えたバラエティに富んだものであります

今日の写真はわがガーデンで今一番人目を引くautumn leavesです。どうかクリックしてご覧くださいませ

さて、みなさん、これは何の木でありませうか、梅に似たこの木はずっと以前から、旧八重葎庵時代から植わっていたのですが、新八重葎を建立するまでは花を咲かせることもなく、実をつけることもありませんでした

ところが、新八重葎庵建立のために古き庵を取り崩しましたら、春先、パッと一面に花を咲かせたのです。風向きや日当たりが変わって、どうやら長き眠りから覚めたようでありました。

棟上げのセレモニーにやって来ました職人さんたちが、ご祝儀を若干はずんだせいもあったのか、花を眺めながら楽しげに何やらさんざめいておりました

「おい、あの花、何の花や」

「桜ではないなあ・・・」

「梅でもないみたいやなあ」

「それなら桃か?」

「色からすると桃ではないなあ」

「う~ん、それなら、残りはアンズや、アンズの木や」

ということでアンズの木であると結論になったしまったのですが。GGIとしましては職人さんたちの議論、少々粗雑じゃないかと信用しておりませんでした

ところが昨春、なんとアンズの実がなったのです!たった一つきりでありましたが、確かにアンズの実でありました。

このアンズの木、不思議なのは、職人さんたちに「おまえはアンズや、間違いない!」と宣告されてからは、毎年ではありませんが、春先には見事な花を咲かせるようになりました。

それだけではなく、それまでは枯葉の季節になっても一目を引くように色づくことはなかったのですが、ここ数年、、秋になると鮮やかな色彩を呈するようになったのです、枯葉というよりは何か大きな花びらのように華やかであります、不思議です・・・

アンズの枯葉は、写真でもお分かりのように淡いピンクを基調としたすてきなmy autumn leavesであります。お楽しみいただければ幸いです

グッドナイト・グッドラック!


順調やぞ、と云われてもなあ・・・・

2016-11-19 01:48:51 | 日記

青天の霹靂さんが、もうこのへんで堪忍してやろうと思ったのでせうか、なんとなくゼンソクの波は後退しつつあります

でも、発作が出るたびに、危機を乗り切るために体力をかなり消耗するようです。昨夜はよく寝られたのですが、それでもなんだか体が重く気分がシャキッといたしませぬ。

お昼前、お茶をすすりながら、秋の陽がサンサンと降り注ぐガーデンを眺めておりましたら、先日、《ためしてガッテン》なる番組で、長いあいだ重力のない宇宙にいると筋肉が弱ってしまって地球に帰還した直後はあることさえできない、地上で暮らしていても長時間椅子に座ったままでいると筋肉が弱ります、30分に1回は立ち上がるようにしませう、などと言っていたことをGGIは思い出しました。

そうや、このままぼお~と蟄居していたら体にも精神にもよくなさそうや、近くのスーパーに行くのに、すこし遠回りをしてお寺の裏の公園、桜紅葉でもみていこう、と思い至りました。

近くのお寺というのはGGIの学校時代の1年先輩、温厚なる人物が住職さんをしている真宗大谷派のお寺です。

お寺の門にさしかかりましたら、門のわきの掲示板に墨で元気よく何やら有難きことが書いてあると思われる紙が貼ってあります。

《愚痴は出る

 そやけど これも

 「生老病死」

 生きている姿や

 順調やぞ》

ハッハーであります。この貼り紙を目にして、GGI思わず頭をさげてしまいました。GGI、みかけによらず(あるいは見かけどおりの)単細胞でありますので、お寺の前に掲示されているこの種の警句ともうしますか説教ともうしますか、この種の有難きセリフにはよわく、一瞬「御説御もっとも」と思い込んでしまうのであります。

でもなあ、そやなあ、ゼンソクは出る、これも生老病死や、確かになあ、これも生きている姿や、そやけどなあ、順調やなんて無責任にこと言うてくれるなよ~、などと若干の愚痴をこぼしながら裏に回り、お寺の駐車場の前を通りかかりました

そうしましたら、停まっていた車のなかから、黒いショールを身にまとい、黒いブーツでシャキッときめた婦人が降りてきました。髪は白く六十前後でありませうか

なななかのオシュレさんやなあと思って何となく眺めておりましたら、この婦人、GGIのほうを向いてニッコリ笑い、のたまひました

「珍しいところお出会いしますね、今日はお散歩ですか?」

あまりお澄ましでしたのでGGI最初は分からなかってのですが、よく見ました今日の目的地たる近くのスーパーさんのレジの店員さんでありました

「なんや誰かと思ったら、あなたてしたか!いったいどこのレディかと思うてしもうた・・・」

「あっはっは、夜目遠目や、お気の毒さま、もうレディという年でありません。これから仕事です、午後4時から9時まで。なにか少しふらついていはるみたいやけど、大丈夫ですか?」

「いや、ゼンソクの発作でカクカクシカジカ、やっとよくなってきたので少し散歩、でもアホな話なんかで笑い過ぎるとすぐに発作がでるんや、だから笑わさんといてくだい」

「笑ったらあかんなんて、難儀な病気やなあ。またあとでお会いしませう」と言ってこの元気オバサン、従業員用の出入口へと去っていきました。

スーパーへ行きましても食欲がないせいか、なにも欲しいものはありませぬ。しかし日頃の習慣に引きずられて、何とか買い物をすませました。

庵に帰りつき、郵便受けから夕刊や郵便物を取りだしましたら、ヘンなものが一通まじっております

差出人は「大槻警察署」、エッ!オレは警察なんかに何の用事もないぞ、うっかり封を切ったらロクでもないことになりかねない、と思い、これは当面封を切らずに放置しておこうと思っていましたところへ、某某知人がひょっこりやってきました。

「おい、警察からヘンなものが来た、どうしらええと思う」

先年、県警本部の建築工事はムダづかいだと工事差し止め訴訟を起こしたことがあるこの知人曰く

「オレはとっくに身元がばれているから、どうということないけど。そやけどGGIはいつか大津署の所長に実名で手紙だしたことがあるやろ。だから身元はばれているな。ほら、この手紙、住所が正しく書いてあるやないか」

「あのときはなあ、知り合いの牧師さnが、であい頭に殴った、殴ってないというケチな事件で十日も二〇日も警察の留置所にほりこんでおくのは人権侵害の疑い濃厚、直ちに釈放せよと書いておいた。毎日新聞がこのケチな事件を実名報道したので、アホか、こんな事件、実名報道せなあかんアカン理由なんてどこにもないやろうと支局長にねじ込んでやったら、続報では実名を削除していたんや」

「GGIよ、まあ、これ配達証明つきでもないし、ただの郵便物や、診ずにほっておいてもどうということないやろ。逮捕状を郵送してくることなんかないから、そう心配するな」

などなど、そのあと、あれこれ手術経験や検査経験の豊富なこの知人と病気談義をしばらく、「それで今日は何の用事や?」

「あっ、肝心の用事わすれてた、あのなあGGI、サンダースさんの本持っていたやろ」

「あるある、サンダンダースの自伝や、どこかそのへんに置いてあるはずやから自分で探してくれ」

知人は床に取ら場っている本のたまり場からサンダースの自伝を見つけ出し、ついでのGGIがこの知人から借りていた本も見つけ出し、満足して帰っていきました

ヘンな一日でありましたが元気が少し戻ってまいりました

今日の写真をお寺の貼り紙を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、しかとお考えになってくださいませ。

グッドナイト・グッドラック!


柿色の柿の木を眺めていた・・・

2016-11-18 01:39:52 | 日記

三日前に風邪に便乗してやってきましたゼンソクの波が未だに引きませぬ。老化の波と時を同じくして寄せては返し寄せては返す喘息の波であります

発作で窒息しそうになって苦しいときは、絞首刑ってもっともっと苦しいのだろうなあ、などと思ってしまいます

ゼンソクと申しましてもみなさん症状はそれぞれに異なると思うのですが、GGIの場合は突然ゲリラ的に激しき発作が出現します。喉の調子がよくないなあ、少し喉の奥がぜーぜーするなあ、タンがなかなか切れないなあ、などと思って咳き込んでいるうちに、とつぜん気管支が狭くなりはじめ、ドンドン息ができなくなります。肩で思いっきり息をしてもほとんど空気は入ってきませぬ。この状態にいたるにはわずか三十秒ほど、

ここで命綱の気管支拡張剤、手のひらの治まる小さなボンベから気管支へ向けて一度が二度噴射、この救急薬の効果が表れ始めるには数分を要します。この間、まあ大げさに申し上げれば生死をさまようことになるのです。手元にこの薬がなかったり、あっても効果が現れなければアウト、一巻の終わりであります。

絞首刑の場合、医学的には主な死因は窒息死かもしれませんが、専門家と称する国側の証人は、何の医学的・科学的根拠も示さずに、首をつられた瞬間、意識を失ってしまうから、苦しくはない、だから残虐な刑罰ではないと今から半世紀以上前に証言、このため今日に至るまで、死刑(絞首刑)は憲法36条において絶対的に禁じているとところの「残虐な刑罰」には当らない、したがって憲法違反ではないということになっているのです。すぐに意識を失うというのは何の医学的な証拠もない単なる手前勝手な推測に過ぎないのです。

最近もある殺人事件の裁判で、弁護側が数百人もの首つり自殺の事例を分析した経験を有する法医学の専門家をドイツから招き、法廷において、医学的データに基づき絞首刑で執行されてすぐに意識を失うとは限らない、絶命にいたいるまでの5~10分間、非常に苦しむことになると証言したのですが、死刑が残虐な軽蔑であり憲法違反であるとする弁護側の主張は認められませんでした。

いつまでも絶命にいたらないこともあります。ある刑務官経験者は、これは別の刑務官から聞いた話だと断ったうえで、「あるとき15分以上も経過しているのに絶命に至らなかったことがあります。そのときは宙吊りになっている体を床に降ろして寝かせ、柔道の有段者があらためて腕を首に回して締め付け絶命させましたそうです」と話していました。

と、だんだん話が脱線してしまいましたが昨日も時おりゼンソク・ゲリラに襲われ耐える一日でありました。買い物などのために外出しましても、のどがゼーゼーでは秒速50センチほどでしか歩きませぬ・・・・近所の顔見知りの元気オバサンに声をかけられてもろくに返事もできませぬ、あのオッサン、いよいよアカンたれになってきなあ、と思われてしまったことでありませう

しかたないので昨日の午後は毎年隣家から越境してくる木全体が柿色に染まりつつある柿の木うぃ眺めて、晩秋のひとときを過ごしました。

今日の写真は越境する隣の柿の木です。柿の実、隣家の方々はあまりとる気がないようであり、小さな実ではありますが、いまでもたくさんなっています。よろしればクリックしてご覧くださいませ!

グッドナイト・グッドラック!