昨日、朝から雨が降っていました。あいかわらずの雨、いささかうんざりだなあと思いながら遅すぎるブランチを終えて朝刊を斜め読みしていましたら、テレビがお昼のニュースを伝えていました、
何やら誰かがスピーチをしている声が聞こえてきましたのでテレビの画面に目をやりましたら沖縄県知事の翁長雄志氏が話しています。あっ、そうだ、今日は6月23日、沖縄での地上戦が事実上終わった日、沖縄戦での犠牲者を追悼する「慰霊の日」、追悼式の様子が中継で映し出されているのだと気づきました。
重い病を押しての翁長氏のスピーチは、安倍首相を目の前にして、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強引に進める政府の姿勢を正面から批判する筋の通った毅然としたものでした。スピーチの途中で何度も拍手がわき起こりました。
現役の首相を目の前にして正面から政府の姿勢を批判する勇気を持っている知事は翁長沖縄県知事をおいて他にないであろうと感じ入りました。しかし、翁長知事の表情はきわめて厳しいものでした・・・・
知事のスピーチが終わると、次に白いセーラー服の少女が、少し足早に演台に姿を現しました。沖縄県浦添市立港川中学校の三年生、相良倫子(さがら・りんこ)さんです。
真剣な表情で参列者のほうに視線を向けてから、息を整えたあと、詩の朗読(暗唱)をはじめました。「生きる」と題された自作の詩です。
しっかりと参列者に視線を向け、一言々々明瞭に、原稿に目を落とすことなく、淀みなく、よく通る声で力強く読み上げていきます。吹く風にセーラー服の襟が大きく揺れます、ときおり強い風に乱れた髪をかきあげながら、懸命に一気に読み上げました。朗読を終えるのに六分半、長い詩でした
式典で暗唱するまでに、推敲に推敲を重ね、何度も何度も懸命に暗唱の練習をしたのでありませう・・・
悲惨な沖縄戦を省みての、生きることを、平和な暮らしを正面から希求した詩でした。朗読がおわると同時に拍手にまじってあちこちから称賛の鋭い指笛が鳴り響きました。
多数の参列者を前にして、自作の詩を懸命に訴えるように朗読する少女の姿は感動的でありました。一陣の清々しい風が会場を通り抜けていきました
どのように感動的であったのか、GGIのいつもの駄弁なんかまったく不要でありませう。GGIの駄弁なんかより、もうご覧になった方も少なくないと思いますが、ネットにすでに掲載されている朗読する少女の姿を撮った映像をどうかご覧になってください。
この詩の出来の良し悪しを云々するといったコソクな話は、この映像をご覧になれば吹き飛んでしまうでありませう・・・
最後に、安倍首相が参列者のほうに視線を向けることなく終始原稿に目を落としながら挨拶、その内容は代読可能なものでありました。安倍首相は果たしてこの少女が自作の詩を懸命に朗読する姿を間近に目にして、何かを感じたでありませうか・・・・
もうこの少女の詩のことをご存知の方も多いことと思いますが、参考のためにこの少女の自作の詩「生きる」の全編を掲載しておきます。毎日新聞デジタル版からの転載です。
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子
「生きる」
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
GGIはひょんなことから沖縄普天間基地に若干の土地(「一坪」とされていますが実際にはハンカチ一枚程度の土地)を持っており、また叔父の一人(わがマザーの姉の夫)が満州から沖縄に転戦した末に「戦死」(したことになっているのですが遺骨はありません、遺族には石ころの入った箱が手渡されただけとのこと。もう一人の叔父、マザーの弟は若くしてビルマで戦病死、同じく遺骨はありません)しておりますので、沖縄の基地問題には関心がないわけではないものの、ときおり「一坪反戦地主会」の会費を払うだけでたいしたことは何もしておりませぬ。
テレビでこの少女の姿を眺めていて、GGIは野坂昭如氏がその著作《「終戦日記」を読む》(朝日文庫)の中で引用していた、あの八月六日、広島で命を落とした森脇瑶子さんという少女、当時、広島県立第一高等女学校一年生(今の中学一年生)であった少女の八月五日の日記のことを思い浮かべました。
今日の写真は自作の詩を朗読する相良倫子さんのテレビ映像の借用です。クリックしてご覧になってくださいませ
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
何やら誰かがスピーチをしている声が聞こえてきましたのでテレビの画面に目をやりましたら沖縄県知事の翁長雄志氏が話しています。あっ、そうだ、今日は6月23日、沖縄での地上戦が事実上終わった日、沖縄戦での犠牲者を追悼する「慰霊の日」、追悼式の様子が中継で映し出されているのだと気づきました。
重い病を押しての翁長氏のスピーチは、安倍首相を目の前にして、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強引に進める政府の姿勢を正面から批判する筋の通った毅然としたものでした。スピーチの途中で何度も拍手がわき起こりました。
現役の首相を目の前にして正面から政府の姿勢を批判する勇気を持っている知事は翁長沖縄県知事をおいて他にないであろうと感じ入りました。しかし、翁長知事の表情はきわめて厳しいものでした・・・・
知事のスピーチが終わると、次に白いセーラー服の少女が、少し足早に演台に姿を現しました。沖縄県浦添市立港川中学校の三年生、相良倫子(さがら・りんこ)さんです。
真剣な表情で参列者のほうに視線を向けてから、息を整えたあと、詩の朗読(暗唱)をはじめました。「生きる」と題された自作の詩です。
しっかりと参列者に視線を向け、一言々々明瞭に、原稿に目を落とすことなく、淀みなく、よく通る声で力強く読み上げていきます。吹く風にセーラー服の襟が大きく揺れます、ときおり強い風に乱れた髪をかきあげながら、懸命に一気に読み上げました。朗読を終えるのに六分半、長い詩でした
式典で暗唱するまでに、推敲に推敲を重ね、何度も何度も懸命に暗唱の練習をしたのでありませう・・・
悲惨な沖縄戦を省みての、生きることを、平和な暮らしを正面から希求した詩でした。朗読がおわると同時に拍手にまじってあちこちから称賛の鋭い指笛が鳴り響きました。
多数の参列者を前にして、自作の詩を懸命に訴えるように朗読する少女の姿は感動的でありました。一陣の清々しい風が会場を通り抜けていきました
どのように感動的であったのか、GGIのいつもの駄弁なんかまったく不要でありませう。GGIの駄弁なんかより、もうご覧になった方も少なくないと思いますが、ネットにすでに掲載されている朗読する少女の姿を撮った映像をどうかご覧になってください。
この詩の出来の良し悪しを云々するといったコソクな話は、この映像をご覧になれば吹き飛んでしまうでありませう・・・
最後に、安倍首相が参列者のほうに視線を向けることなく終始原稿に目を落としながら挨拶、その内容は代読可能なものでありました。安倍首相は果たしてこの少女が自作の詩を懸命に朗読する姿を間近に目にして、何かを感じたでありませうか・・・・
もうこの少女の詩のことをご存知の方も多いことと思いますが、参考のためにこの少女の自作の詩「生きる」の全編を掲載しておきます。毎日新聞デジタル版からの転載です。
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子
「生きる」
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
GGIはひょんなことから沖縄普天間基地に若干の土地(「一坪」とされていますが実際にはハンカチ一枚程度の土地)を持っており、また叔父の一人(わがマザーの姉の夫)が満州から沖縄に転戦した末に「戦死」(したことになっているのですが遺骨はありません、遺族には石ころの入った箱が手渡されただけとのこと。もう一人の叔父、マザーの弟は若くしてビルマで戦病死、同じく遺骨はありません)しておりますので、沖縄の基地問題には関心がないわけではないものの、ときおり「一坪反戦地主会」の会費を払うだけでたいしたことは何もしておりませぬ。
テレビでこの少女の姿を眺めていて、GGIは野坂昭如氏がその著作《「終戦日記」を読む》(朝日文庫)の中で引用していた、あの八月六日、広島で命を落とした森脇瑶子さんという少女、当時、広島県立第一高等女学校一年生(今の中学一年生)であった少女の八月五日の日記のことを思い浮かべました。
今日の写真は自作の詩を朗読する相良倫子さんのテレビ映像の借用です。クリックしてご覧になってくださいませ
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!