UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

よく考えて作られた階段は人を救うことができます・・・

2018-06-06 01:17:29 | 日記
後期高齢者ともなりますと、階段の上り下りに若干の努力や注意を要しますが、今日は、よくできた階段は人を、人の命を救うことができる、というお話です。

よい階段とはどのようなものでせうか、GGIの経験と考察に基づきますと、まことに当たりまえのことですが、一般的には幅の広い傾斜が緩やかな階段であると言えませう。もう少し、より具体的に申しますと、良い階段と言うのは思わず上って行きたくなるような、ゆったりとした上っていくにつれて視野が開けてくる階段です。

広々とした緩やかな傾斜のゆったりとした階段、ここを上っていくと何かいいことがあるかもしれないなあと、明るい気分を誘い出すような階段・・・

このような階段がベストの階段であるというのがGGIの考えです。でも、残念ながらこのような良き階段に街中で遭遇することはごく稀にしかありませぬ。

今日の写真は、別に良い階段の見本と言うわけではないのですが、もう少し工夫すればもう少し良い階段になれるかもしれないと思われる階段を撮ったものです。近くの西武ショッピングセンターさんの階段です。

などと、とりとめのないことを考えておりましたら、歴史家の羽仁五郎(1901~1983)が紹介していた良い階段についての話のことを思いだしました。若かりし頃に読んだ同氏の著作「都市の論理」か「ミケランジェロ」あるいた他の著書に書いてあった話です。記憶は定かではないのですが、おおむねその内容は次のようなものでありました

イタリアの都市、フィレンツェで孤児院を建てることになったときの話です。関係者たちが、まず、どのような場所に建てるのかがよいかを話しあいましたら、ある人物が言いました、

「たとえば父無し子(私生児)は生んでしまった若い母親は、世間の冷たい視線にさらされ、生活に行き詰まり、幼子といっしょに川に身投げして死のうと思い詰めて、大きな川のほとりやって来るかもしれません。でも、わが子を胸い抱きながらずいぶん迷うことでせう。ですから、死ぬのを思い留まらせるために、どこか大きな川のほとりに孤児院をつくることにしてはどうでせう」

「まず、孤児院がそこにあることに若い母親がすぐに気づくように、川の近くの高台に孤児院を建てます。でもそれだけは十分でありません。母親は孤児院がすぐ近くにあることに気づいても、孤児院に入っていくのを躊躇するかもしれないからです。子供と別れたくないのです、子供を預けて捨て去ることに耐えられないのです。でもこのままでは子ども抱いて身投げするしかありません。ですから、川のほとりから孤児院へと通じる階段を作るのです。幅の広い緩やかな階段を作るのです。思わず上っていきたくなるような階段、広い、ゆったりとした、傾斜の緩やかな階段を作るのです」

「でも、それだけは不十分です。それでも、若い母親は躊躇するかもしれないからです。というのは、孤児院にわが子を預けたいと思っても、孤児院に入っていくところを誰にも見られたくないからです。顔を見られたくないのです。自分が私生児を生んでしまった身であることを誰にも知られたくないのです」

「では人目につかずに、そのような女性が孤児院へと階段を上っていくことができるようにするにはどうしたよいでせうか。そうです、階段の両側に円柱を一列に立てるのです。そうすれば、子どもといっしょに身投げしようと思い詰めていた若い母親も、円柱の列に身を隠しながら、人目にさらされることなく孤児院へと階段を上っていくことができます」

ルネサンス時代の思慮深きフィレンツェの市民、GGIは感心してしまいました。階段ひとつにも社会の在りようが現れるのでありませう・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!