透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

無理のない計画を立てよう

2016-08-19 | A あれこれ

■ 退院したばかりだから無理しないようにするつもりだが、9月上旬に上京する。大学の研究室のOB会に参加するためで、前々からの予定。その際、行きたいところがいくつかある。
まずは「土木展←HP」。



それから、少し遠いけれど茨城県小美玉市の市役所近くの火の見櫓。この火の見櫓はなんと櫓が6角形!もちろん理論的には6角形もあり得るわけだけれど、現実にはないだろうと思っていた。だが、実在することが分かった。ストリート・ビューで確認したが、間違いなく6角形の櫓。最寄り駅はJR常磐線の羽鳥駅で水戸駅の少し手前。水戸には磯崎新設計の水戸芸術館があるが、そこまで足を延ばすのはハード、無理をしてはいけない。羽鳥駅から目的の火の見櫓までは数キロはありそうだからタクシー利用。東京からの所要時間が分からないが、とにかく行く。

墨田区本所にある三州屋にも行きたい。この割烹のダムカレーを食べたい。ここも駅から遠いから、タクシー利用かな・・・。

 
三州屋のHPより転載させていただいた。

上野のうさぎやCAFEにも行きたい。入院前に見た雑誌に紹介されていた。掲載されていた店の外観写真を見て、行きたいと思った。このカフェは地下鉄銀座線の上野広小路駅から徒歩数分のところにある。

美術展にも行きたいが、それは開催している展覧会を調べて決めたい。庭園美術館の新館もいいかもしれない。

マンホール蓋にも注目して・・・、これは結構ハードスケジュールになろそうだ。無理のない計画を立てよう。


 


入院記 その2

2016-08-18 | A あれこれ

□ 入院5日目(0812)



ベッドから見る光景。メディカルカーテンで仕切られたスペース。


朝食


昼食


夕食

今日の担当看護師Mさんはショートカット、彫の深い美形の中年女性。

テレビでオリンピックを見る。卓球男子シングルス3位決定戦。水谷選手がエッジボールで取った第4ゲームはすごかった。

『ウエザ・リポート 見上げた空の色』宇江佐真理/文春文庫読了。 


□ 入院6日目(0813)


朝食

さわやかな朝。病室は東向きが良い。


昼食


夕食

食事にこのくらいの変化があるのはうれしい。

今日の担当看護師のMさんは優しい顔の女性。

テレビでオリンピックを見る。卓球女子団体1回戦、対ポーランド選。ポーランドに右腕の無い選手がいた。すごい!身体的なハンディを持ちながらオリンピックに出場する程強くなるなんて。感動で涙が出た。

看護師のMさんに辛かった術後の夜のことを話す。Mさんから気管や胃に管を入れることもあることを聞く。こうなれば意識を低下させるとか。こんな状態に耐えることができるかどうか・・・。やはり健康が一番! 


□ 入院7日目(0814)


朝食


昼食


夕食

今日はベテラン看護師Aさん。

今日は毎年お盆にしている33会の飲み会の日だが残念ながら欠席。Sさんからメール。来年1月末の33会の旅行は大阪希望だという。今まで京都、東京奈良に行ってきたが、次は大阪。10月か11月に具体的に相談しましょうと返信。入院前、Sさんにはみんなに旅行の希望を確認するようにお願いし、また病名は明らかにして構わないと伝えておいた。

オリンピック。卓球女子団体準々決勝。対オーストリア戦、第2試合。石川佳純が勝った瞬間にスロー再生された笑顔が好かった。 オリンピックの大舞台で活躍できるなんて、選手たちは幸せだ。


□ 入院8日目(0815)


朝焼け 5時過ぎに撮影

病室の窓から朝焼けを見る。前回はテレビ番組(長野朝日放送の夕方の生活情報番組で火の見櫓を紹介することになっていた)の収録日に間に合うようにピンを抜かないで退院してしまったが、今回は抜いてからにする。


朝食


昼食


夕食



今日の看護師はベテランのAさん。

病院の談話コーナーにあった『まち再生の術語集』延藤安弘/岩波新書を病室で読む。夕方読了。

オリンピック。卓球女子団体準決勝。対ドイツ戦。第2試合。2ゲーム連取されてからの石川佳純の粘り。3ゲーム連取して勝利の瞬間、スロー再生された石川の安堵の表情に涙が出た。


□ 入院9日目 退院の日(0816)


入院最後の食事



今日の担当看護師は11日にお世話になったHさん。

ちょうど手術から1週間目の日。朝8時過ぎ、医師が縫合する糸の代わりに使っているピンを抜く。ピンをくださいと言って、2本もらう。前回も記念(?)にもらった。前夕だったか、抜くとき痛いですよと看護師に言われたが、経験上痛くないことは知っていたので、驚かなかった。私は注射などの痛みには強く、針を刺すところを見るタイプ。ピンの材質はチタンではなく、どうやらステンレス。

10時前、着替えをして荷物をまとめ、隣のベッドのSさんに挨拶してナースセンターでも挨拶をしてめでたく出所、もとい退院。


病院のスタッフの皆さんに多謝。 

何事もなく、日々坦々と生活できることこそ幸せなんだと実感した。


入院記 その1

2016-08-18 | A あれこれ

■ 今月(9月)8日の午前10時過ぎ、2年前と同じ病院に入院したが、病室もベッドも同じだった(過去ログ)。


 入院1日目(0808)

入院前は美人看護師に看護してもらうなどと知人に冗談を言っていた。この日の担当看護師は丸顔で整った目鼻立ち、目に力がある美人看護師Iさんだった。 胸に若葉マークを付けていたから、新人だろう。



この日の朝買い求めた宇江佐真理のエッセイ集『ウエザ・リポート 見上げた空の色』文春文庫を読んで過ごす。2年前の入院経験から長編小説は読めないだろうと、短いエッセイ集を選んだ。巻末の初出一欄を見ると収録されているエッセイの大半は北海道新聞夕刊に掲載されたものだ。


夕食

いかにも病院食といった感じの夕食。こういう食事、この位の量なら体に良さそうだ。

ポケットサイズのラジオを持っていったが、病室ではノイズでうまく聞くことができずに諦めた。オリンピック放送やラジオ深夜便を聞きたかったが仕方ない。


□ 入院2日目(0809)

昨日と同じ看護師Iさん。

絶食。午後1時40分過ぎ手術着に着替えて手術室へ。2年前は車椅子で移動したが、今回は歩いて移動した。

手術台の上で腰椎麻酔をして8分後から手術開始。執刀は2年前と同じFドクター。前回は手術の経過時間を示す時計が見えていたが、今回は目の前のタオル(だと思う)が視界を遮り、見ることができなかった。

手術の所要時間は1時間半で、前回の倍。3時半過ぎ、病室に戻る。これから明日(10日)の朝までが大変なことは前回の経験から分かっていた。

心電図と血中酸素濃度を自動的に採るセンサー及びそこから出るコード、腕に装着した血圧測定のカフ、点滴の管、排尿カテーテルで体が自由に動かせない。さらに弾性ストッキングの着用、間欠的加圧装置(AVインパルス)装着。この状態で明日の午前10時ころまで耐えなければならない。 

夜中オリンピックを見たりしながら過ごす。まだ2時か・・・。まだ2時半か・・・。ようやく外が明かるくなってきた。結局一睡もできなかった。

指先に装着したセンサーがヘモグロビンの色をチェックして血中の酸素濃度を測る、と看護師が私の質問に答えてくれた。


 入院3日目(0810)

手術の翌朝、朝食は重湯と具の無い味噌汁、オレンジジュース、牛乳。電動ベッドを起こして、食べるというか流し込む。点滴と排尿カテーテルをした状態で手術着からパジャマに着替える。これはトポロジカルな問題。点滴のパックをパジャマの袖に通して・・・、看護師は慣れたもので難なく着替えは終わった。その後、ちょっとしたトラブルがあったがそのことは書かないでおく。

午前10時ころようやく点滴を残してほかの装置が外れた。これで歩いてトイレに行くことができる。 ふだん当たり前に出来ていることだが、すごくうれしい。

今日も看護師はIさん。彼女が排尿カテーテルを抜いた。粗品をしっかり見られてしまったが仕方ない。


夕食 全粥



夕方Mさんが見舞いに来てくれた。


 入院4日目(0811)

この日の担当看護師はHさん。明るく話好き。イラストでリケジョ(理系女子)を描けばHさんに似るかも。Hさんはそんなイメージの女性。

午後、家人と妹夫婦が見舞いに来てくれた。



今日から常食。夕食はごはんに味噌汁。茹で豚、切干大根の炒め煮、もみ漬け。普通に食事ができることも幸せ。

時々『ウエザ・リポート 見上げた空の色』を読んで過ごす。



 


入山辺の道祖神

2016-08-18 | B 石神・石仏


撮影160807



 入山辺は松本市の東側の山あいにある集落。古くからある集落は冠婚葬祭を共にしてきている生活協同体。生活の安寧が守られることを願い路傍には何基もの石神・石仏が祀られている。

この日、火の見櫓を見に出かけた際、この道祖神を見かけた。平安貴族の姿をした双体道祖神。男神が盃を、女神を酒器を手に持っている。上の写真でははっきり分からないが、お互い相手の肩に手を掛けている。仲睦まじい姿だ。この道祖神が厄病神が集落に入り込んでくるのを防いでいる。厄病神はアツアツのカップルには近づかないとされ、この道祖神のような姿が多い。

よくこのような整った形の自然石を見つけるものだ、といつも思う。右側に彫られた天保十五甲辰年は西暦では1844年。およそ170
年集落を守り続けた道祖神。


 



 


しばらく更新できません

2016-08-08 | A あれこれ

 今日(8日)から15日ころまでブログの更新ができません。

この間、静かで涼しい別荘で、もとい、病院でオリンピック放送でも聞きながら静養します。

退院してから、病院での出来事を何か書くことから再開します。

まだまだ暑い日が続きます。ご自愛ください(って入院する僕が書くのも変かな)。





642 松本市入山辺駒越の火の見梯子

2016-08-07 | A 火の見櫓っておもしろい


642 松本市入山辺駒越 撮影日160807

■ 待避所があるような谷間の狭い道を進む。あやうく見逃すところだったが、かろうじて火の見櫓センサーがこの簡易な火の見梯子に反応した。ここは集落と集落の中間で周りには何もない。火災が発生したことを隣の集落に伝えるためにここの半鐘を叩くのだろう。離れた集落でこの半鐘の音が聞こえるのかどうか気になるが、騒音の無いこの地域なら聞こえるのだろう。長年使われてきていることでもあるし。関西国際空港のオープンエアダクトと同じような理屈で案外谷間では音が拡散しないで遠くまで伝わるのかもしれない(ほんとかな)。



角形鋼管(100×100×t*1)の柱に等辺山形鋼(50×50×t)を500間隔で留めて梯子にしている。斜面に控えを取って、梯子の転倒を防いでいる。半鐘を叩くときに立つ位置に鋼板で足場を設置してある。この位置に立つと半鐘がちょうど右手で叩きやすい位置になる。

このようなちょっとした工夫でずいぶん使いやすくなることを心得ておきたい。

*1 単位はmm 厚さtは分からない


この火の見梯子もそれがしさんのブログで知った。長野県内各地の火の見櫓を網羅的に紹介しているすごいブログ。


― 松本市入山辺の火の見櫓

2016-08-07 | A 火の見櫓っておもしろい


(再) 撮影日160807

この火の見櫓は2度目の掲載。やはり火の見櫓のある風景は趣があってよい。このように道路が後方に伸びているアングルが好ましい。 




半鐘は既に撤去され、モーターサイレンが設置されている。すぐ後ろに防災行政無線柱が立っている。やはり、見張り台に消防団員が登って半鐘を叩いて火災の発生を知らせるという旧来の方法が好ましい。

防災行政無線柱のスピーカーから人工音声を流すという間接的な、誰が伝えているのか分からない方法ではなく、人が直接伝えることが集落のコミュニケーションの基本ではないか。そう、人と人との直接的なつながりが大事なのだが、それが次第に希薄になっている。この火の見櫓から防災行政無線柱への移行からもその様が窺える。

屋根頂部の避雷針が傾いているのが気になる。



脚部は実にあっさりした構成。


 


641 松本市入山辺中村の火の見櫓

2016-08-07 | A 火の見櫓っておもしろい


641 入山辺中村地区の火の見櫓 撮影日160807

3角形の櫓に8角形の屋根と見張り台という、あまりない組合せ。この火の見櫓はそれがしさんのブログで知り、見に行ってきた。




見張り台まわりがにぎやか。半鐘のほかにモーターサイレン、スピーカー、消火ホースを架ける横材、投光器がついている。

山あいの集落に立つそれ程高くはない火の見櫓。見張り台の高さは約7メートル。


 


茅葺き民家の棟納め

2016-08-06 | A あれこれ


茨城県常陸幸田(当時) 撮影7910

②-1
群馬県水上町藤原平出(当時) 撮影7910

②-2

 
鎌倉   撮影8104

昔はサービスサイズの縁付きプリントにネガ番号・コマ番号、それから撮影年月を記録していた。なんと「ズク」(*2)のあったことか。


「建築士」2010年5月号表紙

■ 茅葺き民家の棟納めには雨仕舞のための様々な工夫がこらされている。のえびのしっぽは飾りではない。棟を押さえた竹を縫い止める縄を雨から守るカバーで「針目覆い」と呼ぶ地方もある。

の民家は棟に草や木が生えているし、はアヤメの仲間のイチハツの花が咲いている。これは「くれぐし」と呼ばれる棟納め。

棟に土を載せ、そこに生える草の根をはびこらせ、あるいはショウブやオニユリを植えて、棟を固めて雨仕舞をするもの。くれぐしのくれは土塊(つちくれ)のくれで、ぐしは棟のこと。

雑誌「建築士」のバックナンバーを整理していて、の表紙が目に入った。茨城県常陸太田市にある西山荘で水戸の黄門様、徳川光圀公の隠居所として1690年(元禄3年)に造られた。(*1)1817年(文化14年)に焼失したが、1819年(文政2年)に再建された。

既に書いたが(過去ログ)、縄文時代の竪穴住居の屋根はこの民家の棟のように土葺きだったという。樹皮で屋根を葺いてその上に土を載せたものだったということが、発掘調査で明らかになっている。くれぐしはそのなごりということだろう・・・。


*1 1691年に造られたという記述も見られる。
*2 ズクは労をいとわぬやる気という意味の信州の方言。
 


アルコールな夜のブログ

2016-08-03 | A あれこれ



■ 出先から直帰、夕食前に風呂に入ってビールを飲むという年に数えるほどしかない幸せな日なんです、今日は。

まだ外は明るいというのに
、既にアルコール摂取過多状態。

来週の今ごろは病院で写真の犬のようになっていると思います。ハイ、美人看護師にしっかり看護してもらいつつ、静養します。


 


「春風ぞ吹く」宇江佐真理

2016-08-03 | A 読書日記



■ 『春風ぞ吹く 代書屋五郎太参る』宇江佐真理/新潮文庫を読み終えた。

主人公は幕府小普請組、村椿五郎太という若者。彼と幼なじみの紀乃は相思相愛の仲。ふたりとも結婚するならこの人、と決めているのだが、紀乃のお父つぁんがふたりの結婚を許してくれない。**「そなたが御番入りを果たした暁には翌日にでも紀乃を嫁がせてもよいのじゃぞ。しかし、紀乃がそれまで辛抱できるかどうか・・・。(中略)縁談はこの先、降るようにあろうと思われまする。ただし、紀乃の年を考えると、そう何年も待つことはできますまい。まあ、ここ一、二年の内でしょうな。しかし、それまでに五郎太殿が御番入りをされるか否かは・・・いやいや、難しい問題でござる」**(71頁)などと言われてしまう。

小普請組は職禄がつかないから、家禄だけで暮らさなくてはならない。父親を亡くし、母親と暮らす五郎太は水茶屋、今風に言えばカフェで代書屋のバイト、いや内職をしている。

五郎太は難関の学問吟味に合格して御番入り(って幕府の役職に就いて小普請組から脱却すること)ができるのか、そしてめでたく紀乃と結婚することができるのか・・・。

♪ 奮斗努力の甲斐も無く 今日も 涙の 今日も 涙の 日が落ちる 日が落ちる と嘆いたのは寅さんだが、五郎太は奮闘努力の甲斐があり、首尾よく学問吟味に合格して、紀乃と祝言を挙げることができる、というハッピー・エンドな青春小説。

努力は報われるという納得の結果にほっとした。

「がんばれば未来は開けるよ」若い人たちにも読んで・・・、いやよそうこんな爺臭いメッセージは。


宇江佐さんの作品で最初に読んだ『無事、これ名馬』の主人公、太郎左衛門は、村椿五郎太と紀乃の長男という設定になっている。


 


何か良いことがありますように・・・

2016-08-01 | E 朝焼けの詩


撮影日時 160801 05:03AM

今日から8月ですね。少し日の出の時刻が遅くなってきました。その分、日の出前の朝焼けも遅くなりました。今まではよほど早起きしないと、朝焼けしていてもそれを見ることができなかったのです。

今朝起きてリビングの窓を開けると、東の空の雲が赤みを帯びた黄金色に輝いていました。こんな朝焼けを見ていると、何か良いことがありそうな気がしてきます。