透明タペストリー

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ある「小倉日記」伝 

2018-06-24 | A 読書日記

 松本清張短編全集1「西郷札」を読み終えた。この巻に収録されている芥川賞受賞作「ある「小倉日記」伝」を読むのは数回目。

森鷗外は明治32年6月に九州の小倉に赴任し、35年3月に東京に帰るまで過ごした。この間鴎外がつけていた日記は所在不明となり、岩波版『鷗外全集』を出版するときにも捜索されたが発見されなかった。

鴎外に傾倒していた田上耕作は失われた小倉日記の空白を埋めようと、鴎外の小倉での生活を調べ始める。耕作は学校の成績は優秀だったが、生まれつき体が不自由で、遠くまで調査に出かけるのも聞き取りをするのも困難。母親は耕作を献身的にサポートし、調査に同行することも。父親は耕作が10歳の時に病死している。

耕作は鴎外の小倉生活の調査が価値のあるものなのか問うために、『鷗外全集』の編集者のもとへ調査途中の草稿を送る。**(前略)このままで大成したら立派なものができそうです。小倉日記が不明の今日、貴兄の研究は意義深いと思います。せっかく、ご努力を祈ります。**(117頁)という返事が来ると、母親は**「よかった。耕ちゃん、よかったねえ。」**(117頁)と声をはずませる。そして手紙を神棚に上げ、赤飯を炊く。

時は流れ、終戦後。親子の生活は困窮し、耕作は病に伏す。昭和二十五年の暮れ、耕作は病状が悪化して息をひきとる。そして・・・、**昭和二十六年二月、東京で鴎外の「小倉日記」が発見されたのは周知のとおりである。鴎外の子息が、疎開先から持ち帰った反故ばかりはいった箪笥を整理していると、この日記が出てきたのだ。田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、幸か不幸かわからない。**(139頁)この一文で小説は終る。

母親が我が子に寄せた深い愛情の物語とも読めるこの作品、読み終えると涙がにじんだ・・・。


 


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