透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

古田 晁 記念館を訪ねて

2020-11-23 | A あれこれ

 岩波書店の創立者である岩波茂雄が信州は諏訪の出身であることはよく知られている。筑摩書房の創立者も信州出身であることを知る人も少なくないと思う。

筑摩書房創立者の古田 晁は長野県東筑摩郡筑摩地(ちくまじ)村(現塩尻市北小野)の出身。筑摩書房という名前は古田の出身地の名前に由来する。生家は塩尻市に寄付され、現在記念館になっている。昨日(22日)この記念館を訪ねた。




記念館外観(館内は撮影禁止)

蔵造りの記念館の1階が展示室で古田 晁の年譜をはじめ交流のあった作家の写真や書簡などが展示されている。2階は3間続きの和室(10畳、8畳、6畳)で、説明板にあるように多くの作家が逗留している。なお、この建物は渡り廊下、門と共に登録有形文化財(2009年4月登録)。


ついこんなところに目がいってしまう。これは2階の雨戸の戸袋で銅板亀甲張り。

記念館に設置されていた説明板を掲載することで、記念館に関する説明の文章化を省略する。





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太宰 治が玉川上水に入水する前日に当時大宮に住んでいた古田 晁を訪ねるも、古田は実家に帰省中で不在だった・・・。

「会えていたら太宰さんは死なんかったかもしれん」という古田痛恨の言葉が記念館の案内リーフレットに載っている。そう、古田と太宰とは交流があったのだ(*1)。

文学散歩も良いものだ。今度は臼井吉見の記念館を再訪しよう。


*1 古田と太宰の交流については11月8日に塩尻のえんぱーくで行われた作家・松本侑子さんの講演(古田 晁が敬愛した太宰 治と「人間失格」)で詳しく聴いた。この講演で松本さんは太宰の葬儀の時の古田の弔辞を涙ながらに読んだ(弔辞の原稿は記念館に展示されている)が、その時はぼくも涙してしまった。

 


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