■ 「別冊 新建築 日本現代建築家シリーズ 出江寛」1989 (なんとも唐突な書き出しだ)に「感性が読みとる美 ― 人がこの世でつくる神聖」というフォトエッセイが載っている。
出江さんはこのエッセイで「抽象の美」、「奇怪の美」、「間合いの美」などについて書き、最後の「くりかえしの美」で**平凡なものの集合はときとして芸術にまで高められるのである。**と指摘している。 私が「繰り返しの美学」について考えるきっかけとなった文章で、既にブログで数回引用した。
では一体なぜ平凡なものの集合、繰り返しを美しいと思うのだろう・・・。この疑問に私は未だ答えることが出来ない。美しいから、美しいのだとしか言いようがない。過去ログ
「このところ火の見櫓ばかりですね」、と先日友人に指摘された。確かにその通りだが、火の見櫓の造形美、これも櫓部分の構成要素の繰り返しに因るところが大きいのではと、実は思っている。
下の写真のように、櫓の部分は4隅の柱材と横架材とリング式バックル付きのブレースを構成要素とする構造が大半だが、この横架材とブレースの繰り返しが美しいのだ。
横架材とブレースの繰り返しが美しい。
メモ:人と火の見櫓の関わり
火の見櫓の下を通学する小学生、火の見櫓の半鐘を叩く消防団員、火の見櫓の隣の畑で農作業をする人、火の見櫓の立つ港(って見つかりかな・・・)に帰ってくる漁船、雪の日の早朝に火の見櫓の下を除雪する人・・・。