透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

なぜ火の見櫓は美しいのか

2011-10-16 | B 繰り返しの美学

 「別冊 新建築 日本現代建築家シリーズ 出江寛」1989 (なんとも唐突な書き出しだ)に「感性が読みとる美 ― 人がこの世でつくる神聖」というフォトエッセイが載っている。

出江さんはこのエッセイで「抽象の美」、「奇怪の美」、「間合いの美」などについて書き、最後の「くりかえしの美」で**平凡なものの集合はときとして芸術にまで高められるのである。**と指摘している。 私が「繰り返しの美学」について考えるきっかけとなった文章で、既にブログで数回引用した。

では一体なぜ平凡なものの集合、繰り返しを美しいと思うのだろう・・・。この疑問に私は未だ答えることが出来ない。美しいから、美しいのだとしか言いようがない。過去ログ

「このところ火の見櫓ばかりですね」、と先日友人に指摘された。確かにその通りだが、火の見櫓の造形美、これも櫓部分の構成要素の繰り返しに因るところが大きいのではと、実は思っている。

下の写真のように、櫓の部分は4隅の柱材と横架材とリング式バックル付きのブレースを構成要素とする構造が大半だが、この横架材とブレースの繰り返しが美しいのだ。


横架材とブレースの繰り返しが美しい。


メモ:人と火の見櫓の関わり

火の見櫓の下を通学する小学生、火の見櫓の半鐘を叩く消防団員、火の見櫓の隣の畑で農作業をする人、火の見櫓の立つ港(って見つかりかな・・・)に帰ってくる漁船、雪の日の早朝に火の見櫓の下を除雪する人・・・。


カーネーション

2011-10-16 | A あれこれ

 NHKの連続テレビ小説「カーネーション」。コシノ三姉妹を育てた小篠綾子がモデルのものがたり。主人公の名前は糸子。「綾」の糸へんからつけたのか、職業をイメージさせるし、彼女のキャラクターにもぴったりの名前だ。

このドラマ、映像がすばらしい。 

昨年の「龍馬伝」の映像もそれまでの大河ドラマとは違って、光を意識した表現が斬新で良かった。高窓から室内に入ってくる光の帯、逆光に浮かぶ人物、ちょっとざらついた感じの映像等々。「カーネーション」の映像表現は「龍馬伝」と似たところもあるが、レベル的にはそれ以上だと私は思う。

「龍馬伝」の映像はいかにもつくったという、作為を感じたが、「カーネーション」の映像は自然な感じ、実にリアル。上質な古い映画のようだ。

大阪・岸和田の街並みの映像もまるで大正時代にタイムスリップしてロケしてきたかのようで、全く違和感がない。教室内の様子などは、つい「おひさま」と比べてしまう。「おひさま」は安曇野や松本が舞台だったから、ひいき目に見てしまうが、それでもクオリティーの違いは明らかだ。

各シーンのカメラを固定した映像の構図も良いし、移動映像(映像に関する用語をよく知らないので的確に表現できないが)も実に良い。

出演者の演技にちょっとコミカルな味というか雰囲気が出ていて、朝ドラにふさわしい。朝から暗い気分にはなりたくないから。室内の設えや小道具なども細かなところまでこだわっている。

このドラマ、力(リキ)入ってる。このドラマ、みんなでチームワークよくつくっていることが伝わってくる。ただし朝ドラとしては「重い」という評価もあるかもしれない。