黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

それなりに復旧

2005年08月23日 21時42分42秒 | Weblog
8月23日分の日記という事で。

 え~、日本の南の方に台風が二つも並んで出来たそうで、ついでに秋の高気圧が力を増してきたお陰で前線が下がってきて、日本列島は全般にお天気崩れ気味な一日だったようです。こちらも朝会社へ出てくる時に、ちょ~っと空模様が微妙かな~とは思いつつ傘持たずに出たら、案の定帰り際に一雨降られました。まあ、毎度お馴染みというくらいなので、いい加減雨に降られるのをもう楽しむだけという所ですが。ワイシャツの固い襟に雨がぱちぱちと当たる音、水気を吸って一日のくたびれた姿から張りを取り戻したワイシャツ、車のヘッドライトに照らされて水が荒れている路面が見えるようになる。ちょいちょい、面白いものです。
 この辺の雨が水不足に陥っている方面にも降ってくれると良いのですが、それにしても貯水率ゼロパーセントとか3パーセントとか、一桁台とかいうのはまた凄まじい話です。一時は発電用水まで緊急放流しようという話も持ち上がっていたようですが、ひとまずそこまでは行かなかったようですね。とはいえ、水というのはどこにでもあるように見えて、実際には無くなってしまうものなのだとよく分かる話ではあります。海外では基本的に水は買うものであるという認識がありますし、水道水をそのまま飲めるのは日本くらいのものだというジョークもあります。まあ、最近では日本でも節水するようにはなってきましたけれど、ね。
 水と言えば、ミネラルウォーターにこだわる人というのも、たま~に見かけるようになりました。かくいう私自身の母親も、ちょっと前にミネラルウォーターに凝っていた時期があって、しばらくの間はボルヴィックばかり飲んでいたものです。ただ、最近ではちょっとあれだと水が硬いのだそうで、今度はエビアン辺りに行ったようですが。つ~ても、あれは単に、エビアンのボトルとキャップの形に惹かれたって~だけじゃないのかと疑ったりしないこともありませんが、個人的には水なんてものはそれなりに飲めれば問題なし、冷えていればなお良しという程度。面倒なので、寮での飲み物は、半分くらいが水道水です。但し、一応ボトルに入れて、冷やしてありますけれど。夏場にはこの程度で充分です。安いってかタダだし。

 台風と聞いて未だに思い出すのは、何故か『劇場版パトレイバー』の一作目。あれ、台風でレイバーが暴走するという話で、それを見たお陰で未だに台風と聞くと何となく反応してしまいますし、台風の最大風速が四十メートルを超えると、更にもう一段階反応してしまいます。映画として、話としては劇場版パトレイバーでも『TOKYO WAR』の方が好きなのですが、どっちの方がパトレイバーらしいかといわれたら、多分こっちの『風速四十メートル』の方じゃないかなと思ってみたり。どっちも好きではありますけれど、『TOKYO WAR』なら後藤さんの色と押井守色が濃厚であって、「あっかるい人達」なパトレイバーを求めるなら『風速四十メートル』でしょ、というのが個人的な感想だったり。まあ、それはさておき。
 この『風速四十メートル』を最後に見たのは、実はもう五年とかそのくらい前になるような気がします。高校生になっていたかとは思うのですが、大学生になってから見た記憶は無かったような。それだけ前のことであるのに、今でも思い出そうと思えば、ある程度思い出すことが出来ます。細かい話の筋はやはり忘れてしまっていますが、それでも大まかな話は覚えている。つい最近に読んだはずの本は忘れてしまっているのに、これは未だにしっかりと覚えている。あのころは自分にとって、見るもの一つ一つの濃度がとても高かったんだな、と今更に思ってみたりします。見た回数は、多分、これまででも全部で三回くらいの筈。それだけ見りゃ覚えるだろという気もしますが、きっと私にとっては、一種特別なものなのでしょう。
 自分にとって特別なものというのは、割とそういった、しょ~もない所から出てくることがあります。どうして自分がそれを特別なものにしたのか、しようと思ったのか、それすら覚えていないような些細なもの。何となく捨てられないもの、ふと何かの拍子にいつも思い出すもの、そういうものが増えてくると、自分が歳をとったんだな~と感じたりします。まあ、私の場合はあまり捨てられない物というのがありません。本だけは例外的ですが、それ以外は生活必要品という意味合いで捨てられないだけであって、思い入れ云々というものでは無い訳で。とは言えそれはあくまでも「物」、すなわち物品のことであって、物にこだわらず何となく忘れられないものという意味合いであれば、随分と増えてきたな~と思います。
 歳をとるというのは、安定する、どっしりと構えられるようになることだ、とたまに言います。代わりに、しがらみが増えることだ、とも。何となく思うのは、その両者は表裏に位置することであって、重しが増えるからこそ足元の安定が取れるようになるのであり、ふらふらとどこかへ浮かんでしまいがちだった青少年の頃から、ようやっと地に足が着いてくる。ただ、重しが増えてくると動きが遅くなるし、新たに動きを取ろうと思ってもその重しが妨げになる。移動できる範囲も少なくなるし、移動するには一層の気力体力を必要とする。どっちが良いのかは、何とも言えません。私のように不安定な人間にとっては、多少の重しが必要なのではないかと多少思うくらい。ふらふらどっか向こう側へ行ってしまいがちなくらいでしたし、今でもそんな具合ですから、もうちっと重りがあっても良いくらいかも知れません。
 自分の足元を支えてくれる重りの内に、懐かしい、昔に見た、いつの間にか自分にとって特別になっていた作品が含まれている。何となく、それだけで嬉しい気分になってきます。そして今も、自分の足元をもうちょっとばかり確かにするために、今日も明日も、また少しずつ本を読み続けていく。既に読んだことすら忘れてしまった本もたくさんあるのでしょうけれど、それらの一冊一冊も、いつの間にか自分の足元に積み重なっている筈。その内に、重り代わりの本が積み重なりすぎて私を押しつぶすまで、一冊、また一冊と本を積み重ねて行くのもこれ一興。いつか、その内の一冊だか二冊だかを、また懐かしむこともあるでしょうから。

 本の話。つーても、今日はあんまり書くことが無い♪ 『不道徳教育講座』をちょっとばかり読み残してしまったので、こいつにさっさとケリを付けてしまおうと思っておりまする。んで、こいつが終わったら、明日からは順番を変更して、昨日に買った『沈黙の春』かな~とか。だもんで、しばらくの間は、日記のネタが環境系の話題になっている可能性がありますというか、とっても高いような気がします。こういう類の本は買ってすぐ読まないと、そのまま積みに一直線しそうなので……。ああ、『夢幻紳士』も読みたいんだけどな……時間が足りないなぁ。
 なお、明日は会社の付き合いでボウリングとかやらされそうなので、日記が手抜きになるor抜ける可能性があります。予めご了承下さいませ~。

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:なし
買い:なし
途中:文庫『不道徳教育講座』
累積読破:文庫9冊、コミックス36冊、その他1冊
累積購入:48冊

それでは。