黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

エノラ・ゲイ

2005年08月05日 21時17分16秒 | Weblog
8月5日分の日記という事で。

 ああ、ようやっと今週の仕事も今日でおしまいになります。今週は比較的忙しかったために、あんまり暇だとか苦痛だとか思っているような余裕も無かったりで、時間の経過が割と早かったような気がしますけれど。つーても昨日の午後辺りからは一旦仕事が途切れて、今日もちまちまと仕事を思い出したり、この先にやりそうな仕事を少し前倒ししてやってみたりしつつ、やっぱり微妙に暇だな~と思いながら職場でぼんやりしていたのでした。まあ、会社の各支店長さんを集めての業績会議みたいなものがあったので、そのための会場設営とか、設営した会場の後片付けとか、もしくは会議出席者のための弁当運びやらされたりとかで、ぽつぽつと仕事が出てくるような具合でしたけれど。
 んで、その会議に欠席者が出たこともあって、いくつかお弁当が余ったらしいので、一つ頂戴しました。いや、食べていいよと言ってもらったので、ん~なら丁度いいから頂きますということで食ったのですけれどね。会議用のお弁当ということで、いつもよりは大きな箱に入った天ぷらのお弁当ではあったのですが。そんなにいつもの弁当と変わらないような気がしたりしなかったりで微妙な気分。注文した先がいつもと一緒だったからかもしれませんな~。手配したのは私じゃないので、まるっきり知らんですが。あまり食い物関係には関心を払わない類の輩ではありますが、美味いか微妙かくらいは一応分かります。あんまし普段の、会社で頼んでる安い弁当と味変わらんやんか、と内心でぼつっと突っ込みいれてたのは秘密。量が多かったというか、天ぷらが油で重たくて、ちょいとばかし閉口したのでした。
 しかしこれでやっと、後五日会社行ったら一週間の夏休みなんだなぁ……。実際に休暇になるのは五日間で、その前後に来ている土日二回分を合わせれば九日間の休み。案外、上手く組み合わされた長期休暇のような気がします。ただ、あれですな~。九日間も会社行かない状況が続いたら、休み終わった後に会社へ出てくるのがさぞかしきっついことでしょう……。今からげんなりした気分になれそうですが、んなもん考えるくらいなら、とりあえず休み中にど~すっか、ということを考えているほうが有益なような気もしたりしなかったり。ぶっちゃけ、予定が無い罠。実家に帰ると言ってもえらく近いので今更にわざわざ帰るのも面倒くさいしなぁ。さて、どうしよう。
 おまけ。駅で降りたら、盆踊り大会なんぞをやっていたようなので、ちまっとだけ眺めてから帰ってきました。盆踊りの前座として、何故かマジレンジャーショーが……。出店でフランクフルト一本買ってぼりぼり囓りながら、ぼけら~っとショーを眺めておりました。そう言えば、あんまり戦隊ものとかにのめり込んで熱中した、というような子供の頃の記憶は無いなぁ。何かしらの戦隊ロボの類の、割と大きなものをクリスマスプレゼントとして貰ったような記憶だけはしっかりあるのですが、はてその戦隊ものにはまっていたのか、単にロボットだけが欲しくなったのか、その辺がすっぽりと抜け落ちていたり。むしろ、何故にそのことだけ覚えているんだかもよく分かりませんが。しかしまあ一つだけショーに突っ込むなら、マジレンジャーとマツケンサンバってどういう取り合わせだよ……。


<「後悔していない」=エノラ・ゲイ元乗組員が声明>
【ロンドン4日時事】4日の英BBC放送によると、広島に原爆を投下した米爆撃機エノラ・ゲイの乗組員がこのほど、6日の原爆投下60年を前に、「他に道はなかった。後悔していない」とする声明を出した。
(時事通信) - 8月5日7時1分更新

 もうこんな時期になったんだな、とこの記事を見てからようやっと思い出したくらいではあるのですが。ついこの間に、戦争から随分と時間が経ったんだなぁ、とかそんなことを小ネタで書いたような記憶があります。長い時間経過によって戦争を知らない世代が多くを占めるようになった一方で、まだこうして表に引き出されてくる、戦争の体験者もいるということか。ひとまず、このニュースに対する個人的な感想を先に言っておくならば、「後悔していない」云々に関しては、特に何とも、というところ。思うところはそれなりにあるのかも知れませんし、実際にどう思っているかは本人が分かっていれば良いことでしょうから。そもそも、もう60年経ってしまっているし、既に当時のことを本当にまともに覚えているかどうかも疑わしいくらいです。
 ただ、エノラ・ゲイに乗っていた兵士の方々は、自分の意思で原爆を落とす落とさないという決断を下せる立場には無かった、ということは確かです。例え彼らが落とさなかったとしても、次のエノラ・ゲイが飛び立っただけの話。もしかすると、次のエノラ・ゲイが飛び立った時には、落とされる場所が変わっていたのかも知れませんが。ただ、どちらにせよ、日本のどこかしらに原爆は落ちていたでしょう。広島・長崎の日が、例えば千葉・長崎の日になったとか、神戸・長崎の日になったとか、そういった差はあったのでしょうけれど。ああ、でも千葉になんて、落とす意味がないか。ただ、もし落とされる場所が変わっていたならば、私は生まれていなかったのかも知れません。ま、私がいようがいまいが、世界にはな~んも関係無いのですけれどね。
 そのことよりもむしろ、戦後六十年も経って、未だに引っ張り出されてしまうエノラ・ゲイの乗組員の方々もまた、随分と人生を狂わされたのではないか。あれに乗り組むことを決められた時点で、原爆を落とすか、嫌だ嫌だとダダこねて銃殺刑に処されるかのどちらかしか無かったでしょうし。どちらにせよあの当時は戦争中でしたから、まあやるしか無かったし、むしろ進んでやったのかも知れません。原爆の投下によって戦争が早期に終結したとかどーとかいう議論もありますが、そこいら辺は個人的には関心の行かない所です。確かにそうだったのかもしれないし、どっちにせよもう日本は限界だったんだから、原爆が落ちようが落ちまいが同じような時期に降伏してたんじゃないかという説もあります。もはや、どうだったのかなんて、今更正確な所を把握できるかどうか、怪しすぎますしね。
 そろそろ、被爆者にしても、エノラ・ゲイ乗組員にしても、静かに過ごしても良いのではないのか。どちらも、当時に最も関わっていた人達はかなりの高齢になってきているか、大体が亡くなってきている筈です。戦争の記憶を、原爆の記憶を忘れないようにとは言いますが、それを煽っているのはむしろマスコミであるように思えてなりません。確かに、犠牲になった方々のために、時折に手を合わせるのは良いでしょう。ただ、それはあくまでも自発的な心によって行われるべきであって、マスコミに外部から煽られてすることではない。神社やお寺に立ち寄った時、ほぼ無意識に手を合わせる、目を伏せる。ご飯の前に、「頂きます」と言って手を合わせる。それと同じ事ですし、本来であればそのくらい自然に、自発的になすべき事の筈、なのですけれどねぇ。さて、誰がゆがめてしまったのやら。

 最後、いつもの通りに、いつものやつを。ちょいと今日は朝に寝坊しかけたとか、朝っぱらから会議場の会場設営をやらされたんで朝の読書時間が削られたとか、まあ色々あって結局『ボッコちゃん』を読み終わったのが帰りの電車ってのが、ちと笑えます。本来のペースなら、朝の内に読み切っていたとは思うのですけれど。ま、たまにはこういう日もあるということで。どっちにせよ、星新一作品を楽しんだことに変わりはありませんし。しかしまあ、ショート作品とはいえ、五十本も入ってたら、それなりに潰すのには時間がかかるもんです。
 んで、帰りに読み切るだろうな~ってことでコミックスを買い足したのですが、結局そのコミックスは読まず終いで、途中からずっとmp3で曲を流しっぱなしにしておりました。ちなみに、買ったコミックスは、『薬師寺涼子の怪奇事件簿』の二巻目と、何となくで少年画報社から『カムナガラ』。ちなみに、『ドラよけ』はさっさと戻ってきてから読み切りましたが、あらあら何と三巻目につづく~、な状態でした。この分だと、さっさと週明けには三巻目を買っていそうな気がします。『カムナガラ』の方は、まあ明日からの二連休で読むとしますか。
 さてはて、明日か明後日の内に、また古本屋で『銃夢』の続きを探しておかねば。さすがに一般書店ではまるっきり見付けようがない本になってしまいましたし、それでも買おうと思ったら古本屋を漁るしかない訳でして。もう面倒くさいから、さっさと続きを全部買ってしまおうかどうしようか。さすがに全部は買わないにしても、それなりに五冊六冊くらいはまとめて買っておいて良いような気はします。さて、後はいるのは何だろう、『薬師寺涼子』の三巻目、『苺ましまろ』の続きの巻、『ピルグリム・イェーガー』の四巻目とか、その辺りでしょうか。あ、『岸和田博士』を忘れてた。ま、あったらぼちぼち買っていくとしましょう。

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:文庫『ボッコちゃん』
買い:コミックス『薬師寺涼子の怪奇事件簿』二巻、『カムナガラ』一巻
途中:なし
累積読破:文庫4冊、コミックス4冊
累積購入:9冊

それでは。