Ommo's

古い曲が気になる

電気は暗いが、元気はあります!

2011-03-27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 東京23区は、計画停電から除外されている。格差だな、と思っていた。だが、行ってみると、実際は、強烈な自主節電をしていた。すくなくても、わたしの見た、銀座、日比谷、八重洲、丸の内は、節電に協力していた。物販店も、飲食店も、開店時間をおそくして、暗くなると閉店していた。コーヒーショップのスターバックスでさえ、午後7時で閉店していた。

                                          

 夜の東京。衝撃的だったのは、帝国ホテルだ。一階のブランドショップやカフェが閉店しているから、暗い。まだ、7時前だ。いつもは、タクシーがどんどんお客をおろして賑わっている時間だ。タクシーも少ない。ホテルの前を歩いて人もまばらだ。宴会もパーティーも会議もなく、宿泊客もわずかなのか?

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 帝国ホテルの客室の明かり。

               

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 帝国ホテルの向いの東京宝塚劇場は、ネオンが消え、照明を落としているから、なんとも暗い。日比谷の映画街の人もまばらだ。終電ちかくの深夜じゃない。土曜日の午後7時だ。

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 これは、東京駅もみてみなければ、と思い、八重洲に向かった。八重洲ブックセンターは、6時で閉店していて、ほとんどの路面店は閉まっていた。人通りは少ない。

 八重洲ブックセンターは、11時~18時の営業。

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 東京駅八重洲地下街も人は少ない。いつもは人でいっぱいの時間だ。

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 東京駅丸の内口は、さらなる衝撃だった。オアゾは、ビルの外の照明が消え、ほとんどの店舗がすでに閉まっていた。丸善本店は、8時で閉店だ。閉店までまだ時間があるが、書店のなかは、もうお客は少ない。

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 比較は極端だが、昨年末、蓮舫と枝野たちに仕分けられて、JAXAiが閉館になった。12月28日、閉館を惜しんで多くの人が集まった。その夜の、この広場だ。同じ時間だ。

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 2010年、12月28日、OAZO広場。

               

 お客でいっぱいだった丸善本店も、寂しい。

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  地下鉄・大手町駅の通路も寂しい。いつもは、たくさんの人々が歩いているのだが……。

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 さらなる放射能の恐怖、そして電力不足。不景気。しかし、われわれは、この現実をうけとめて、生活レベルをおとし、生きて行く。昭和30年代、40年代だって、何不自由なく生きていたんだ。

 この政府は、まったく信用できない。あてにせず、じぶんの判断と知恵と努力で生きぬく。

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 昭和30年代にこんな美しい曲がある。雪村いづみが、1959年(昭和34年)に歌った曲だ。

     雪村いづみ 『リメンバー・ミー』 http://www.youtube.com/watch?v=1ifLuQsqVEU&feature=related

                    

 1947年(昭和22年)の平野愛子のヒット曲に、『港が見える丘』がある。これも名曲だ。横浜の、みなとがみえる丘公園は、この曲のタイトルから名づけられた。作詞・作曲は、東辰三。作詞家・山上路夫の父親だ。平野愛子もいいが、わたしは、やはり、ちあきなおみで聴きたい。

     ちあきなおみ 『港が見える丘』 http://www.youtube.com/watch?v=f-1MbSjMdug

        

 『水色のワルツ』は、二葉あき子の1950年(昭和25年)のヒット曲。作詞は藤浦洸、作曲が高木東六。この曲も、ちあきなおみのカヴァーがじつにいい。

     ちあきなおみ 『水色のワルツ』http://www.youtube.com/watch?v=uJUzcYkizVY 


銀座は、元気だが……

2011-03-27 | 日記・エッセイ・コラム

                    

 土曜の夕暮れ、銀座にでかけた。

 日本橋駅で、銀座線に乗り換える。ホームに立つと、これはほんとうに戦時下だな、と思った。いつもよりずーと暗い。線路側の電灯だけで、内側の蛍光管はすべてはずしてある。

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 これが東京メトロ・日本橋駅、土曜日午後、4時すぎだ。ホームで待つ人の数は、いつもの土曜日ではない。いつもは人であふれてる。

 ところが、電車にのると、混んでる。いつもと変わらない。そして、驚いたのは銀座駅でおりて三越に入ると、人でいっぱいなのだ。化粧品売場も客であふれている。

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 地上にあがって、また驚いた。三越前の交差点は、いつものように人であふれてる。『東京は元気だな。日本人は、強い』と、なんだか気分が明るくなった。

 最近たくさんいた、下品で騒々しい中国人や韓国人の観光客がまったくいないから、銀座を歩く人々は、上品で、静かだ。なんだか、十数年前の銀座のようで心地がいい。

 とうぜんだが、白人やインド人の観光客は、まったくいない。

 銀座4丁目、5丁目は、いつものようににぎやかだ。だが……。

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 ショーウインドーの照明を消しているから、いつもの街と雰囲気はちがうが、この交差点は人であふれている。東京の水が怖いとか、原発の放射性物質が怖いとか、そんなこと関係ないのよ、という人々が日本中から東京にやってきているのか、すごいね、と驚いた。

 

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 和光のウインドも明かりはない。でも、人はいっぱいいる。銀座は、やっぱり元気だな、と感動した。

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 どの店も照明を落としているから、店内は薄暗いが、キムラパンも、山野楽器も、アップルショップも、いつものように人でいっぱいだ。

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 文具の伊東屋の前も人であふれていた。店内もいつもほどじゃないが、繁盛していた。しかし、店内の張り紙をみて、これはたいへんなことになっているぞ、と気づいた。営業時間が午後7時まで、となっているのだ。7時は、まだ銀座に人があふれてるはずだ。

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 有楽町まで歩くと、事態の深刻さを痛感させられる。震災前の50%くらいの人出だろうか? もっと少ないか? うす暗くなると、街の様相が変わっていく。

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 有楽町のスクランブル交差点。土曜日の午後5時で、このスカスカの人。

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 有楽町から銀座4丁目にもどった。ほとんどのショップは、6時か7時で閉まる。東京23区は、計画停電除外地域だが、それぞれの店舗が自主的に節電のために店を閉めてるのだ。電力消費がもっとも多くなる夜のはじめに、閉店をしている。この時間は、まだ買い物客は多い。

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 ほとんどの店が閉まり、街灯も間引き点灯して、うす暗い銀座中央通りをたくさんの人々が歩いている。異様な光景だ。

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 銀座コアも18時で閉店。

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 まだ18時24分。土曜の銀座中央通りだ。街灯は、交差点だけ点いている。

 これは、たいへんなことだ、と思い、暗くなった新橋と日比谷、そして東京駅を歩いた。衝撃的だった。その話と写真は、また後で……。

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 東京駅地下、八重洲ショッピング街。店は開いてる。しかし……この時間、いつもは肩がぶつかるほど人であふれている。まだ午後7時前なのだ。

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 東京駅・丸の内口をでた駅前。丸ビルショッピング街も、オアゾも閉まったから、人が歩いてない。街灯も消えてる。深夜じゃない。時間は、午後8時前だ。

 


東京は元気だ。だが……

2011-03-27 | 日記・エッセイ・コラム

                            

 東京電力の地域でない友人と電話で話した。「火力発電所が動きだして、計画停電もやたりやらなかったり、電力事情は良い方に向かっているようだね」、という。なにを言ってるか。ぜんぜんわかってない。反論する気もない。

 関東でないところでは、テレビのニュースや地元新聞が、そんな楽観的な報道をしているのだろうか? 政府が、東電地区以外の地方で、そんな大本営発表をしているのだろうか? 

 たしかに、メンテナンス中で停止していた火力発電所が稼動した。だが、その発電量は、6万キロ・ワット。福島の原発爆発で失った供給量は、1000万キロ・ワット。1000万足りないところに、6万が供給された。これで、休んでいた火力発電所が復活して、電力事情は好転している、と言えるのかい。

 いま、計画停電を予定しても、予測より消費電力が少ないので、ほとんどの地区で停電を回避できている。これは、ここに住む何千万かの人々が、節電して生活しているからだ。みんな最低限の電気で、昭和30年代のような暮らしをしている。

 

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 このスーパーでは、冷たい飲み物は買えない。飲み物は、常温だ。

 3月ももうすこしで終わるというのに、東京で雪がちらつくような真冬のような寒さだ。その寒さのなか、暖房も切って、電気コタツも切って、厚着をして耐えている。家中の電灯を消して、必要な最低限の明かりをつけている。小さい工場も、大きい工場も、朝と夕方に操業をやめてる。通勤時間の電車を止めてはダメという、“自主停電”だ。

 みんな、被災地の人たちの寒さを考えれば、自宅で寝れるだけ幸せだ、と家中の電気を消してヒッソリと生活している。

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  買い占めで、食パンがないのでなく、工場が”自主停電”して、通常の生産ができないのだ。

 蓮舫や海江田のようなやつらが、テレビにでてき、節電に協力を、などとパフォーマンスをやるずっと前から、みんな原始生活のような生活を、“自主的”にやっているのだ。だから、大停電もなく、計画停電も回避できる地区があるのだ。

 

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 商品は、ある。注目は、ケースの照明だ。ケースを照らしていた明かりがない。大型スーパーでは、照明を極力おさえてる。食品を照らす明かりはない。

                     

 きょう、茨城県鹿島の住友金属の高炉2基が、地震被害から復旧して、運転をはじめて、東京電力に送電している、という。製鉄所は、電力会社を信頼せず、自家発電で高炉を稼働している。(三菱自動車の東京工場にも、大きな自家発電設備があった。停電は、危険だ。企業生命にかかわる。組み立てラインも、すぺてのシステムをコントロールしているコンピュータも、そして、電気炉も、突然の停電にあうと、とんでもないことになる)

 その鹿島・住友金属の石炭火力発電所が東電に提供する電力は、50万キロ・ワットで、茨城県の15%の電力をまかなうことができる、という。

 

 東電の電気を使っていない地方の人たちは、いったい東京はどうなっているか、知らない。“東京、ざまあ”と言ってる人は、関東・東京の消費が落ち込むと、じぶんの生活がどれほどダメージをうけるかわかってない。

 わたしは、この原発事故の経済的ダメージは、爆心地から離れれば離れるほど、大きいと思う。放射線強度や放射能濃度に反比例していく。つまり、東京を同心円の中心にして、遠くにいくほど、金のまわりが希薄になるということだ。風が吹けば桶屋が儲かる、の逆だ。

 現に、九州の観光地は、中国、韓国の客のキャンセルで全滅状態だ、という。山梨県でも、予約キャンセルが、2万件になった、という。2万人でない。2万件だ。甲府市に近い石和温泉は、今年の予約はほとんどキャンセルになった、という。

 箱根湯本は、まったく客がいない。小田急ロマンスカーが運休している。電車を通常運行させる電力が足りないのだ。都心は80%くらいの運行だが、遠くへいく電車は、止まっているのがある。

                

 関東圏は人口密集地であり、東京は、巨大な、世界の観光地だ。日本じゅうから、世界じゅうから、人が集まる。巨大な食料消費地なのだ。日本じゅうの農産物、畜産物、水産物を集めて、消費している。

 関東のほうれん草が怖くて買えない、どころか、『安全な十勝の牛肉をお客さまにだしてます。でも、その、お客さまが、いないです』と、いう状態になる。夏に、秋へ、これは、もっと深刻になる。

 たとえば、東京ディズニーランドは休園している。液状化現象で被害があったが、それだけじゃない。電気の消費量がすさまじい。上野動物園も休館だ。(パカの野球のやつらは、東京ドームで、ナイターもやる、と、ごねてたが……)。イベント、コンサートはことごとく中止、延期になっている。

 東京・関東という大食料消費地を失って、日本の農業、畜産業、水産業は、やっていけるのか?

 いまは。もう、日本は戦時下だ。『東京、ざまあ』とか、『大阪、きたぁぁ!』という、幼稚なレベルじゃない。大阪も京都も、観光だけでも強烈なダメージがあるだろう。 

       

 土曜日の、夕暮れの銀座に行ってきた。その話は、あした、だ。強烈だった。