東京23区は、計画停電から除外されている。格差だな、と思っていた。だが、行ってみると、実際は、強烈な自主節電をしていた。すくなくても、わたしの見た、銀座、日比谷、八重洲、丸の内は、節電に協力していた。物販店も、飲食店も、開店時間をおそくして、暗くなると閉店していた。コーヒーショップのスターバックスでさえ、午後7時で閉店していた。
夜の東京。衝撃的だったのは、帝国ホテルだ。一階のブランドショップやカフェが閉店しているから、暗い。まだ、7時前だ。いつもは、タクシーがどんどんお客をおろして賑わっている時間だ。タクシーも少ない。ホテルの前を歩いて人もまばらだ。宴会もパーティーも会議もなく、宿泊客もわずかなのか?
帝国ホテルの客室の明かり。
帝国ホテルの向いの東京宝塚劇場は、ネオンが消え、照明を落としているから、なんとも暗い。日比谷の映画街の人もまばらだ。終電ちかくの深夜じゃない。土曜日の午後7時だ。
これは、東京駅もみてみなければ、と思い、八重洲に向かった。八重洲ブックセンターは、6時で閉店していて、ほとんどの路面店は閉まっていた。人通りは少ない。
八重洲ブックセンターは、11時~18時の営業。
東京駅八重洲地下街も人は少ない。いつもは人でいっぱいの時間だ。
東京駅丸の内口は、さらなる衝撃だった。オアゾは、ビルの外の照明が消え、ほとんどの店舗がすでに閉まっていた。丸善本店は、8時で閉店だ。閉店までまだ時間があるが、書店のなかは、もうお客は少ない。
比較は極端だが、昨年末、蓮舫と枝野たちに仕分けられて、JAXAiが閉館になった。12月28日、閉館を惜しんで多くの人が集まった。その夜の、この広場だ。同じ時間だ。
2010年、12月28日、OAZO広場。
お客でいっぱいだった丸善本店も、寂しい。
地下鉄・大手町駅の通路も寂しい。いつもは、たくさんの人々が歩いているのだが……。
さらなる放射能の恐怖、そして電力不足。不景気。しかし、われわれは、この現実をうけとめて、生活レベルをおとし、生きて行く。昭和30年代、40年代だって、何不自由なく生きていたんだ。
この政府は、まったく信用できない。あてにせず、じぶんの判断と知恵と努力で生きぬく。
昭和30年代にこんな美しい曲がある。雪村いづみが、1959年(昭和34年)に歌った曲だ。
雪村いづみ 『リメンバー・ミー』 http://www.youtube.com/watch?v=1ifLuQsqVEU&feature=related
1947年(昭和22年)の平野愛子のヒット曲に、『港が見える丘』がある。これも名曲だ。横浜の、みなとがみえる丘公園は、この曲のタイトルから名づけられた。作詞・作曲は、東辰三。作詞家・山上路夫の父親だ。平野愛子もいいが、わたしは、やはり、ちあきなおみで聴きたい。
ちあきなおみ 『港が見える丘』 http://www.youtube.com/watch?v=f-1MbSjMdug
『水色のワルツ』は、二葉あき子の1950年(昭和25年)のヒット曲。作詞は藤浦洸、作曲が高木東六。この曲も、ちあきなおみのカヴァーがじつにいい。
ちあきなおみ 『水色のワルツ』http://www.youtube.com/watch?v=uJUzcYkizVY