東京は昼38度、夜は27度の熱帯夜というが、ここはひどく涼しい。涼しいというより寒い。日が暮れて、星空がやたら綺麗なので、短パン・Tシャツで散歩にでる。風が寒い。帯広はもう秋だ。
笑うのは、91歳の父親が一日じゅうエアコン、ギンギンにして綿入れの半てん、冬のぶ厚いジャージのズボン、真冬の厚着だ。(真冬は、ストーブ、ガンガンにして、室温30度。短パン・ランニングシャツでアイスキャンデーをむさぼり食っている)。
「もう外は涼しいんだから、エアコン切って、窓開けて風通して、薄着にしたらいいんじゃないか」と、北海道に帰ってきたばかりの夏、父に言った。父親は、「熱中症で何人も死んでるんだ!」と、怒鳴る。テレビと新聞の報道だけを信じてる世代だ。
まあ、勝手にやってくれ。(冬の灯油代、夏の電気代が恐ろしい‥‥‥)
北海道のこんなヤワな夏で、熱中症になったりするか! 熱中症になっている人たちは、38度超のなかで作業している人や、部活なんかでスポーツをしている人。そして、エアコンがない室内で、夜明けまで28度のなかで寝ている人たちだ。朝4時、太陽がでるとすぐに気温は30度をこえる。
父親の飯をつくるために階下にいくと、「寒い」。このエアコンの寒さ、クダラン・テレビの大音響。耐えて台所に立つ。ココロにも、カラダにも悪い。
わたしは、三菱自動車東京工場で6年、溶接工をやった。ふそうトラックだ。火花が散るから肌を露出できない。手は、0.7ミリの薄い鉄板を持つから、ケプラーの手袋の上に軍手、そして皮手袋。三枚の手袋だ。作業着の上にケプラーのエプロンをつける。そして、ヘルメットに耳栓。わたしは、防塵マスクもつけた。
東京の真夏の気温のなか、こういう装備・服装で10時間作業する(当時はバブルで、残業がかならずあった)。工場の中は、それ自体、熱を出す道具・機械だらけだ。溶接ロボットたちの発熱もまたすさまじいだろう。
わたしは、そのあと、ゼネコンの建設現場の警備員のおっさんをやった。東京の炎天下、一日、外につっ立っているという仕事だ。10年やったかな。熱中症で倒れる土工さんを何人か見た。生コン打設の手元をやっていた土工さんだ。
大きなビルの床のコンクリートを打つとき、フロアーを分割してコンクリートを打つ。東京のデカい・ビルだ。10トン・ミキサー車60台とか70台とか入れる。ポンプ車に10tミキサー車を2台づけして、切れ目なくガンガンやる。東京都心の渋滞のなかで、切れ目なくミキサー車を現場に誘導する。それが、わたしの仕事だ。まあ、わたしはそれほど下手ではなかっただろうな、きっと。(竹中工務店・東京本店新築工事の完成のとき、表彰状をいただいた。日当8500円の派遣・警備員おっさんだが‥‥‥‥)
生コンを打つのは、ポンプ車の職人さんで、手元の土工さんがバイブを持って生コンの気泡を抜き、コンクリートの密度・質度を上げる。
気温38度の真夏、この作業は、すさまじい。はじまったら中断できない。そして、コンクリートは固まる時、発熱する。美大かなんかで石膏を使った人は分かるだろう。
東京のビル建築現場で、何人か土工さんが熱中症で倒れるのをみた。わたしがみた、その人たちは、すさまじい気温のなか、じぶんの仕事を完璧にやって、電車に乗るため着替えをして、ロッカールームで倒れた。痙攣していた。
この北海道の、わたしのお父様が恐れる”熱中症”ってのは、いったい、なんだろかね。
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町内のインディアンカレー。カレー屋、回転すし、TSUTAYA、歩いて3分以内のところにある。そこは便利なのだが‥‥‥わたしには限りなく退屈な町だ。
オリンピック。7人制ラグビー女子決勝、オーストラリアvs.ニュージーランドは、じつに見ごたえのある試合だった。
日本女子は、9位10位決定戦でブラジルに敗れ10位だが、圧倒的体格・体力の外国勢を相手に小柄な体でよく戦った。ラグビー、おもしろい。